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ヴィッキーのチーズケーキと悪魔のアラーナ

 私は、シアトルにある老人ホームのレストランでウェイトレスをしている。
 学生アルバイトは、必要最小限の仕事しかしない。けれども、私と同じ時間帯に働くアン(リーダー)とヴィッキーは働き者で、住民のことを考える優しい人たちだ。彼女たちと一緒に働ける私は、とてもラッキーだ。
 ところが、つい最近、アンはウェイトレスのポジションを捨て、受付嬢に変わった。ヴィッキーも転職活動中だ。彼らが仕事を辞める、辞めようとしている理由のひとつは、クックのアラーナだ。
 月曜日から金曜日まで、朝食と昼食を担当する彼女は、クックのリーダーだ。リーダーであるにも関わらず、彼女には、老人に対する思いやりなどひとかけらもない。「小さなオムレツをちょうだい」「小さなパンケーキが欲しい」といった、ささやかな願いですら叶えてあげない。
「(なんでこの女がリーダーなんだ?)」
 つくづく思う。ウェイトレスの私たちは、毎日戦った。上司にも訴えた。けれども、何も変わらなかった。結果、アンとヴィッキーは、戦いに疲れ果て、撤退を決意した。

 アンはいなくなったけれど、ヴィッキーは、次の仕事が決まっていないので、今も一緒に働いている。
 先週の土曜日、仕事をしていると、ヴィッキーからテキストが届いた。
「明日の夕食のデザートに、チーズケーキを作りたいねん!冷蔵庫にクリームチーズがあるかどうか、見てくれる?」
 夕食のデザートは、アラーナ、ジョリー、ヤスミンの、3人のクックが、交代で準備する。それぞれ、好きなデザートを作る。ジョリーとヤスミンは、時々、新しいケーキに挑戦する。けれども多くの場合は、チョコレートケーキ、ピーナッツバターケーキ、ヴァニラケーキなどだ。大きなベーキングトレイで焼く、これらのケーキは、フレーヴァーが変わるだけで、だいたい似たような感じだ。
 料理、お菓子作りの好きなヴィッキーは、マネージャーのベルナルドの許可を得て、以前もストロベリーショートケーキを作った。出来合いのスポンジに、ストロベリー、生クリーム、ストロベリーソースでデコレーションをしただけだけれど、いつもと違うケーキで、住民は大喜びだった。
 今回は、手作りのチーズケーキだ。ヴィッキーに協力して、すべての材料を確認し、トッピングのイチゴをカットした。
「明日のデザートはヴィッキーが作るから、作らなくていいよ」
 ジョリーとヤスミンにも伝えた。準備万端だ。

 日曜日の午後、
「ユミ~!デザート作り、すごい楽しみにしててん!」
 ピョンピョン飛び跳ねそうな勢いで、ヴィッキーが出勤してきた。満面の笑顔の彼女を見ると、
「ダイニングルームは私に任せて、美味しいチーズケーキを作って!」
 心から応援したくなる。

 夕食が始まった。ヴィッキーのチーズケーキも焼き上がり、冷蔵庫でクールダウン中だ。
 夕食の担当はジョリーだった。実はジョリーもデザートを作っていた。ヴィッキーが週末に働くことは珍しいので、デザートは月曜日の話だと勘違いしたらしい。
「私のデザートは、月曜日に使えばいいよ~」
 ジョリーは言ってくれたけれど、ヴィッキーは迷った。
「チーズケーキは冷たい方が美味しいから、明日でもいいねんけど。アラーナには見られたくないねん。なんかええことない気がする・・・」
「そうなん?・・・そうやな。じゃ、今日にしたらええんちゃう?」
「うーん・・・」
 結局、ギリギリまで迷って、ヴィッキーは、月曜日の夕食でチーズケーキを出すことにした。

 月曜日、出勤してきたヴィッキーが言った。
「冷蔵庫のチーズケーキがなくなってる」
 キッチンにいるのは、私とアラーナだけだ。
「アラーナ、冷蔵庫のチーズケーキ、見なかった?」
 ヴィッキーがアラーナに尋ねた。
「あぁ、あれ?すべって床に落ちたから捨てた」
「・・・」
 黙ってダイニングルームへ立ち去るヴィッキーを追う。
「・・・悪魔め!どうやったら床に落ちる?私の勘は当たった!イヤな予感がしてん。でも、考え過ぎやと思って、心を改めてんで!でも、あいつはやっぱり悪魔や!私に対するジェラシーや!」

