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春は遠き夢の果てに (十三)

     十三

 またサ店で働きはじめて、はじめのころは良かったんよ。顔なじみもいてよくしてくれたし、新しい店長の嶽野(たけの)ってやつ、ほら、ミカちゃんもなんどか会ってる、小太りでメガネかけたあいつも、はじめは優しくてええ人やって思っててん。優希がいることもちゃんと話して、できるだけはいりょしてあげるからって、ニヤニヤ笑いながら言うとった。
 仕事の後とか休みの日に、何度か食事にさそわれて、イヤやってんけどしゃあなしにおつき合いしてたら、その後、かなりごういんにホテルいこってさそわれてね、あんまりしつこいから、ちょっと強い言いかたでことわったんよ。
 そしたら、そのよく日から急にたいどがかわってね、ちょっとしたことで、どなられたり、バックルームで何十分もねちねち怒られたりするようになってん。あいさつしてもむしやし、店でなにかトラブルがあったらぜんぶウチのせいにされて、お客さんの前でもかんけいなく怒られて、頭下げさせられた。店の中もびみょうなふんいきになってきて、ほかのみんなもウチのことをさけるようになってきてん。
 しんどいし、はらもたったけど、そのうちおさまるやろって、ウチもなんとかがまんしてた。でもな、その次の月のシフト見てびっくりしてん。優希がいるから、日勤だけにしてもらうやくそくやったのに、早出とか遅番とかばっかりのシフトになってたんよ。
 無理やから、日勤にかえてくださいってたのんだんやけど、「社員になるんやったらこれくらいやってもらわんとこまる」って言われて、ウチ、すごいなやんだんやけど、しょうがないから、せっかくミカちゃんがさがしてくれた保育園やめさして、むにんかの保育所と、夜はベビーシッターにあずけることにしてん。イヤな感じの人もいて、そのままキャンセルして優希つれてかえりたい時もあってんけど、泣く泣くあずけて仕事行ったりしてた。おくりむかえもしんどいし、しょうじき、仕事もかなりしんどかってん。
 あの日、ウチ生理でね、頭も痛くて、朝からずっとしんどかったんよ。それがまんして、バックでスプーンとフォークをふいてたら、嶽野がからだひっつくくらいそばによってきて、「ええかげんすなおになれや」って耳につぶやいて、スカートの横から手入れて、ウチのふとももさわってきよってん。
 ウチ、それでキレてしもてね。横にあったプレートで嶽野の頭なぐって、たおれよったとこをけりまくった。もう一回キレてしもたら、がまんしてたくやしい気もちがあふれてきて、止まらんくなってしもて、ずっとあいつのことけってた。
 それで、問題になってすぐマネージャーが来て、「君にはやめてもらう」って言われた。それまであいつにされたことも全部言うてんけど、「君がぼうりょくふるったのはじじつだから」って、つめたく言われた。

 それからすぐに、仕事さがしてんけど、やっぱりなかなかなくてね、どんどんお金なくなってくるし、すごく不安で、その後しばらく、フーゾクで働いててん。中学の時のダチがしょうかいしてくれてんけど、たまにキモい客はおるけど、ほとんどみんなええ人やし、ウチみたいなほそっこい女のこときれいって言うてくれる人もいたし。ミカちゃんはきっとけいべつするやろけど、ウチ、あんたがそうぞうもできへんくらいのこと、したりされたりしてきたから、少なくても殺される心配はないから、お金のためって考えたらがまんできた。
 短い時間でお金かせげるし、しばらくはこれでいけるかなって思いはじめたころ、あいつが、嶽野が、店にきよったんよ。ニヤニヤ笑って部屋に入ってきたあいつを見て、ウチもうからだがこおってしもた。
 ウチの知らんとまに、店の人が写真をホームページにのせてしもて、それを見つけてきよったみたいやねん。店の人に知らせて、キャンセルしてもらおと思ったら、あいつがウチのうでつかんで「そんなことしたら、お前の娘がおおきなった時にフーゾクで働いてたこと言いふらすぞ」って。
 サイテ―にくつじょくてきなことされながら、ウチ、もうこいつのこと殺したろ思たんよ。コードとかおしぼりとか、殺すのに使えるもんいっぱいあったし。でも、優希のこと考えたらできひんかった。あの子を、殺人はんの子供にしたらあかんと思った。
 帰りぎわ「どうせこうなるんやったらはじめからさせといたら良かったのに」とか言うとったけど、ウチもうショックで、まともに答えられるじょうたいやなかった。
 店の人は「やばいやつやったら出禁にしたろか」って言うてくれたけど、もうそういう問題やなくって、そのまま帰って優希をひきとって、アパートの中で優希を抱きしめて、ウチ泣いてしもたん。
「ごめんね、たよりないママでごめんね、ふつうのお仕事で育ててあげられなくてごめんね」って言いながら、ウチ泣いてしもた。優希、かわいくてなあ、にこにこ笑って、ほんまにかわいくて、もう男の人のいろんなとこさわった手で、この子のこと、だっこできひんと思った。そんなことしかできひん自分が、なさけなくって、みじめで、もう死んでしまいたいって思った。

