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春は遠き夢の果てに (九)

     九

 レナちゃんのことを話すには、まずおばあちゃんがどんなことをしてたのか、聞いてもらわないといけないわね。
 いつ頃からになるのかしら……あたしが小さい頃には、もう何人かいたりしてたから、かれこれ三十年以上前からになるのかしら。
 おばあちゃんね、不登校とか、ひきこもりとか、社会にうまく溶け込めない子供たちを預かって、しばらく面倒を見るようなことをしてたの。フリースクールみたいな、公のものじゃなくって、おもに人づてでお願いされて、ほとんどボランティアみたいな形でやってたみたいね。
 知り合いの男の子を預かることから始まって、だんだん評判が広がって、一人、二人と増えていくような形で。一時は、十人近く居たこともあったんじゃないかしら。母屋だけじゃ手狭になって、その為に離れを建て増しもして。うちの母なんか、他所の子の為になんでそこまで……って、かなり憤慨してたわね。

 あ、簡単に家族構成を説明しておくと、さっき話しにも出た、田沼三男さんと静枝が祖父母で、わたしの母、絹枝が長女で、その下に冨男おじさんっていう弟がいるの。おばあちゃんの結婚が遅かったこともあって、二人姉弟ね。母はおばあちゃんとそりが合わないみたいで、東京の大学に進学して、そのまま向こうでOLになって、父と結婚。あたしがおばあちゃん子で、事ある毎に京都に来たがって、そのまま住み着いちゃったことも、面白く思ってないみたいね。冨男おじさんは大阪で会社勤めをしていて、家族と住んでる。

 おばあちゃんの“教育”なんだけど、ほんとに不思議なことに、なにをするでもなく、この場所で美味しいお料理食べて、のんびりすごすだけなのに、ほとんどの子が生きてゆく気力を取り戻して、それぞれの暮らしに帰ってゆくの。おばあちゃんねえ、うまいのよ。「仕向ける」とか「させる」っていうんじゃなくって、その子がほんとうに心から喜んで、自発的にお手伝いをし出すっていうのが、キラキラしてる瞳からも分かるの。
 はじめはみんな、心を閉ざしてたり、反抗してたり、寂しくてずっと泣いてたりするんだけど、次第に表情が明るくなってね、どんどん活動的になってゆくの。
 もとの学校に戻れた子もいたし、結構長期になってこっちの学校に転校した子もいたし、結局学校には戻れなかった子もいたけど、みんなそれぞれの道をみつけて、しっかり生きてるみたい。近くの農家に嫁いだ子もいたり、お手伝いしてるうちに面白くなって、そのまま工務店に就職しちゃった子もいたりね。
 あたしもね、学生の時、春休みと夏休みはここに滞在してたから、最後の何人かはお手伝いしてたのよ。みんなで朝早く起きて、朝ごはんを食べて農作業して、あとは暗くなるまで虫取りとか川遊びに夢中になって……。お勉強も見てあげたり、小学生の男子に真面目に告られたりしてね。林間学校みたいで楽しかったな。

 この村の、のどかな雰囲気とか、おばあちゃんの人柄とか、みんなが元気を取り戻す要因はいろいろあると思うんだけど、一番大きいのはね、なんといってもお料理だと思うの。
 美味しいのよ、おばあちゃんのお料理!
 見た目はなんてことない田舎料理なんだけど、小皿の一つ一つにまで気持ちが込められていてね。ジャンクフードに慣れた若い子たちは、有り難味もなくむしゃむしゃ食べてるんだけれど、でもしばらく食べ続けてるとね、食材に込められた滋味が、心と身体の深いところからじわじわ効いてくるんだと思う。
 あたしもなんとか習得したくて、休みのたんびに教わりに行くんだけど、でもダメね。きっと、レシピだけの問題じゃないのね。
 そんな“静枝学級”の卒業生さんたち、折に触れて顔を見せに来てくれてね、彼等に腕をふるっておもてなしするのが、何より嬉しかったみたい。
 それにね、小高い目立つ場所にあるからか、料理屋さんと間違えた普通の人たちもたまに来ちゃったりしてね、おばあちゃん面白がって、「春」っていう看板を出すようになったの。
 勿論無料で、お料理も出すし、気の合った人には泊まっていってもらったり。死ぬつもりで山陰方面へ向かっていた女性が、ふと立ち寄ってそのまま滞在して、気力を取り戻して帰っていった……なんてこともあったんだって。危ないから止めるように、母はいつも怖い顔して忠告するんだけど、「うちにはええ人しか来ませんから大丈夫」って、おばあちゃん笑ってるの。でも実際、あの場所に惹かれて訪れる人って、感じの良い人が多いのよ。
 さすがにここ数年は、年も年だし、ちょっと体調がすぐれないこともあって、そういった活動は控えてたんだけど、好きな人にお料理を出すことは、ずっと続けてたみたいね。この場所をね、魂の故郷みたいに、大切に想ってくれてる人は本当に多いの。静枝さんのお料理からいのちをいただきました……って、みんな、仏さまみたいな穏やかな顔して言ってくれるのよ。

