中国論文の身内引用について

これを書くに当たって

大学の研究室にて教授に愚痴られた内容と、橘玲さんの『言ってはいけない中国の真実--橘玲の中国私論 改訂版--』を読んで自分の中で繋がった内容となったため、この記事を書くことを決めた。
内容としては大人の読書感想文といった感じであることを、先に断っておく。

教授の愚痴

学術論文には査読という文化があり、これは大学教授などの立場の人が学術雑誌の編集者に依頼され、学術雑誌に新しく投稿された論文の妥当性をチェックすることだ。因みに無償である。(マスコミの「取材」と重なって嫌いな部分だが本題ではないので割愛)
Wikipediaにも書いてあるが、査読は無償のわりに時間や労力が必要で嫌がる人もいる。うちの教授はそんな中聞く限り結構な数引き受けておりいい人だと思うのだが、そんな教授からも(だからこそ?)愚痴がこぼれる。

教授がいうには「中国人の論文は中国人研究者の論文引用が多く、あたかもその分野が中国人が築き上げたかのような序論が展開されている。その後引用される論文もなぜか中国人の物ばかりで、そこに引用したとされる内容があるかと思いきや全く別の内容となっている場合も多くある。これは中国が国策として論文の引用数を増やすために科学者に御触れを出したのではないか」とのことだった。

これを聞いた時は「そんなこともあるのかもしれない」と思ったが、後日上記の本を読んだとき別の理由が見えてきたため、書いてみる。

現状の確認~中国の膨大な論文数~

文部科学省の科学技術・学術政策研究所が公開している「科学技術指標2023」を見ると、2019年から2021年に出版された中国の論文数は世界トップである。もう少しく詳しく言えば、統計手法として整数カウント法や分数カウント法(国際共著論文を校正するための手法、詳細は以下のリンクの引用元)、被引用数を重みに考慮した統計(引用数top10%及び1%)などが公開されているが、いずれでもトップである。シェアで言うと3~4割ほどの数値が並んでいる。

一般論からすれば「査読を通った論文なのだから学術的価値のある論文」ということだし、「他の論文に沢山引用されるほど価値がある」ということになる。

だが「中国は世界で最も科学が進んだ国になった」とは認識されておらず、雰囲気としては「どんなカラクリがあるんだ?」といった感じではないだろうか。

例えばTimes Higher Education (THE) の世界大学ランキング2024を見ても、トップ50大学にランキングしているのはアメリカが22大学、イギリス7大学のなかで中国は4大学(香港を加えれば5)である。(因みに日本1大学、東京大学29位のみである。研究所というより官僚育成機関が入ってもどうかと少し思うが)

以下の記事では「論文捏造業者」なるものの存在を指摘して、中国の論文が多いことの理由としている。(因みに教授の話を聞く限りこれは恐らく本当に存在する、それが全ての原因ではないだろうが)

ただし中国人研究者の論文が膨大な数出版されており、それがトップクラスに引用されていることは事実なのだろう。

橘玲著『言ってはいけない中国の真実--橘玲の中国私論 改訂版--』の一部共有

非常に面白い本なので全て読んでもらって損はないどころか得だと思うが(こんな記事に寄ってくる人は特に)、取り合えず私の話に付き合ってもらえるだけの内容は共有する。
以下上著を『中国私論』と書き、※は『中国私論』からの引用である。

関係(グワンシ)とは

『中国私論』では「中国では、歴史的・文化的な要因から、社会的な資源としての『信頼=絆』が常に不足していた。」※と指摘している。人が多すぎるという端的な指摘や、中国近現代史家・福本勝清氏の『中国革命を駆け抜けたアウトローたち』(中公新書)の中の逸話を紹介しながら、この意見を述べている。これは非常に興味深かった。

人は徹底的に社会化された動物であるから(決まり文句のように出てくる言葉、原典はどこなんだろう)、共同体から弾き出されて、絆なしで生きることは出来ない。ではそんな世界で信頼できる人を見分け、絆を得るにはどうすればいいだろうか。そこで出てくるのがグワンシである。