 アラーナを見ていると、ヴィッキーのことが大好き?と思うことがある。ヴィッキーと話すときのアラーナは、本当に嬉しそうだ。ヴィッキーは、華やかで、堂々としていて、仕事もできる。ウェイトレス以外の仕事も楽々こなす。人気者で、社内でもひと際目立っている。ヴィッキーに憧れる一方で、羨ましく、そして憎たらしいのだろう。
 ヴィッキーを褒める人がいれば、ヴィッキーの粗を探して、精一杯悪口を言う、それがアラーナだ。アラーナは、他人の成功や幸せを、一緒に喜べる人ではない。
 前日、ヴィッキーの作ったチーズケーキを味見させてもらった。とても美味しかった。冷蔵庫にあったチーズケーキを、アラーナも食べたはずだ。他のクックが美味しいものを作っても、決して褒めない彼女だ。ウェイトレスのヴィッキーが、自分より美味しいデザートを作ったことを、許容できるとは思えない。なんとしても、住民の口に入ることを阻止したかったに違いない。

「アラーナは謝罪したん?」
「謝罪なんかせえへん!『あぁ、あれ?捨てたで』て言うただけや!」
 住民の喜ぶ顔を、心から楽しみにしていたヴィッキーのことを考えると、たまらなくなった。
 キッチンへ行くと、アラーナがいた。
「アラーナ、ヴィッキーに謝らへんの?」
「なんで謝らなきゃあかんの?わざとじゃないのに」
「わざとじゃなくても、ヴィッキーが作ったものを勝手に捨てたんやろ?私がアラーナやったら謝るで。謝れないの?」
「謝れるよ。でもジョリーが作ったと思ってんもん」
「私たちチームで仕事してるんやろ?こんなん、あかんやん」
「わかった」
 嘘をつくとき、アラーナの顔は真っ赤になる。この時も真っ赤だった。素直に謝罪することを受け入れたことは以外だったけれど、嘘の言い訳をして謝るのだ。謝られても、ヴィッキーはイヤな気分にしかならないだろう。

 ベルナルドを見つけた。ヴィッキーはすでに、この事件のことを話していた。彼は優しい人だけれど、これまでいかなるトラブルも解決しようとしなかった。ムクムクと腹が立ってきた。
「ベルナルド!」
 冷蔵庫に入ったベルナルドの後を追い、中に入る。
「ベルナルド!アラーナになんか言うよね?」
「言うよ」
「ホンマに?絶対?これ、なんも言わんかったら許されへんで!」
「わかった。絶対言う」
「絶対?約束する?」
「約束する」
「信じるで!絶対言うてよ!」
 冷蔵庫を後にしたけれど、これまでのことがあるので、あまり期待していない。

 翌日、出勤してきたヴィッキーは、本当に元気がなかった。ボーイフレンドと別れたときより元気がなかった。
 驚いたことに、ベルナルドは約束を守って、アラーナに注意をした。けれども、彼女は自分がクビにならないことを知っている。
「アクシデントです」
 ビクともしない。

 これまでは、住民に意地悪なアラーナに腹が立つだけだった。けれども、今回のことは、ちょっとレベルが違う。素敵な人にジェラシーを抱き、平気で傷付けたり、嘘をつく。自分を磨くのではなく、相手を突き落とす。それ以外に方法がないからだ。自分に自信がなく、自分のことが好きじゃない人、弱い人のやり方だ。そんなアラーナが怖いような、悲しいような、なんとも言えない気持ちになった。

 けれども、アラーナがしたことは、それだけじゃなかった!
 この日の午後、アラーナは、デザートにチーズケーキを作った。 
「ユミ!あいつは悪魔や。私のチーズケーキを捨てて、私のアイデアを取って、今日の夕食のデザートにチーズケーキを出すねんで。信じられる?」
 もちろん信じられない。そんな発想になることも、それを実行することも、すべて信じられない。悪魔アラーナ、本気で怖いぞ!

「ヴィッキー、早く転職したらええわ。悪魔の近くにおったらあかん」
「・・・そうやな・・・そう思うわ」
 撤退は、やはり正解だった。悪魔に勝つより、逃げるが勝ちだ。
 チーズケーキ事件により、ヴィッキーの転職活動に拍車がかかった。

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