雑記 2023/12/17

私は質疑応答スタイルの文章を読むのがあまり得意ではないようだ。
アイアムザットを読んでいても、やはり読みにくさを感じる。

教科書のように体系的にまとまっていないのもあるだろう。
内容の深遠さもあるだろう。

質問者は何を聞きたいのか?
一度回答をえて、次に何を聞こうとしているのか?
どこまで内容をかみ砕き、踏まえての質問なのか?
そこに釣られてしまう。

質問を重ねていく中で、問いも深くなっていくだろう。
何を聞こうとしているのか が徐々に見えなくなってくる。

宇宙全史でも、質問の重要性や質問自体を正確にすることが言われていたように思う。

覚者を前にして質問をすること 深遠なものについて考えること
この難しさが表れているのだと思う。

宇宙全史 質疑応答では、質問文を引用しながら部分ごとに回答していた。
アイアムザットでは、回答の難解さから質問自体の理解もある程度できなければならないように感じている。

そう簡単に読み進められる本ではなかった。
腰を据えて、じっくり向き合わなければならないようだ。

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最近、昔の手痛い失敗の夢を何度かみた。
何か不安感や不穏な感じがあるのだろうか。
と、思っていたのだが。

私のエゴは「泥臭いコツコツ努力」というのを全力で拒否したがるのだ。
過去の手痛い経験はそれができなかったからだ。

「何かもっと効率が良い方法が」「今のタイミングではない、集中しやすいタイミングが」などと始める。

私はアイアムザットとニサルガにビビッているのだ。
腰を据えてジックリと向き合う という時間をかける手法が嫌いなのだ。

しかし、嫌いなのは過去の私。
今の私はそうではない。

手痛い失敗の後、「自分は要領が良い」と思っている高慢な私はひっこんでいた。
その間に、国家資格も取り、独立もして、コロナの期間も乗り越えたのだ。

今の私は「泥臭いコツコツ努力」をもうすでにしていて、
その効力 結果の良さを知っているのだ。

過去の私に、今の私は違うということを見せつけてやらねば。

アイアムザットと泥臭く格闘する ということは、
私にとって過去できなかった努力を、今やり直す。
ということにもなるのだろう。

過去の失敗した私も 現れてしまえば、
消えてゆくしかないのだ。


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