見出し画像

春は遠き夢の果てに (十二)

     十二

   ミカちゃんへ

 ミカちゃん、今さらこんな手紙を書いてしまってごめんね。あんたにも、おばあちゃんにも、とても顔向けできひんウチなんやけど、はじをしのんで、この手紙を書いてます。
 ミカちゃん、一生のお願いです、しばらくの間、優希をあずかってくれへんやろか。
 しばらくいうても、自分の赤ちゃんを手ばなすなんて、ほんまむせきにんな親やと思うやろね。ウチもそう思うし、この優希の顔しばらく見られへんと思うだけで、胸がくるしゅうなって、涙がとまらんようなるねん。自分の一部を切りはなされるような気がして、つらくてつらくてしょうがないねん。
 でもな、ウチ、もうげんかいやねん。サ店をやめてから、一生けんめい仕事さがしたんやけど、みつからんくてな、バイトとか夜の仕事やったらあるんやけど、この子を保育所にあずけて、アパートの家ちんはろて、ってなったらとてもやっていけへんお金にしかならへんし、もうどうしようもないねん。
 ウチひとりやったら、どうにでもなんねんけど、このままこの子といっしょにいたら、この子の人生もダメにしてしまいそうやし、正直、ふつうに食べさせてやるのもむつかしいと思うねん。
 いきなり赤ちゃん預けられて、めいわくやろし、大変なんはようわかるねんけど、あんたやったら保育園のお金もはらえるし、いざとなったらお昼は預かってくれる友達もいるって言うてたやんか。
 おばあちゃんとこ帰りたいし、帰ろう帰ろうって、何度も思ってんけど、でもできひんかった。ウチ、今まで、おまえなんかクズやクズやって言われて育ってきて、じっさいクズみたいな人間やったんよ。でもな、おばあちゃんとこでいっしょにくらして、いろいろ教えてもらってるうちに、なんや自分が成長して、一人前になれたような気がしてん。ウチみたいな人間でも、生きてて良いし、生きていけるような気がしてたんよ。
 アホやね。じっさい働いてみたら、やっぱり社会はきびしいし、ウチなんかなんもできへんかった。中卒の不良少女なんか、だれもあいてにしてくれへんし、やとってもくれへん。今のウチみたら、おばあちゃんもげんめつしはるやろなあって思ったら、申しわけなくて、おばあちゃんの顔にドロをぬるような気がして、やっぱり帰ることはできひんかった。
 とりあえず、オカンとこ帰って、頭さげて、ちゃんと昼の仕事みつけよ思てんねん。ミカちゃん、それまでめいわくかけるけど、優希のことおねがいします。一日でもはやく、むかえにこよ思てるから、絶対、絶対、優希のことまたむかえにくるから、それまでの間、おねがいします。

 ミカちゃん、あんたには、何があったのか知っててもらいたいし、ちょっと長くなるんやけど、今までのこと、聞いてもらってええかな? ウチ、口ベタでうまく話せへんし、きっと話してると泣いてまうし、今書いとかへんかったら、一生聞いてもらわれへんと思うねん。

 おばあちゃん家にたすけてもらった夜、ウチ、ちょっとヤバイやつらにラチされててん。
 あの何日か前、ダチとつるんで、ミナミでいつもみたいにあほなおっさんひっかけて、酒おごらしたろ思てたら、声かけてきよる男たちがおってな、いっしょにのんでたら、いつのまにかクスリかがされたみたいで、気がついたらコンクリートの部屋にかんきんされとった。反こうしたら、なぐられて、クスリ打たれて、それまでも男に連れまわされることはあってんけど、これはヤバイやつらやってすぐ分かった。
 あの夜、フィルムで中が見えんようになってるバンにのせられて、連れていかれそうになったから、とちゅうでトイレってうそついて、車おりて、ずっとラリったふりしてたから、ゆだんしよったんやと思うけど、手じょうをはずしよったすきに、石で男のスネをなぐって、かがんだとこで頭なぐって、そのままにげ出してん。
 足ふみはずして、山のだいぶ下までころげ落ちてしもてんけど、おかげであいつらもさがすのあきらめよったみたい。多分あのままつかまっとったら、ウチら海外に売られとったと思う。
 しばらく身をひそめてから、山の下に向かって歩き出した。森の中でまっくらやし、夏やのにさむいし、ふるえながら歩いてたら、やっと遠くにぼんやり明りが見えてきて、ウチ泣きそうやった。
 もうふらふらで、町はずれでたおれそうになった時、夜やのにふしぎやねんけど、赤いきれいなちょうちょが飛んでてな、あんまりきれいやから、おいかけてたら、暗い中にほわっと明るい、夢みたいにきれいな家が見えてきて、そこでたおれてしもた。それがおばあちゃん家やったんやね。

