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【シリーズ第9回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓

シカゴのブルースビジネス

 シカゴ市はノース、サウス、ウェストに大きく分割できる。

 ノースにはお金持ちの白人居住地がある。
 ダウンタウンがあるのもノースだ。
 ビジネスも、もちろんダウンタウンがあるノースサイドに集中する。
 
 ノースにあるブルースクラブのオーナーは白人だ。
 観光客と白人客をターゲットにするこれらの店では、黒人のバンドがブルースを演奏する。
 シカゴ=ブルース=黒人という、わかりやすい発想だ。 
 ミュージシャンはブルースしか演奏できないけれど、金が動くノースでは、レコード契約や、海外ツアーなどのチャンスがある。

 それに対し、サウスやウェストは、黒人やヒスパニックが暮らす、貧しい地区だ。
 黒人が経営するブルースクラブはあるけれど、白人客や観光客が訪れることはない。
 これらのクラブでは、ミュージシャンはブルース以外にも、R&B、ソウル、自分たちの好きな音楽を演奏できる。
 自由だ。
 自由はあるけれど、貧乏な地元の客しか訪れないため、店も、ミュージシャンも稼げない。

ローザズ・ラウンジ(Rosa's Lounge) 

 ダウンタウンの西、ウェスト・アーミテージにローザズ・ラウンジというブルースクラブがある。

 ノースでは珍しく、R&Bやソウルも演奏できる店だ。
 理由は、この店には、音楽とミュージシャンを愛するママ・ローザがいるからだ。

ミュージシャンに愛されるママ・ローザ

 ママ・ローザは、イタリアのミラノで、ジュニア・ウェルズに出会い、シカゴへ移民した。
 1984年、息子のトニーが、ローザズ・ラウンジをオープンした。
 
 この店へ私がはじめて行ったのは、ココのコンサートから数週間後だ。
 ダウンタウンにあるクラブの中で、私が下宿していた家から一番近く、友人も、
 「ここなら、それほど遠くないよ」
 と勧めてくれたからだ。

 ハイウェイを降りたら、ノース・キンボール・アヴェニューをひたすら西へ進む。
 ウェスト・アーミテージで右折すると、すぐに看板が見えるので、迷子になる心配もない。
 とはいえ、ウェスト・アーミテージの交差点へ向かうにつれ、不穏な空気を感じずにはいられなかった。 

 私の危険探知機が鳴り響いたのは、店の前に到着したときだ。
 店の向かいは空き地で真っ暗だ。
 平日の夜なので、人通りもない。
 「絶対に危ない!」
 ということだけはわかった。
 一番怖いのは、車から降りるときだ。
 周囲に人がいないことを何度も確認し、エンジンを切った。
 一目散に店に飛び込んだ。

 ローザズ・ラウンジはシカゴのノースサイドにあるので、それほど警戒していなかった。
 けれどもこの店は、ノースはノースでも、ギャングの巣窟、ウェストサイドに位置した。 
 キンボール・ストリートを挟んで、北側と南側には、異なるギャングが存在した。
 ミュージシャンたちが、店の前で立ち話をしていたら、銃を放ちながら、車が走り去ったこともある。
 この店まで行きたがらないキャブ(タクシー)も少なくはない。
 ・・・という事実を知ったのは随分後になってからだ。 

 それでも店の中に入ってしまえば安心だ。
 カウンターにはママ・ローザがいた。

 「あなた日本人?」

 と彼女が話しかけてきた。

 「はい!」

 と答えると、カウンター越しに、色々話をしてくれた。
 残念ながら、ほとんど理解できなかった。
 
 その日の出演は、ヴァンス・ケリー&バックストリート・ブルース・バンド)だ。
 ステージに登場したヴァンスは、帽子から靴までバシッと赤でトータルコーディネートしていた。

 「70年代だ!!ソウルだ!!モータウンだ!!」

 ここ10年?くらいは、シカゴのブルースシーンも変わってきたようで、ヴァンスも、他のノースのメジャーなブルースクラブで演奏できるようになった。
 けれどもこの頃は、ここローザズ・ラウンジでしか演奏できなかった。

 ミュージシャンをリスペクトするママ・ローザは、ミュージシャンから愛される数少ないオーナーだ。
 
 海外でも活躍するシュガー・ブルーや、ラッキー・ピーターソンは、シカゴに戻ってくると、必ずローザズ・ラウンジで演奏する。
 ミュージシャン企画のイベントが行われるのも、この店だ。

 オバマ大統領は、合衆国上院議員選挙で民主党から出馬したとき、ここでパーティを開いた。
 トニーの奥さんが、オバマ大統領と弁護士時代の同僚だったからだ。
 とはいえ、ダウンタウンには、治安が良く、広く、美しいクラブ、レストランは他にいくらでもある。
 オバマさんが、黒人ミュージシャンと音楽を大切にするこの店で、パーティを開いたことは、やはり意味深いことだ。

 ママ・ローザは数年前にイタリアへ戻ってしまったので、お店に行っても、もう会うことはできない。
 けれども、皆、ママ・ローザのことは忘れない。
 
 「ママ・ローザはどうしてる?」

 ローザズ・ラウンジでプレイをするとき、ミュージシャンたちは、トニーにママ・ローザの様子を尋ねる。
 ノースサイドで、ママ・ローザほど、ミュージシャンに愛されたオーナーはいないんじゃないかな?

お気に入りです

 さて、私はこの日を境に、毎週木曜日の夜になると、ここで遊んでいた。
 理由は、”知っている店”だからだ。
 ひとりで夜中に運転して、行ったことのない店へ行くには、ちょっと気合いと勇気がいる。
 迷子になる自信もある。
 店に入ってからもドキドキと落ち着かず、慣れるまで居心地が悪い。

 その点、ローザズ・ラウンジは、ちょっと怖い場所にあるけれど、確実にたどり着くことができる。
 ママとも話したことがある。
 さらに、2、3回通うと、バンドのメンバーにも覚えていただけた。
 帰り際には、メンバーの誰かが、私の車まで送ってくれるようになった。
 行きはひとりだけれど、帰りはボディーガードがいるので、心強い。

 今になって気付くことだけれど、撃たれる確率は、アジア人の私より、黒人の彼らの方が高かった。
 感謝しかない。
 
 ローザズ・ラウンジは、シカゴで一番はじめに通い始めた、思い出いっぱい、お気に入りの店なのだ。

 


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