 そんな時やったんよ、ミカちゃん、あんたがウチにお金をもってきてくれたんは。
 ミカちゃん、あんたがほんまにウチのためを思って、好意でしてくれたんはようわかってるねん。でもな、あのお金を見た時に、この人はなんのくろうもなく、これだけのお金をかせげるんやって思ったら、すごいにくたらしくなって、同時に、このお金があったら、あれも買える、あんなもんも食べられるって思ってしまう、さもしい自分もすごくみじめでね、あんな風に怒ってしまってん。

 ごめんね、ミカちゃん。あんたの好意をふみにじるようなことしてしまって、ほんまにごめんね。ひどいこと言ったし、あんたが廊下で泣いてるのも知ってたけど、ウチ、ゆるしてあげることができひんかった。

 おばあちゃんとこには帰れへんって、えらそうなこと言うたけど、でも一回だけ、優希つれて行ってしまったことがあるねん。家はしんとしてて、だれもいなくて、りょこうかどっか行ってはったんかな。ウチ、弱い人間で、「つらかったね、ようがんばったね」って、言うてほしかったんやと思うねんけど、きっと「くじけずにがんばれ」っていうことなんやろ思て、会わずに帰ってきてん。
 おばあちゃんに会いたい。おばあちゃんに会いたい。ウチ、ほんまにおばあちゃんに会いたいわ。
 でも、今会ってしもたら、もうきっとひとり立ちできへんようになるから。

 それから、めいわくかけついでに、もう一つお願いやねんけど、駅前のタカオっていうドラッグストアの、斉木っていう店員さんに、お金返してくれへんやろか。
 ウチ、なるべく母乳で育てるようにはしててんけど、さいきんおっぱいの出がわるくて、ミルクにしてて、はずかしいねんけど、買うお金がたりんくて、そこでぬすんだんよ。店でたら、「お客さま、レジはあちらでございます」って言われて「お金ありません」言うたら、その店員さん、ちょっと考えて「そのミルク、その子がのむの?」って言って、うなずいたら「ちょっとまってて」って言われて。
 たぶん、店長かだれかに言いに行くんやろなって思たけど、もうにげる気力もなくて、そのまま待ってたら、その店員さんがふくろにミルクふたつ入れてもってきて「はいこれ。あげるんちゃいます。お金、できた時にかえしてくれたらいいですから」って。
 せの高いがっしりしてメガネかけた男の斉木っていう店員さんやし。3240円。ごめんやけど。

 これもふくめて、かかったお金は、かならず、ウチが働いてかえすさかい、ぜんぶつけといてね。めいわくかけて、ほんまにごめんね。

 ミカちゃん、もっとはように、あんたのことたよってたら、こんなことにはならへんかったのに、ウチはあほやね。
 きれいで、頭もよくて、ばりばり働いてるミカちゃんに、ウチはずっとあこがれてました。ずっと、あんたみたいになりたい思てたけど、やっぱりムリやったね。
 はじめにサ店で働くまえ、しばらくいっしょに住んでたやんか。あの時もたのしかったなあ。いろいろおしゃれなとこもつれていってくれたし、おいしいもんも食べたし、おけしょうのしかたとかも教えてくれて、ええおねえちゃんができたみたいやった。
 ミカちゃんはわすれてるやろけど、ウチらはじめて会うた時、ソフトクリームおごってくれたやん? あれもおいしかったなあ。生きてて一番おいしかった。次に食べるときは、ウチのおごりであんたといっしょに食べよ思て、あれいらい食べてないんよ。ちゃんと働いてよゆうができたら、あんたとおばあちゃんに、ソフトクリームおごらせてね。

 何日も何日もかかって、この手紙を書きました。長くなってごめんね。
 ミカちゃん、優希のこと、よろしくおねがいします。
 一日もはやく、むかえに行けるように、ウチがんばるから。みんなで幸せにくらせるように、ウチがんばるからね。

 ミカちゃんへ
               小杉麗奈

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