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【シリーズ第51回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

   このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓

 私がアルバイトをしていた明治ジャパニーズレストランでは、美しいタイ人女性や、カッコいい白人男性が、ウェイター、ウェイトレス、バーテンダーをしていた。
 
 ヘッドシェフの石さんは日本人だけど、寿司シェフは全員韓国人。
 裏のキッチンで働いていたのは、私と、メキシカンのオマーとアレックスだ。

 ところがある日、4人の中国人が寿司シェフとして採用された。
 応募者が、彼ら4人だけだったのか、あえて中国人も入れてみようと思ったのか、理由はわからない。
 オーナーのアランは中国人だ。
 今まで、中国人の従業員がいないことの方が不自然な気もする。
 もしかしたら、中国人シェフの方が給料が安かったのかもしれない。
 
 彼らは、いつも4人一緒だった。
 彼らにしたら、4人以外の人は誰も知らないし、 4人でいる方が安心だ。
 私のように1人だけ採用されたら、がんばって中に入ろうとするけれど、4人いたら、その必要もない。
 
 オープン前の時間に休憩室へ行くと、これまでいつも一緒にいた寿司チームが、韓国人チームと、中国人チームに別れていた。

 あらら・・・

 と思ったけれど、まぁ、当然だ。
 なんといっても、母国語はラクチンだ。
 ジョークも言える。
 しかも通じる!
 仕事中はともかく、休憩中くらい、好きな言葉を使ってリラックスしたいと思うのは当然だ。

 ・・・と、他人事のように思っていたけれど、それからしばらくして、キッチンにも中国人のおじさんが採用された。

 寿司シェフの4人は、他の従業員と話したくないから話さなかった。
 けれども、その年配の男性は・・・

 英語が話せなーーーい!!!


 どれくらい話せないかというと、

 「ワッチュアネイム(お名前は?)」

 と聞いても、

 「???」

 というくらい、話せなかった。

 せめて、名前くらいはわかりたい。
 ”名前”と紙に書いて渡すと、ワンさんだったか、チンさんだったか、中国人っぽい名前を、満面の笑みで教えてくれた。

 名前の他にも、彼が30年以上アメリカで暮らしていること、子供がいることもわかった。
 さすがはチャイニーズコミュニティ。
 チャイナタウンにいれば、30年間、英語を使わずに生きていけるんだ。
 というよりも、30年間、英語を覚えようと思わなかった彼がすごい。
 30年間チャイナタウンにいたおじさんを、外の世界に向かわせた理由は何だったんだろう?
 知っている漢字を並べてみたけれど、思った以上に伝わらなかった。

 中国の方は、”強い!””たくましい!”というイメージがある。
 自分の英語のアクセントが原因で、相手が理解してくれなくても、聞き取れない相手が悪いと思っている(気がする)。
 厚かましいとも言えるけれど、この国では、その強さは必要だ。

 「私の英語の発音が悪くてごめんなさい・・・」

 としょんぼりしているより健康的だ。 

 しかし、仕事を一緒にするとなると、ちょっと困る。
 おじさんは、ニコニコと私の説明を聞いていたけれど、必死で理解しようとしている気配はない。
 結局、3日目くらいには、仕事に来なくなった。
 おじさんに聞いていないのでわからないけれど、

 「ゆみこに申し訳ない・・・」

 という気持ちは皆無だったと思う。 

 それにしても、どうしてアランは、中国語しか話せない人を雇ったんだろう?・・・と思ったけれど、私も、どちらかと言えば、日本語しか話せない人だった。
 
 アランにボランティア精神はなさそうなので、きっと低賃金という理由だろうな。

🐔🐔🐔🐔🐔🐔🐔🐔🐔ある日の賄い🐔🐔🐔🐔🐔🐔🐔🐔🐔

ニコニコ笑顔で鶏爪料理を差し出す中国人シェフ


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