 おばあちゃん家でくらしはじめて(あんたのおばあちゃんやのに、なれなれしくごめんね。でもウチ、身よりいうたらオカン以外知らんし、ほんまのおばあちゃんできたみたいですごいうれしいねん。ゆるしてね)、はじめの頃は、こんなしんきくさいとこ、はよにげ出したろって、そればっかり考えてた。でも、なんやくらしてるうちに、ゆっくりリラックスしてしもて、人からどなられたり、だましたりだまされたりせんとすごすのって、あれがはじめてやったんやね。
 おばあちゃん、とくにあれこれしなさいとは言わへんのやけど、ただ朝だけはめっちゃはよう起こされた。「ええお天気やのにもったいないよ」って、雨の日でもそう言うて、日の出前に起こされた。
 昼間は、あんまりヒマやから、畑手つだったりもしたけど、すぐつかれて昼ねしとった。はじめの頃は、自分でも笑うくらい、ようねてよう食べとったわ。おばあちゃんはぜんぜん怒らんと、あきれて笑てはった。

 稲かりおわってしばらくした頃かな、ウチ、さんぽしとったら、道ばたの白い花がすごいかわいく思えてな、つんで帰って、台所でビンみつけて、げんかんにおばあちゃんがかざってる花の横においといてん。おかしいやろ? それまで花なんかきれいやて思ったことなかったのに。
 それで、部屋でラジオききながらぼーっとしてたら、おばあちゃんが「レナちゃん!」って呼びながらこっち来はんねん。ああ、また、よけいなことすんなとか、花がかわいそうやろとか、怒られるんやなあって思ってたら、おばあちゃん、すごいうれしそうな顔して「この花かざってくれたん、あんたか? きれいな花やんか。ありがとうな。おばあちゃんうれしいわ!」って言わはってん。ウチ、泣いてしもてな。自分でもふしぎなくらい、涙があとからあとからあふれてきて、止まらへんようになってしもてん。
 ウチ、その時はじめて「ありがとう」の意味がわかってん。もちろん、何かしてもろた時のお礼の言葉やっていうのは知っててんけど、こんなに言う時にうれしいもんなんやなって、言われたらうれしいもんなんやなって、ウチはじめてわかってん。
 それから赤ちゃんみたいに大きな声で、2時間くらいえんえん泣いててんけど、その間おばあちゃん、いっしょに泣きながらずっとウチを抱いててくれはった。レナちゃん、しんどかったんやね、悲しかったんやね、言うて、その言葉でウチまた泣いてしもた。

 それから、今までのことをぽつぽつ話すようになって、えこひいきする小学校のセンコにいじめられたこととか、万引きのぬれぎぬきせられてオカンになぐられたこととか、もうむかしのことやのにはっきり思い出してしもてね、ウチそのたびに大泣きしてしもた。
 お手伝いも、だんだん楽しなってきて、畑や田んぼのこととか、おそうじに、せんたくに、買いものに、ごはんのよういに、やればやるほど楽しくていそがしくなってきて、あんなに昼はヒマやったんが信じられへんくらいやった。

 はじめてサ店につとめた時には、ミカちゃんにはお世話になったね。仕事もアパートもいっしょにさがしてくれて、いつも気にしてくれてるのも分かってたし、うれしかった。
 ウチ、あんたみたいにきれいで頭のええ人とつき合うのはじめてやったから、うまく話せへんかったし、きらわれるんちゃうかと思ってびくびくしてたけど、いっつも優しく接してくれて、うれしかった。