「グワンシは幇を結んだ相手との密接な人間関係」※の事を指し、グワンシを結べばその人を徹底的に信用し、お互いに利益を与える関係になる。そのような「俺たち」の関係の人を「自己人(ズージーレン)」と呼ぶ。反対にそれ以外の人(「奴ら」の関係)は「外人(ワイレン)」であり、ワイレンは全く信用しないし、その不信用はある意味正しく、平気で裏切る。ただしその裏切りを悪だとは考えない。何故なら自分がそういう状況になった時、自分と自己人の利益のためにそうするだろうから。
これが中国人の行動文法であるそうだ。
『中国私論』ではこれをやくざの兄弟の契りに例えていたが、秀逸な例えだろう。

中国はコネ社会という言い表し方を聞いたこともあるが、だいぶ平たく言うとそうかもしれない。仕事を最初見つけるのが非常に難しいが、いったん受けた仕事が評価されると次から次に仕事を紹介してもらえて一気に楽になる、といった内容の投稿だったように思う。最初はグワンシの外にいるため徹底的に信用されず、一旦認めてもらえれば(グワンシに加えるとまで行かなくとも)グワンシの中で「こいつのサービスは信用できた、お勧めだ」と共有してもらえたと考えれば納得がいく。

日本人が日本社会で当然のように利用するサービスも、中国で同じサービスを受けようとすると非常に難しいだろう。パソコンの購入や(『中国私論』に登場する)、子供の家庭教師を見つけるのも、宅配サービスを利用するのも、グワンシからの紹介を得ていないとどんな裏切りが起こるかわからない。
「安心は自己人の『グワンシ』によってもたらされる」※のだ。(なので社則や法、他文化の道徳やモラルよりもグワンシの都合が優先である)

因みに日本人でグワンシの代わりに安心を供与してくれるものは会社である、と『中国私論』では説明している。だから会社を裏切って情報を漏洩することは少ない。その反面、安心を提供してくれる会社の命令や雰囲気では不正を行う。安心の拠り所にすがる様子は対して変わらないのかもしれない。

グワンシの互酬制と賄賂

中国ではなぜ賄賂が無くならないのかという話の流れで登場する話である。

『中国私論』では「『関係(グワンシ)』の基本は、こちらが無私のこころで相手に尽くせば、相手も全幅の信頼でこたえてくれる、という互酬制だ。」※という。

また贈与に対しては返礼が必要であるとすれば、そうすると二つのサブルールが出現すると述べている。

「贈与を受けたら返礼しなければならない」という社会規範が成立すると、 そこからふたつのサブルールが生まれる。ひとつは「たくさん贈与すればたくさんの返礼を受けられる」という規則、もうひとつは、「贈与に対して返礼できなければ相手の支配を受け入れるしかない」という規則だ。

橘 玲. 言ってはいけない中国の真実--橘玲の中国私論 改訂版-- (p.170). ダイヤモンド社. Kindle 版.

一つ目のルールはそこまで違和感はないだろう。沢山贈ったにもかかわらず少ししか返礼しなければ相手は「不道徳」になるだろう。(日本でもこの論調は聞く)
二つ目に関してはポトラッチという原住民の文化と言われるものを挙げて説明している。簡単に言えば「相手より大きな返礼をできるのはより大きな力を持っていることを示すから」らしい。中国人は見栄っ張りという話を聞くが、見栄で負けると支配されると本気で思っているのかもしれない。

