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スケルトンの缶ペンケース

1986年頃だったと思う。小学校で蓋はアルミ、下半分がプラスチックの缶ペンケースが流行った。その時私は4年生で、低学年まで真面目に使っていたあの機能性に満ちた筆箱(両面使えて表は鉛筆や消しゴム、時間割表付きで裏は定規など入る分厚いやつ)をとうに卒業していた。私の周りでは他の子もだいたいそうだったが、まず缶ペンケースに行く。そして中学に入ったら布製の大人っぽいペンケースを使う子が出てくる流れだった。

この缶ペンケースの何がウケてたかというと、蓋の部分は普通の缶でかわいい絵柄がついていて、底の部分が半透明のプラスチックなのだ。ピンクやグリーンなどの色がついていたが、裏(下)から中身が見える。これがおしゃれだった。
友達もこの形のペンケースを持っていた。量産されていて、色柄違いのものが至る所で売っていた。私はニチイ(よく出てくるなあ)の文具売り場で買ってもらった。使い倒して二つ目を別の柄でリピ買いしてもらうほど気に入っていた。

ペンケースに限らず、子どもの頃使うものは小さな卒業をいくつか経ていく。
まずは筆記用具周りから変わっていった。消しゴムが“かきかた消しゴム”みたいな名称の学校推奨のものや機能性重視のMONOなどから、帯にキャラクターの絵がついたものや香り付きのものへ。動物やフルーツなどの形をしたものも使い始める。女の子はサンリオで買ってもらうようになったりして、おしゃれ心が出てくる。男の子は消しゴムから派生して、キン消しやねり消しなどの“それもうおもちゃやん”脱線組も現れた。

鉛筆は中学生になって初めてシャーペンへ移行する。それまではあまり羽目を外せなかった。小学校の間はまだ鉛筆ではないといけないと暗黙の了解があった。ロケット鉛筆はギリOKだった。濃さの指定まであって、低学年は2B、高学年はHBまで許されるという謎の圧力があった。
消しゴムは割と自由で、鉛筆は厳しい。その理由を(テキトーに)考えてみた。
子どもの握力の問題で、書きやすい芯の柔らかさだとか。または消しゴムと違って鉛筆は筆跡で粗さ・薄さがわかるし、宿題など提出物として残ってしまう。そこが教育上見過ごせないところなのかもしれない。

そのほか、こんな変化が見られた。
・下敷きをいつしか使わなくなる。
・書き方で習った「うちこみ、とめ、はね、はらい」をしなくなり丸文字になる。これはマンガ字ともいわれ、先生や親に非難された。
・通学帽をかぶらなくなる。
・名札を付けなくなる。
さらに私が通う小学校では、ほとんどの子は5年生くらいからランドセルをやめて自前のバッグで登校していた。いつからか先輩たちが代々そうしていて理由について深く考えなかった。体が大きくなってランドセルがきついとか、その頃にはボロボロになっているからとかなのかもしれないが、当の子どもたちはただなんとなくカッコ悪いからそうしていただけだった。よく大人たちは許したと思う。

でも、こういった変化の現れと、それを容認する環境はいたってまともだ。この程度の多様性と自由すらなければ子どもたちは健全に育たないだろう。
大人だって「今にして思えばなんであんなこと守ってたんだろう」と納得いかないこともいくつか思い当たることがあるし。
純粋なうちに、理にかなったルールはまず守る。その上で傾(かぶ)いていけばいい。正統や様式美あってこそ、自由な発想と新しい価値観が生まれるはずだ。


私が小学生だったのは1983年から1988年、昭和58年から63年だ。
昭和は64年間続き、最後の64年はたった7日しかなく、平成になった。まさに昭和のしっぽの辺りだった。
1980年から90年までの10年間は、バブル景気を通って世の中が大きく変化した。子どもながらに、時代の空気を肌で感じていた。

小学校低学年の時に学校のすぐそばにあった個人経営の小さなお店『コダマ文具店』がなくなった時、寂しかった。キラキラ光る鉛筆や香り付き消しゴムにときめいたのは、この店が最初だった。それからは冒頭の缶ペンケースが流行る時期になり、街のデパートの中の店で買ってもらうようになった。高学年の頃はバブル全盛期で、繁華街にサンリオのビルができた。特に女子たちは心躍らせた。

小学校の6年間で消耗品である筆記用具は数えきれないほど変えたのに、なぜかこの下半分がスケルトンの缶ペンケースは鮮明に思い出す。本来なら蓋も受け皿もアルミであるはずのペンケースが、必要もないのに下がスケスケ。ただそれだけのことが新鮮で面白い。
ペンケースそのものに特別な思い出があるわけではないが、その頃の明るい時代の空気がセットで付いてくる。不思議なツールだ。

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