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ヴェネツィア物語

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ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意、ヴェネツィアをめぐる物語。
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#ヴェネツィア的料理教室

ヴェネツィア物語

これから長々と私のヴェネツィア物語をお話しします私たち夫婦は、縁あってヴェネツィアとそこに暮らす人々に出会いました。 これまで長い間通い続け、そのコミュニティーに身を置き、自然環境と シンクロした昔ながらの暮らしに触れてきました。 #都市型スローライフヴェネツィア的生活ヴェネツィア、とりわけヴェネツィアのマンマに出会って、確実に人生が 変わったと思っています。 生活の質、ほんとうの豊かさ、自分らしく生きるということーー。 多くの人にヴェネツィアで暮らす人々の生活を知ってもら

マンマのリチェッタのゆくえ

実家への里帰りよろしくヴェネツィアに通うこと25年あまり。 私にとって何より大事なのは、マンマ・ロージィと一緒に暮らすこと、 そして世にも幸せな味のマンマの料理を学ぶことでした。 マンマの料理には、生粋のヴェネツィア人としての心意気と家族のために 傾ける情熱のすべてが込められていました。年を経てマンマ自身も老境に さしかかってくると、互いに一時でも長く一緒にいたいという思いは強くなっていき、ヴェネツィアにいる間はどんな約束よりマンマと過ごす時間が最優先でした。 #家庭の味

リチェッタの秘密

ヴェネツィアの家でマンマ・ロージィと過ごした日々。 他愛もないおしゃべりをしながら市場へ買い物に行き、狭い台所に立ち、 円い小さなテーブルで食事をする。ただそれだけであたたかい気持ちに 包まれる、何ものにも代えがたい至福の時でした。 何であれすべて必ず終わりがあると分かっているからこそ、 その一瞬一瞬が大切でした。 マンマの味を守りたいという情熱後年パパ・ヴィットリオを失ってから、ひとり暮らしになったマンマは、 おそらくいつもは簡素な食事ですませているようでしたが、私たちの

マンマのテーブルクロス

愛するマンマ・ロージィについて、さて何から話そうと思った時、 真っ先に心に浮かんだのは、ヴェネツィアの家のあの戸棚でした。 リネンはマンマの宝物2013年、ヴェネツィアの家でマンマと過ごした数週間、互いにそれが最後になるかもしれないという何か予感のようなものがあったのでしょうか。 いつもは私たち夫婦はサロンのソファベッドを使うことにしていました。 けれど、その時に限ってマンマがふだん自分が使っている広い主寝室を使うようにと頑固にすすめるので、しかたなく従うことにしたのでした

ヴェネツィア名物エル・サオール    ①おしゃべりがご馳走

誰もが夢見るヴェネツィア暮らし。 それは、私たちがちょっと忘れかけている濃いつきあいのコミュニティーに身を置く暮らしです。イタリア人の中でも飛びぬけておしゃべりな ヴェネツィア人、常に最大級のコミュニケーション力を要します。 #チャーオで始まるヴェネツィアの1日 *アパートの中庭コルテ *夕暮れ時のフォンダメンタ パリから夜行列車に乗って、朝のヴェネツィア、サンタ・ルチア駅に着く。 ここから目指す家まで荷物を曳きながら歩いていくのが常でした。 近所のバルビエレ(床屋)

ヴェネツィア名物エル・サオール    ②鰯の甘酢漬け

ヴェネツィア人をつかまえて、「ヴェネツィアの名物料理は?」と尋ねたら、ほぼ全員が「そりゃサオールだろ」と答えるに違いありません。 ヴェネツィア中の料理屋や居酒屋のどこにでもある定番料理、 サオールのお味とは? #ヴェネツィア人は甘酸っぱい味が大好き エル・サオール=EL SAOR、一見スペイン語のようなこの料理名は ヴェネツィア弁で、イタリア語ならばイル・サポーレ=IL SAPORE、 すなわち「味」の意。 味なもの、旨いもの、の代名詞というところでしょうか。 サオールと