 レナちゃんがうちに来たのは、夏の終わりの頃だった。
 あたしは、大学4回生の夏休みでね、就職も決まって、お友達と旅行したり海行ったりして、残り少ない学生生活を満喫してた。
 その頃はもう預かってる子もいなかったから、おばあちゃんと二人で、ここでのんびり過ごしてたの。思い返せば、おばあちゃんと二人っきりで過ごせたのって、あの数週間が初めてだったのよね。お料理みっちり教わって、街中までおでかけしたり車借りてドライブ行ったり恋の悩みを聞いてもらったり、夏中おばあちゃんを独り占め……って感じだったね。
 あれは……ちょっと肌寒いくらいの、秋の訪れをはっきり感じさせる夜だった。
 いつもどおり晩ご飯食べた後、縁側で月見酒をしながらゆっくりお話ししてね、そろそろ寝ようかっていう頃、ふとおばあちゃん背筋を伸ばしてこう言うの。「きはったみたい」って。
「誰が来たの?」って訊いても「さあ」って首をかしげるばかりで、しまいには「あたしそんなこと言うた?」なんて真顔で訊き返したりして、ちょっと呆れながらも、やっぱり気になってね、戸締りがてら、外に出て一回りしてみたの。
 月の綺麗な夜でね、藍色の空にかかる金貨みたいなお月様、今でもはっきり覚えてる。
 玄関先にも、裏口にも誰もいなくって、一応下の道路まで見に行ってみたら、ちょうどうちの畑に入る分かれ道の所に、人が倒れてた。慌てて駆け寄って声をかけてみたら、それは若い女の子でね、月明かりの下でも、身体のあちこちににひどい怪我をおってるのが分かった。
 すぐにおばあちゃん呼んで、なんとか二人で家の中に運び込んでみたら、すごいのよ……、もう全身、擦り傷や、殴られた痕や、手足にはきつく縛られた痕まであってね、赤黒く固まった血があちこちにこびり付いてた。
 夜だったけど、診療所の石黒っていう先生に来てもらって、診てもらいつつ、事件性があるから警察に通報した方が良いかも……なんて話してたら、その子が急に起き上がって「ケーサツなんかに言うたら殺すぞ!」ってすごい剣幕で怒鳴るの。
 とりあえず、命に別状のある怪我はないから、できるだけ傷を洗浄しなさいってことで……あと、何日もお風呂に入ってなかったみたいでちょっと臭ってたから……先生に運ぶだけ運んでもらって、おばあちゃんと二人がかりでお風呂に入れてあげた。
 あの時のレナちゃん、ガリガリに痩せててね、肌も不健康そうないやな黄色をしてて、可哀想であたし涙ぐみながら手を動かしてた。殴られた痕は青黒く変色してるし、ちょっと今話せないくらい、ひどいことをされた痕もあってね、間に合うか分からないけど、お祈りしながら綺麗にしてあげてた。
 おっきいお人形さんみたいに、されるがままのレナちゃんの髪を乾かして、あたしのTシャツと下着を着せて、布団に寝かせると、安心したのかすぐに寝入ってしまった。どういう気持ちだったのか分からないけど、おばあちゃん、愛しそうにレナちゃんの頭を撫でてあげてたな。
 翌日から高熱が出て、そのまま丸三日間寝たきりだった。悪い夢でも見てたのか、何度となくうなされててね、その度におばあちゃん、手を握って、胸をとんとんして、なだめてあげてた。
 四日目のことね、ちょっと油断して、二人で畑を見に行ってた隙に、レナちゃんの姿が消えてたの。家の中を物色した跡があって、財布の中からお金がなくなってた。
「ちょっとあんた、見てきたげてえな」って、慌てもせずにおばあちゃん。「くれぐれも、怒ったりしたらあかんえ」って。
 急ぎ足で集落まで下りて探してみたら、案の定、橋のたもとでウンチングスタイルでへたりこんでるレナちゃん、すぐにみつかった。
「あんたバカ? 病み上がりのそんな身体で、逃げられるわけないでしょ」って言ったら、金と黒のすだれみたいな髪の毛の間から、すごい眼で睨まれた。
 ちょっとひるんだけど、「ここ、バス一日3本しか来ないの。しかもそんな絆創膏だらけの格好で、めちゃ目立つよ。何かトラブルありました~って言いながら歩いてるのと同じよ」って言ってやったら、レナちゃん「うるさい! 殺すぞ!」って言いたかったみたいだけど、そんな力もないみたいで、ただ恨めしげにゆらって頭を動かしただけだった。
「ねえ、提案なんだけど、ちゃんと元気になるまでは、あの家でゆっくりしない? お金はあげられないけど、もし必要なものがあったら買ってあげるし、お家に帰るまでくらいの交通費くらいは貸してあげるから。悪い話じゃないでしょ?」って、なるべく押し付けがましくないように言ってみたら、はじめは「通報するつもりやろ」なんて疑ってたんだけど、不承不承って感じでなんとか頷いてくれた。
「じゃ、お金返して。それでもう、通報する理由もなくなるでしょ」って、手を差し出したら、案外あっさり、ホットパンツのポケットからくしゃくしゃのお札つかんで、投げ返してくれた。
 なにせ、かまわれるのが嫌みたいで、「歩ける? 手を貸そうか?」なんて言う度に、すごい眼つきで拒否られた。でもね、なんとなくだけれど、この子本当は怖がってるだけで、本心から拒絶してる訳じゃないって気がしたの。
「ねえ、ソフトクリーム食べない? あたしおごったげる」って、ちょっと強引に誘って、川向こうにあるカフェのテラスで、一緒にソフトクリーム食べた。鼻にクリーム付けてね、夢中で食べてるレナちゃん、なんだか可愛くって、くすくす笑って見てたら、「バカにしてんのか!」って怒鳴られた。でもね、もうぜんぜん怖くなかったの。

 それからすぐに、あたし自分のアパートに戻らなきゃいけなかったんだけれど、さすがに二人っきりで残してくの心配でね、おばあちゃんに相談してみたら、「大丈夫大丈夫。あたしなんや、あの子が可愛いぃてしゃあないねん」って、にこにこ笑ってた。
 帰り際、あたしがあげた中学ん時の緑のジャージ着て、部屋の隅っこでうずくまってるレナちゃんに、「おばあちゃんをよろしくね」って挨拶したら、見送りはしてくれなかったけど、一応こっくりと頷いてくれた。


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