中国で共産党員になった時、そこには贈り物を持った人が山ほど現れるらしい。そして贈り物をしてもらえばそれに対する返礼をしなければならない。(「贈与を受けたら返礼しなければならない」という社会規範より「返礼しない」のは不道徳なため)
そうするともうすでに収賄となり、なくならないよね、という話が『中国私論』には登場する。
贈り物の拒否ならばその爆弾付きプレゼントを避けられるような気もするが、「賄賂を受け取らないと異類に見なされ、精神障害といわれる」(野口 東秀『中国真の権力エリート』新潮社)※という証言もあるそうで、同じ考えにたどり着いたが失敗した中国人が既にいるようだ。(贈り物をする側からすれば受け取ってくれない人は迷惑だろうからそう言いがかりはいかにもありそうだ)

このような文化が研究活動に与えると思われるもの

これを読んだ後教授の愚痴の内容を思い出してみると、中国共産党の暗躍などなくともそういうことになるのが当然だという結論が見える。

自己人の論文はできるだけ引用しなければならない、無私の心で相手に尽くす関係だからだ。そうすれば自己人は自分の論文も返礼で引用してくれるだろう。
また、相手より沢山引用することも必要だ。そうしないと相手の方が強い力を持ってくることになり、支配されてしまう。
(正直そこまで思っているのは不明だが、見栄の為に自分の方がより多く引用しようと思っているまでは本当な気がする)

そうして最初は小さな波だった引用のし合いは増幅され、膨大な数の身内引用が起こる。そして中国人というのは膨大な母数を持っているため、中国人研究者が起こす影響は大きい。これは今までのある程度紳士的だった学術論文の文化(自分の研究結果の引き合いに出したい優れた論文を引用し、引用論文の選定は内容以外のものに寄らない)を破壊する。

因みに『中国私論』では、中国人研究者に対してほかにも以下のような点を挙げている。

1,世界レベルの実績をあげるためには研究に専念する環境が必要だが、中国社会では研究者もグワンシの人間関係で忙殺され研究活動に専念できない。(『 貝 と 羊 の 中国人』 新潮 新書)※
2,自己人の要請により研究成果を組織の外に持ち出す。

1,については中国人研究者がグワンシに縛られていることと、その結果論文の身内引用を行っている可能性を示唆するものである。
2,は他国の企業が中国人を雇うときに困るようである。日本の技術も色々持ち出された話を聞く。

まとめ

中国の学術論文世界への浸食は計画された陰謀ではなく、グワンシを中心に回る中国文化の必然である。
恐らく同様の機構から様々な不具合が世界で起こっている。
やみくもに感情的な非難をするのではなく、その背景を理解し、適切に対応していくことが必要である。

孫引きがいくつかあって申し訳ないが、卒論とかじゃないから許してもらおうかなと。また「関係、自己人、外人」の漢字と読みのカタカナの呼称が統一的ではなかったが、自己人は漢字の方が想像しやすく、残りの二つは日本語と意味が変わってややこしいためこのようにした。

おまけ(感情的な私論ぶちまけ)

私は陰謀論(より正確には人と議論する気の全くない攻撃的な態度の陰謀論者)が嫌いである。だが残念な事に中国人への攻撃はたまに目に入ってくる。そこでは中国共産党がすごく能力のある組織で(高レベルの産業スパイとか、そういうのを組織的に行えるのは非常にすごい事だろう)、中国人を排除しなくてはならない!日本を守れ!と聞こえてくるが、『中国私論』を読んで私に見えてきた背景はそんな恐ろしい巨影ではない。中国政府は中国国民を狙ったとおりに動かせておらず、色々な現象の理由は独自の道徳律で動く中国人の集団行動の結果である。

また、私はこの文章で「今の文化を破壊する中国人はけしからん!」と言いたいわけではない。まあもう少し外の文化を思いやってくれればありがたいとは思うが、思いやりとは知識と心の豊かさがないとできないものだ。
別の機会に書いてみてもいいかと思っているが、現在の学術論文の世界は崩壊の危機にある。最近パラダイムシフトを起こしたAIの影響もあって崩壊は時間の問題だろうから、(中国人に侵食されてボロボロの今の仕組みを捨てるいい機会だと考えて)新しい枠組みを模索するべきだろう。


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