 優希ができた時も、力になってくれて、よろこんでくれてありがとうね。ミカちゃんとおばあちゃんがいてくれへんかったら、きっと優希を産む決心もできてへんかったと思う。たよりないオカン一人っきりなんと、やさしいおばあちゃんときれいなおばちゃん(?)がいてくれるのとじゃぜんぜんちゃうもんね。
 告白するけど、ウチ、実は優希をぎゃくたいしてたんよ。母親のしかくがない、ほんまにアホな親やったの。
 おばあちゃんがいてくれはる時はええんやけど、二人っきりのときに優希が泣きだして、どんなにあやしても泣きやまへんとね、もうパニックになってしもて、どうしてええんかわからへんくて、優希のことたたいてしもてた。ウチ、オカンとけんかするたびに「めんどうもよう見んくせに、かってに子供つくんなボケ!」って言うててんけど、まったく同じ言葉で優希からせめられてる気がしてね、パニックになって、オカンがオニみたいな顔でウチをたたいてたんと同じように、ウチも優希をたたいてしもてた。
 おばあちゃん、びっくりしてとんできて、優希を抱きしめて、同じようにウチも抱きしめてくれはった。大変やったと思うわ、赤ちゃんが二人いるのと同じやもんね。
 後で、こう言うてくれはった。「レナちゃん、それがあんたのほんまにしたいことなんやったら、おばあちゃんあんたのことはせめへんよ。あんたがけいけんしたつらい思いを、この子にもさせたいんやったら、きっとそれがこの子のうんめいなんやろね。でもな、あんたはほんまにそれがしたいか? このかわいい子をたたいて泣かせたいか? レナちゃん、もしまた心の中のオニがでてきそうになったら、ゆっ~くりでええから、優希をしっかり抱きしめて、自分はほんまはどうしたいのか、自分の胸のおくに聞いてごらん。けっして、自分のことはせめたらあかんよ」って。
 すぐにはむりやった。また同じひどいことをしてしまうこともあった。でも、ある時、ぐずってる優希を抱きしめて、「だいすき、ウチがママでごめんね…」ってずっとつぶやいてたら、優しいきもちが胸のおくからあふれてきてね、この子がいとしくていとしくてしかたなくなってん。優希が泣くのは、ウチをせめてるんじゃなくって、「ママ、だいすき!」って、全身でつたえてくれるんやなって、ふっと分かってん。その時、ふしぎなんやけど、優希といっしょに、泣いてる子供のころのウチも抱きしめてるような気がしてた。二人でえんえん泣きながら、ウチ、幸せやってん。

 ほんまになんにもできひん、おっきい子供みたいなウチを、おばあちゃんは、決して怒らんと、あきらめんと、めんどうみてくれはった。ウチ、ちっちゃい頃から、じゃまにされたり、バカにされたり、くやしい思いばっかりしてきて、まともな人間として接してくれたんは、おばあちゃんがはじめてやったんよ。

 百日のお祝いが終ったころ、おばあちゃんあらたまって「うちの子になってくれへんか」って言うてくれはったことがあってん。「あたしも年で農作業とかつらくなってきたし、あんたがずっとうちにいて、手伝ってくれたらたすかるんやけど」って。
 同情とかじゃなくって、本気で言うてくれはるのがわかって、ウチもほんまにそうしたかってんけど、でもそれはことわった。
 これはまだおばあちゃんにも言うてへんねんけど、ウチな、おばあちゃんみたいなお料理をつくれる、コックさんになりたいっていう夢があんねん。そのために、サ店のちゅうぼうで働くのも勉強になるし、優希のためにも自分のためにも、お金かせがなあかんしね。

 サ店でまた働くことが決まって、さいごにあいさつした時、泣きながら「このご恩は、一生かけても返しますから」って言うたら、おばあちゃん、ちょっと怒った顔して、こう言わはった。
「レナちゃん、ご恩ってなんやの? あたしはね、自分のやりたいことを、心がのぞむことをやっただけ。それをあんたが恩やなんて、思うことはないのよ。もし恩返し言うなら、あんたはもう、十分なことをしてくれてるの。あんたが、ごはん残さんと食べてくれた時、ごはんおいしい言うてくれた時、はじめて笑ってくれた時、はじめて泣いてくれた時、げんかんに花をかざってくれた時、楽しそうに手伝いしてくれた時、はじめてごはん作ってくれた時、自立してお手紙くれた時、優希ができてあたしをたよってくれた時、そして優希が生まれた時、あたしがどれだけうれしかったか、あんたに分かるか? あたしがしたこと以上のよろこびを、あんたはもう返してくれてるのよ! レナちゃん、もしあたしのためにって考えてくれるなら、あんた自身の幸せを考えて。あんたと優希が幸福になるのが、あたしが一番うれしいことなの…」って。
 ウチ、うれしくて、さびしくて、涙がとまらへんかった。「きっと幸せになりますから」って、泣きながらやくそくした。
 おばあちゃんのために、優希のために、幸せになろうって、そのためにはなんでもがまんしようって心に決めて、働きだしてんけど、でもな、ウチはがまんすることができひんかった。あいつのことを、ウチはゆるすことができひんかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?