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ロスアンジェルス暴動 #1

 BLM運動で、店舗が暴徒に攻撃されることがある。
 商品を強奪され、窓や店内が破壊され、燃やされることもある。

 「これって、あかんのちゃうの?」

 ゲトーでは、黒人ギャングの無差別シューティングに巻き込まれて命を失う危険がある。
 ギャングは、互いに殺し合いをしている。

 「人種差別を受ける原因は、彼ら黒人にもあるやん」

 そう考える人も少なくない。

 「暴動、暴力、強奪、殺人、彼らは犯罪者じゃないか!」

 確かに、犯罪は間違っている。
 黒人が、この国で平等と正義を獲得するためには、正しいことをやり続けなければならない。
 けれども、人種差別の歴史は長い。 
 彼らが犯罪を冒すに至った、その背景を理解せずに、同じ環境に立ったことのない我々が、「正しい」を振りかざし、彼らを責めることはできない。
 
 1992年4月29日、カリフォルニア州ロスアンジェルス、サウスセントラルで人種暴動が起こった。
 この暴動が起こった根底には、貧困、ドラッグ、ギャング、警察官の暴力、米国の刑務所システム、メディアの影響、様々な原因がある。
 ロスアンジェルス暴動を理解すると、アメリカの組織的人種差別がざっくりわかる。
 この暴動について、何回かに分けて書いてみたいと思います。

ワッツ暴動


 1940年代、アメリカ南部で暮らす多くの黒人が、仕事と自由を求めて、ロスアンジェルスへ移住した。
 白人コミュニティーは、黒人を完全に隔離し、そのエリアを総称してサウスセントラルと呼んだ。 
 当初、黒人に許された場所は、ワッツ市とワッツ市北部のみだった。
 第二次世界大戦中で、軍事産業が栄えていた。
 南部から訪れる人は後を絶たず、政府はこのエリアにプロジェクト(公営住宅)を建設した。
 人口は過密状態だ。
 けれども、仕事がある間は良かった。
 1945年、終戦で多くの黒人が職を失い、その環境はどんどん悪化していった。

 1950年、ロスアンジェルス市は、サウスセントラルを囲むように、フリーウェイの建設を開始した。
 このフリーウェイが、ボーダーラインになった。
 1955年、市は156棟、2054戸のアパートを建設し、ワッツの貧困層の3分の1を、この中に押し込めた。
 ロスアンジェルス最大、最も治安の悪いニッカーソン・ガーデン・プロジェクトの誕生だ。
 ”押し込められた”と表現するには理由がある。
 このエリアを走るバスは3本で、そのすべてが、仕事のある首都圏に向かわなかった。
 住民は、仕事を探しに行くことすらできない。
 一番近い病院でも、2時間以上かかった。
 教育施設もない。
 加えて、警察官による暴力も絶えなかった。
 人々はこの状況に失望し、そのフラストレーションは蓄積していった。

サウスロスアンジェルス周辺が怖い⇩

LAのおおまかマップ

 1965年8月11日、彼らのフラストレーションが爆発した。
 「ワッツ暴動」だ。
 きっかけは、白人警察官が、蛇行運転をしていたマーケットという黒人を 飲酒運転の罪で逮捕し、車両を牽引しようとしたことだ。
 この日はとても暑い日で、外で涼んでいた80人近い黒人が集まってきた。
 マーケットの弟が、母親を連れて来て、車を牽引することに抗議をした。
 罰金は、車の購入代金よりもはるかに高い。 
 牽引されたが最後、彼らは二度と車を所持できない。
 警察官は、マーケット、弟、母親の3人を逮捕した。
 300人近くになった野次馬が、警察官の対応に文句を言い始めた。
 その中のひとりが警官に向かってツバを吐き、その男も逮捕された。
 これをきっかけに暴動が勃発した。
 その夜、暴徒たちはビルを崩壊し、店舗を燃やした。

 翌日、黒人コミュニティーのリーダーと、マーケットの母親は、群衆に暴動をやめるよう呼び掛けた。
 ところがテレビ局は、平和に解決しようとした彼らの呼びかけではなく、

 「暴動はまだまだやるで!」

 と言った若者の映像を主に報道した。
 暴動は継続し、ロスアンジェルス警察は、ナショナルガードに協力を要請した。
 その結果、市民は、数百人の警察官と1万6千人のナショナルガードと対決する羽目になった。
 3日目、ワッツは全滅した。
 その他のサウスセントラル地区でも暴動が広がり、市民の多くが撃たれた。
 ロングアイランドやパサデナ、カリフォルニア州の他都市でも暴動が起こった。
 6日間続いた暴動で、400軒の建物が崩壊し、600軒が被害を受け、被害額は4億円に達した。
 逮捕者3400人、死亡者34人、負傷者約千人、そのうちの118人が銃による負傷だった。

暴動時のワッツの様子、破壊された町や逮捕された人々の写真です⇩

 政府が、暴動の原因を調査した結果、人種差別や警官の暴力に加え、粗末な住宅施設、生活環境や教育環境の悪さが指摘された。
 けれども、政府が行ったのは調査だけだ。
 政府はこれらの問題だけでなく、暴動によって崩壊した建物のほとんどを放置した。
 国に見捨てられたワッツは、サウスセントラルは、そこで暮らす人々の環境は、さらに悪化していくのである。


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