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【京都】ほろ苦い路地の思い出。濃い人間関係にさようなら。

私は子どもの頃、大学を卒業するまで、路地にある小さな長屋に住んでいた。戦争から帰った祖父が、慣れない仕事をしながらお金を貯めて購入した家である。家の前の路地は舗装されていたものの、幅2メートルあるかないか。狭くて車が入ってこないから、幼い頃は三輪車で走り回ったり、蝋石で道いっぱいに落書きをして遊んだりした。夏休みになると、大人も子どもも路地に集まり、お互いぶつからないように気をつけながら、みんなでラジオ体操をした。朝、「門掃き※」をする時は、隣の家の前を掃き過ぎないようにと祖母から注意された。
小学校を卒業するまでは、路地の古くて小さな家に住んでいることを何とも思っていなかった。しかし、高校生ぐらいになると恥ずかしくてたまらなくなった。友達に「あんたの家、遊びに行ってもいい?」と聞かれても、何やかやと誤魔化し、とにかく家に寄せつけなかった。
大体このような路地、消防車も入れないのに火事になったらどうするのか。そう思って祖母に聞いたところ、「うーんと長いホースを使って放水するんとちゃう? 知らんけど」という、はなはだ頼りない答えが返ってきた。私はとても不安になった。
高校生の頃、憧れていた先輩がいた。その先輩は大学生で車を持っていた。春休みの昼下がり、私が家でジャージを着てごろごろしていると黒電話が鳴った。出てみると先輩の声。「お前の家の近くまで車できたぞ。どこやねん。コーヒーでも飲みにいこ」という誘いで、不意打ちをくらった私は飛び上がった。
私は先輩に、路地の出口からかなり離れた場所を教え、車を停めて待っていてもらい、急いで着替えて走って行った。こんなボロ家を見られるぐらいなら、死んだ方がましだと思った。先輩は、停めた車の前の家から私が出てくると思っていたらしい。ぜえぜえ息を切らせて走ってきた私を見て、怪訝そうな顔をした。
先輩が運転する車で一緒に喫茶店に行っても、私は自分の家を見られなかったかが気がかりで、うつむいてあまりしゃべらなかったように思う。先輩との仲はそれ以上進展することなく終わった。
路地に住んでいて嫌だったことは他にもある。狭いので、噂がすぐかけめぐるところだ。大人たちに「プライバシーって知ってますか?」と聞きたくなるぐらい、何でもかんでも筒抜けになる所であった。
私は大学生の時、ちょっとだけ競馬にはまり、時々、京都競馬場に行って馬券を買っていた。それを、隣の長屋に住んでいるおっちゃんに、しっかり見られていたようだ。ある日、おっちゃんがにやにやしながら寄ってきて、「なあ、勝ったか? 勝ったか? あのレース」とささやいた。私がもごもご口ごもっていると、おっちゃんは、うひひひと笑って行ってしまった。
こんな具合だったので、私は大学を卒業したらどうしても家を出たかった。絶対に、絶対に、路地と小さな長屋から離れて暮らすと心に決めていた。だから、新聞記者になることが決まった時、「やっと、ここから出られる」と心底嬉しかった。そして私は念願どおり、路地とも長屋とも離れて、マンション暮らしの転勤族になった。門掃きもラジオ体操もしないし、隣家の人と言葉を交わすこともない。寂しいといえば寂しいけれど、自分で選んだことである。これでいいのだ、きっと。
あれから30年以上たち、先輩は別の女性と結婚し、競馬好きのおっちゃんは鬼籍に入った。私があの小さな長屋に戻ることはもうない。ところが、最近になって京都では、路地の静かで懐かしい雰囲気が見直されている。路地のおしゃれなお店が話題になることも多い。不思議なものである。

※門掃き(かどはき)=自分の家の前の道をほうきで掃除すること。隣家の前まできれいに掃き過ぎることは、お節介でよくないとされる。



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