区切り打ち歩き遍路計画中!
涼しくなってきたからそろそろ計画したい。
次の歩き遍路は岩本寺から足摺岬まで行く長い長い道のり。
どうやっていく?
日常生活にまみれているので、頭の中を遍路モードにしないと方法が見出せない。
そのくらい頭の中は日常生活だ。
全集中してようやく調べる事ができた。
お金をかけずに歩き遍路したい。
夫婦2人だと全て2倍になるから宿泊も電車も使うとかなりの大出費。
この秋は子供の入学金納入という大出費があったばかり。
何とか入学金準備できたものの、
まとまったお金がなくなった。
ボーナスが待ち遠しい
パート代を生活費にまわして自転車操業中。
何とか生活まわればそれでいい。
そこら辺はめちゃ楽観的。
どうすればお金をかけずに行けるか?本気で調べたら見つかった!やっぱり本気出すと違う!
行こうと思えば行けることがわかった。
希望が見えたら気持ちがスッキリ。
やったー!行ける!嬉しい!
今までは札所にたどり着く事を目的に歩き経路や計画を考えてた。
なので途中歩けなかった道もあった。
でも考え方が変わった。
お寺に到着する事が目的ではなく遍路道を歩くことが目的!
だから今回の道のりはお寺までかなり日数がかかるので、お遍路に行ってもお寺には辿り着けない。
限られた日数では足摺岬のお寺には到着できない。
でもそれでいい!と思えた。
ようやく歩き遍路の意味をわかってきたような気がする。
今の自分には遍路道を歩く!という事が大切なんだと。
だから経路は短縮せず、遍路道を堪能する歩き遍路旅をしていこう!と気持ちを改めた。
もちろん苦しみの先にはお寺があるから頑張れる。
そこには仏様が待っててくれる。
歩いていても側には空海がいる。
道を短縮してしまうとせっかく経験できる事を逃してる気がした。
道を歩くという事の中に大切な何かを教えてもらえる気がする。
これからは先を急がす、コツコツと目の前の道を繋げて歩く区切り遍路旅になるだろう。
歩き遍路と自分が続けている自己鍛錬で空海が身をもって教えてくれたように思う。
回数ではない、それをやる事で自分は何を得るか?
その経験や体験を日常の自分でいかに活かすか?が大事‼️
日常に戻った時に何も活かさなければ、ただ行っただけ、ただ回数を沢山こなすだけ、のものとなる。
それでは意味がないと思った。
そのための遍路であり、自己鍛錬であり信仰だと。
車遍路の時もいつも思っていた。
日常を離れお参りする日々を過ごすと心が解放され穏やかになり大切な根本を思い出せる。
身体共に浄化される。
でもそこに浸っていてはいけない、
日常に戻り頑張って乗り越えていくためのお遍路だと常々思っていた。
明石海峡から見える神戸の沢山の光を見て、深呼吸をし、よし!頑張るぞ!と気合いを入れて帰宅の途についた。
日常から逃げるためのお遍路ではなく日常を乗り越え何事も前進する強い自分になるためのお遍路。
自然の中で行う自己鍛錬も同じ。
日常の自分に活かさなければ意味がない。
もうかれこれ30年近く続けている。
細く長くでいい。
体が動く限り年齢にとらわれず
お遍路も自己鍛錬も続けていくだろう。
区切りで歩き遍路に行く楽しみが持てた事はとても幸せ。
道の途中で出会った高齢の歩き遍路さん達のおかげ。
年齢にとらわれず動ける体と気持ちがあればできるとわかった。
死ぬまで悔いのない生きた方をしたい。
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