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春は遠き夢の果てに (十)

     十

 次にレナちゃんに会ったのは、三ヵ月後の年末のこと。
「おかえり」って、おばあちゃんの後ろからちょっと恥ずかしそうに迎えてくれた彼女、一瞬レナちゃんって分からなかった。それくらい、あの子変わってたの。
 金と黒のまだらだった髪の毛は綺麗な栗色に染められてて、ガリガリだった体型も、とげとげしかった雰囲気も、すっかり柔らかく女性的になってた。「あなたレナちゃん?」って訊いたら、「そやで」って、ちょっと拗ねた顔で応えてた。

 その春ね、彼女、自立することになって、アパートが決まるまで、しばらくあたしのところで暮らしてたことがあるの。一緒に不動産屋巡ったり、いろいろお買い物したり、妹ができたみたいで楽しかったな。
 喫茶店のバイトが決まって、一人立ちのめどがたって、最後におばあちゃんに挨拶しに行った時、レナちゃん泣きながらおばあちゃんに抱きついてね、長い間離れなかった。その頃はもう、ちょっと嫉妬しちゃうくらい、ほんとの孫みたいにおばあちゃんに懐いてたね。

 それからあたしも社会人になったし、そんなに頻繁に連絡取り合うこともなかったけど、たまに喫茶店に顔を見に行ったりはしてた。彼女スタイル良いから、制服がよく似合って、すごく格好良かった。

 赤ちゃんができたって聞いたのは、二年以上経った秋のことだった。一緒におばあちゃん家行ってね、彼女の話しを聞いたの。
 苦労するのはわかってるけど、産みたいって。
 堕ろすっていう選択は、彼女の中には全くなかったみたい。受胎した瞬間から、この子が愛しくて仕方がないって。この子の為ならあたしは何でもするって、レナちゃん力強い眼で言ってた。
「一つ約束して」っておばあちゃんは言った。「決して、あんた一人で背負い込むんやないで。ちょとでも困ったときには、あたしや美佳にいつでも相談して。その子を育てる手伝いをあたしらにもさせて」……って。レナちゃん、涙ぐんで「はい」って頷いてたけど、結局、その約束は守ってくれなかったの。

 それからはほんとに楽しかった。赤ちゃん……優希を迎える準備をみんなでしてね。年明けからは産休をとって、おばあちゃん家に移ってもらって、万全の体制を整えて。
 4月7日のお昼過ぎに破水が始まったっていう連絡をもらって、すぐ仕事を切り上げておばあちゃん家に向かって、陣痛に苦しむレナちゃんみんなで応援して。
 優希が産まれたのは8日の朝方だった。もうほんとに、ほんとに可愛い赤ちゃんでね、みんなで大泣きしながら笑い合ったの。
 あたしも育休とりたかったくらいだけど、そうもいかないから、足繁く花城まで通って、レナちゃんと優希に会いに来てた。優希、可愛かったなあ。レナちゃんもさらに綺麗になってね、愛に溢れる聖母って感じだった。

 もうそのまま、おばあちゃん家に住んじゃいなさいって、あたしもおばあちゃんも勧めたんだけど、やっぱりちゃんと自立したいからって、9月からね、仕事に復帰することになったの。新しい店長がすごく良い人で、日勤のみになるから正社員は無理だけど、準社員扱いにしてもらって、保健もボーナスもあるし、なんとかやっていけそうだから……って。
 またアパート探して、つてを頼って優希の保育園もみつけて、新しい暮らしが落ち着くまではしっかり見届けて、あたしも安心してたの。

 12月に入って間もない頃、お正月の相談をしようって不意に思い立ってね、仕事の合間に喫茶店に行ってみたの。レナちゃんいなくて、お休みかなって思って他のウエイトレスさんに訊いてみたらね、口が重くて、なかなか話してくれなかったんだけど、トラブルがあって辞めちゃったって言うのよ。
 もうびっくりして、その足でアパートに行ってみたんだけど誰もいなくて、優希が預けられてるはずの保育園に行っても、大分前にやめちゃったって言うのよ。
 あたしまだ就業中だったから、とりあえず会社に戻って気持ちを落ち着けて、夜にもう一回アパート行ってみたら、レナちゃん帰ってて、ちょっと様子はおかしかったんだけど、部屋には上げてくれた。
 あたし……なんであんなデリカシーのないことしちゃったのか、どんなに悔んでも悔みきれない……。きっとどこかに、鼻持ちならない優越感みたいなものがあったんだと思うの。
 何があったのか、今何してるのか訊いても、レナちゃん教えてくれなくて、生活は大丈夫? って訊いても青白い顔でそっけなく頷くだけで、間がもたなくなって、帰ろうとしたんだけど、帰り際にね、お金を……封筒に入れた20万のお金を、レナちゃんに差し出したの。とりあえずこれ、何かに用立てて……って。
 レナちゃん、怒ったの……。人があんなに怒るところ、あたし初めてだった。
「なにこれ?」って、レナちゃん。怒りと屈辱で、綺麗な瞳が歪んで、みるみる涙が溢れてきた。
「あんた、ウチをバカにしてんのかっ! どうせウチなんか、お金もまともに稼がれへん、クズの能無しなんやわっ!!」って、怒りに震える手で封筒をつかんで、思いっきりあたしに投げつけた。
「帰れ! 帰れ! 顔も見たないわ!!」って大声で叫びながら、レナちゃん泣いてた。子供みたいにぼろぼろ涙こぼして泣いてた。レナちゃんの怒りと悲しみが、痛いくらいに伝わってきた。
 あたし……あたし、泣きながら、アパートの通路で、謝って、ごめんなさいって謝って、部屋に入れてくれるように頼んだんだけど、もう二度と……そう、もう二度と、扉を開けてくれることはなかったの。


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