夫婦で四国歩き遍路始めました。歩き遍路始めるまでの人生

今までは車遍路。
生きてる間に一度は歩きで遍路したいと思っていた。
子育てもあり、その途中に病気にもなり42才の時、右肺の上葉を全て切除した。
肺活量は減り呼吸機能が80代になった。
歩き遍路や、山登りなんて絶対無理、夢は半ば諦めていた。
階段の上がり、上り坂、負荷がかかる事は超息切れ、即体力消耗💧
歩く事さえ息切れが半端ない。走ってるような状態。
犬の散歩では私が犬に引っ張ってもらって歩いた。
歩くと高齢の方に抜かされる💧
でも、手術でこういう体になってしまった事は仕方ないと思えた。肺切除した事に悔いはなかった。
薬治療してる時は副作用に日々苦しみ「生き地獄」の体調不良だったからだ。
その中で子育てや仕事、家事をこなし、心から笑えない。
薬飲む事が辛くて毎日心で泣いていた。

あまりにも耐え難い苦しい副作用が新たに出現し、自分で決意し服用をやめた。
薬は病気を治す薬ではなく進行を遅らせる薬
未だ完治させる薬がないのです。
薬の副作用で体調不良になり毎日生き地獄を過ごすより、寿命が短くなってもいいから、
少しでも食欲を取り戻し、食べる楽しみ、生きる楽しさ、笑顔で家族と接する時間を過ごしたかった。

薬をやめた!と診察の時に主治医に言ったとたん、顔色が変わった。
やめると途端に進行が早くなるらしい。

20代の時から、なんでも相談してきた母の友人でもある、「おばさん」と読んでいる人がいる。付き添ってもらった。

男勝りの精神を持ってる人。私がウジウジ色んなことに悩んでいんでると、バッサリ言ってくれて、弱々しかった私をいつも励まし、背中を押してくれた。
そんなおばさんが、「病巣のある肺を取ってしまえばいいのよ〜」と簡単に言った。
え〜って思ったけど、、
主治医もそれを聞いて、切除するのはいいかも、となり、とんとん拍子に肺切除の手術へと進んだ。
肺を取るなんて😆想像もつかない、苦しくなるのかな、とか、酸素が不足する怖さと不安しかなかった。
子供も私立高校、私立大学と進学があり、超お金がかかる。私がなんとしてもパートで働かないとやっていけない。
働ける体に戻れるのか、不安でしかなかった。

そんな手術から6〜7年経った。
仕事のない日も雨の日は傘を差し、毎日毎日コツコツと歩く、負荷をかけるためにエスカレーターには乗らず階段を上がる事を続けた。
仕事は外まわり、
重い荷物を入れた仕事リュックを背負い電車移動、階段は使うしめちゃ歩く。
ちょうど良いリハビリトレーニングなのだ。
私の体にとっては有り難い仕事。今の今まで続けている。

コロナ禍にもなりマスク生活になった時は酸素不足になるから苦しかった。
でもその日々のおかげで呼吸機能が更に強くなった。
そのコツコツ続けたリハビリの日々、ようやく実を結び
「歩き遍路行こう!」と思える体になった。


次に続く〜

#病気 #手術#肺切除#歩き遍路#四国88ヶ所

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