I AM THAT との格闘 6

一旦、用語の整理をしていた。
これで若干は読みやすくなったと感じている。
早速、本文と向き合いたい。


6 p35

瞑想の初歩的な目的は、私たちの内なる声をより身近に自覚することだ。そして究極の目的は生の源である意識にたどり着くことだ。

付随的にだが、瞑想の修行は、私たちの人格に深く影響を及ぼす。
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私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知ると言うこと自体が、それを克服するのだ。

無意識は、意識層に持ち込まれることによって融解する。
無意識の融解は、エネルギーを解き放つ。
マインドがそれを適切だと感じ、そして静かになるのだ。
とある。

これは、苫米地博士も言っていることだと思う。

242p
あらゆる現実世界での出来事、事柄、記号、思考パターンとしてのトリガーを、煩悩としてのアンカーから切り離したり、別なアンカーにつなぎ変えたりする。

あらゆるこの世の価値を洗い直してみる。

人間の生得的な欲望であるこの世の論理など、人間の精神にこびりついた垢を洗い流す。そうすることで、何者にもとらわれない本物の自由無垢な自分を手に入れていただきたい。

255p
アンカーの意識化と無力化
アンカーが効果を発揮するのは、我々の無意識下、つまり自分で内省的に気づいていない情報として存在しているからだ。これに気づいて、意識に上げてやることで、アンカーの効果は大きく薄れる。

苫米地英人 洗脳護身術

この辺りの事ではないだろうか。
どちらも「無意識を意識に上げる」ということだが・・・
「ネタバレした手品には驚かない」というのが例の一つだろう。
私はイライラした時に、静かに座って自問自答を繰り返す。
「結局は何が言いたいのか?」「どうゆうこと?」
「それ、関係ある?」「相手と食い違いがありそう?」
そして、気付いていなかった部分に気付くと、イライラが収まるのだ。
体験的に、「気付くと無くなる」ということは知っている。
なぜかは、知らない。そうゆうものとして、飲み込んでいる。

余談だが、ブルースリーの言葉にも近いものがある。
「稽古の時に重要なことは?」
「Natural unnatural ,Unnatural natural. 」
(意識的な無意識、無意識的な意識)
意識的な動きをとっさにできる。自然な反応を意識的にできる。
というような、意味合いだったように覚えている。
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私たちは、経験と経験者のどちらからも身を引き、その間であり、またその2つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。

ここの用語はまだ、把握できていない部分だ。
体験・体験者、観照者、原因体・記憶体。
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自己はその本性としてあらゆることを楽しみ、そのためエネルギーは外側へと流れていきます。このエネルギーをより高いレベルに蓄え向上させ、豊かにすること、それが瞑想の目的ではありませんか?

この質問は、私の質問でもあったと思う。
エネルギーを溜め、その質感を清らかにしていくのが、瞑想の目的ではないのか?
最近流行っているような、ヨガでもそうではないのだろうか。

宇宙全史でも、「エネルギーが足りない」という話がよく出てくる。
そもそもはエネルギーを溜め、エネルギーの波動を精妙にし、魂の波動も精妙にしていく。という話ではなかっただろうか。
初歩の「エネルギーを溜める」ができない ので、「祈り」「エゴの形成」が必要という話だったと記憶している。

私は内丹仙学に興味があった。
その中でも、エネルギーを漏らさず、溜めること。
そして、そのエネルギーを、精妙にしていく という段階が非常に長くあると書いてあった。
最終的には、虚空にて火を止めるのだ。
エネルギーを溜めることが最終的な目標ではないのだ。
大いなる虚空にたどり着き、そこで消え去り、虚空になるのだ。

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瞑想は純粋な行為であり、その目的は(タマス)不活発性と(ラジャス)活動性を完全に除去することだ。純粋なサットヴァ調和は、怠惰と落ち着きのなさからも完全な自由だ

真理、善、調和、美、それらがそれら自身の目的なのだ。

と、ある。
これは、宇宙全史でいう「宇宙からの脱出」「二元性を超える」だろう。
陰と陽 からの完全な自由。
善悪とか、生死とか、強弱とか、そういった尺度や属性の外の話。
そこまでが、瞑想の目的。
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それらがどう作用するか気づいていなさい。あなたの思考、言葉、行為を見守りなさい。

私が毎日やるべきは、思考、言葉、行為がどう作用するか気づいている ことなのだろう。
真剣に。
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