I AM THAT との格闘2

ほんの少し先まで読んでいるが、1章づつメモを取っていっている。

2 p25-

この質問者はちょっと難しい。
自分とニサルガの違いを気にしているようだが・・・
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私は私の自然な状態に気付いているが、あなたはそれを見失っているということだ。
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というのが、回答だろう。

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「私は在る」という感覚は、どこを探すかという指針にはなるが、何を探すかの指針には用をなさない。
この身体への固執が消えれば、あなたはあるがままの自然な姿に努力することなく変えりつくだろう。
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とある。「私は在る」という感覚について、考えてみたい。
この感覚に近いものが深部感覚ではないだろうか。

一通り考えてみたが、「私は在る」ではなく「身体がある」という感覚だろう。
キーワードのメモはしておこうと思う。
瞑想 深部感覚 体内感覚 チャクラ 髄液循環 呼吸
指針にはなる。
深部感覚を伸ばすことが、スタート地点にはなる。

言葉で説明できるよりも、実践できる方が重要に決まっている。
あまり固執しない方が良いだろう。

雑記

「マインド」という単語がよく出てくる。
苫米地博士からすれば「内部表現の一部」だろうし、
古川先生からすれば「エゴの一部」もしくは、そのままマインドという単語のまま理解するのだろうか。
唯識論で言うところの「意識」というのもあるかもしれない。

今現在の私は、
五感からの情報を、実況中継するかのような意識の部分だと思っている。
騒がしく、浅い部分の意識だと思う。
絶えず脳内で話されている音声・記述されている文章というのが、個人個人にあるだろう。

具体的に言えば、
「前から歩いてくるお姉さんは、若くきれいそうだなぁ。
すれ違ってみると、香水がきついな。いいにおいではあるが、主張が強すぎるな。これはきっと性格もそうに違いない。奥にいるおじさんも、若いお姉さんを目で追っているな。かなりお腹がでてる。あれは、後ろの二郎を食べてきたに違いない。そういえば、ラーメンのにおいと若干の室外機からの湿気を感じる。」といった感じだ。

五感を実況し、主観的な感想をつなげている部分が「マインド」 と、一旦置いてみている。
この部分で、高尚なものを思考しても太刀打ちできない。
黙らせること 歪みを整えること。
あるがままを受け入れ、流していくのはそんな感じだろう。

余談だが、
これを辞めると、速読がしやすくなるという話があったと記憶している。
あいまいだが苫米地博士の本の中に、「音声や文章での思考よりも、得意な五感をつかっての情報処理をした方が、速く大きな情報量を扱える。」という記述があったと思う。
共感覚を後天的に作り出すような話の流れで説明していた気がする。
訓練してみたことがあるが、少し大きな視点に立って考えられる気がする。

余談2
反対に、五感の脳内実況がない とは何か。
さっきの具体例を取れば、
「人」と認識し、忘れる
といった感じではないだろうか。
「!」ぐらいで、忘れているんだと感覚的には思っている。

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