アペリティーヴォのすすめ

ヴェネツィア名物の食前酒APERITIVO=アペリティーヴォといえば、 白ワインベースのカクテル、SPRITZ=スプリッツ。 明るい赤色のお酒は日々の暮らしの楽しいアクセントです。 ヴェネツィア暮らしのアクセント 食事の前の軽い一杯、アペリティーヴォはヴェネツィア人にとってなくてはならないものとして町歩き=パッセジャータとセットになっています。 ヴェネツィア暮らしの昼食は午後1時くらい、夕食は夜9時くらい。 マンマと一緒に夕食前はもちろん、お昼の前もアペリティーヴォ。 市場

ヴォンゴレかカパロッソイか

実家への里帰りよろしくヴェネツィアに通うこと25年あまり。 私にとって何より大事なのは、マンマ・ロージィと過ごす時間、 そして世にも幸せな味のマンマの料理を学ぶことでした。 本当の豊かさとは何か?マンマが私に手渡してくれたものを、 その味とともに、次の誰かに伝えていきたいと思っています。 アサリのスパゲッティを食べないヴェネツィアっ子アサリのスパゲッティは、おそらく日本人が一番よく知っている イタリアン、パスタ料理のひとつではないでしょうか。 そしてSpaghetti al

ヴェネツィア的料理教室

縁あってヴェネツィアとそこに住む人々に出会い、 その自然とシンクロして生きる暮らしに触れて、生活の質とは、 ほんとうの豊かさとは何かに気づかされました。 以来、東京住まいながら、小さなエネルギーで豊かに暮らす 都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。 実家への里帰りよろしくヴェネツィアに通うこと25年あまり。 とりわけヴェネツィアのマンマに出会って、確実に人生が 変わったと思っています。 私にとって何より大事なのは、マンマ・ロージィと過ごす時間、 そして世に

ヴェネツィア名物オンブラ・エ・チケッティ

ヴェネツィアにはBacaro= #バーカロ がある。 バーカロとは、いわゆるバールとトラットリアを合わせたような、 ヴェネツィア独特の店の呼び名。 ふつうのトラットリアと一線を画するのは、ここがワイン飲みを主体とした居酒屋だというところです。 入り口に(立て込んでくると立飲みテーブルにもなる)ワイン樽が ひとつふたつ並べてあるのが目印。 中を覗くとたいがい鰻の寝床のように細長く、バンコと呼ばれるカウンターがのびています。入り口近くの立ち飲みスペースを抜けていくと奥の空間は意外

イタリアのおうちごはん教えます

さて、これからどうやって、非常にパーソナルな味、ヴェネツィアのマンマの料理を伝えたらよいかと考えています。 マンマから学んだ「よりよく食べることはよりよく生きること」を多くの みなさんと共有したくて、今まで本にしたり、ブログを始めたり、不定期に自宅でレシピつきの食事会を行っていたこともありました。 そして今回のnoteでの試みです。 私が伝えたいことは、食を軸としたライフスタイルなので、 エプロンを持参して参加するような、いわゆる料理教室には あてはまらないかもしれません。

メルカートへ行こう

ヴェネツィアで真っ先に行くべきところ、それはサンマルコ広場でも アカデミア美術館でもなくリアルトのメルカート、つまり市場です。 私がイタリア語、そしてヴェネツィア語を体得したのも、 マンマと連れ立っていく市場という野外教室でした。 そこには日々の食卓にのる幸せや、生き生きした人生そのものがあります。 朝のカフェを飲みながら 朝のカフェを飲みながらマンマとその日の献立の相談。 「昨日は何を食べたっけ」に始まり、ヴェネツィア独特のリチェッタ (レシピ)や体にいい食べものについ

ただ「茹でた魚」がこんなにおいしい〜ヴェネツィアのキッチンから

この魚料理をはじめて食べたのは、 ヴェネツィアのマンマの長男アドリアーノの家でした。 しかもそれはお葬式の後の家族や親戚が集まる食事会。 茹でただけの魚なんて、と敬遠していましたが、 すすめられるままに食べてびっくり。 以来、我が家でも #魚料理の定番 になりました。 #常識をひっくり返すはじめての味その日の昼食の主役はbransin=スズキでした。 ニジマスくらいの大きさの小ぶりのスズキは、アドリアーノ自身が 今朝ラグーナで釣ってきたもの。 10匹以上もの魚を半分グリリエ

¥150