見出し画像

「本心に従って生きる」事業開発 河原田 保彦 l\\てんちびとインタビューVol.12

皆さんこんにちは! 天地人の学生インターンの鈴木です。
 
天地人(てんちじん)は、衛星データを使った土地評価コンサルを行っているJAXA認定ベンチャーです。地球観測衛星の広域かつ高分解能なリモートセンシングデータ(気象情報・地形情報等)や農業分野の様々なデータを活用した、土地評価サービス「天地人コンパス」を提供しています。
 
今回は、てんちびとインタビューの第12弾として、天地人の事業開発 河原田さんにインタビューします! 月1回、天地人の社員を紹介しています。

河原田 保彦プロフィール
東京都出身で、最初の職は美容師。
美容師から建築、イベント業界への転身を経て、まちづくり業に長く携わる。
コロナ禍をきっかけにまちづくり業に一区切りつけ、天地人に入社。
天地人では、ビジネス開発全般を担当。
休日はヨガやイベントにでかけるアウトドア派。
好きな野菜はバナナ。

心惹かれた「建築」

建築に進もうと思ったきっかけ

表参道の美容室で働いていたので、仕事終わりに職場の近くにある青山ブックセンターによく通っていたんですよ。
インターネットがまだ普及していない時代なので、青山ブックセンターに置いてある専門的な本はどれも魅力的でした。気がついたら「建築」関連の本をよく見ていたんですよね。
このとき21歳だったので、まだ方向転換できる年齢だと思い、美容師に区切りをつけて、建築の世界に飛び込むことに決めました。

どのように建築の世界に飛び込んだのですか?

安藤忠雄さんに影響を受け、1ヶ月間でヨーロッパ10カ国ほど建築巡りの旅をした後、インターンとして、雇ってくれる建築事務所を探しました。雑誌を見ながら電話して、約20社くらいで会社が見つかりました。

インターン先でお世話になっていたある時「建築は人の命に関わる仕事なので専門的な知識を学ぶ必要がある」と言われ、建築学校に通うことを決めました。

美容業界から建築方面へ行くにあたって、迷いはなかったのですか?

迷いはありましたが「建築をやってみたい」という自分の本心に嘘はつきたくなかったので、思い切って建築の世界に飛び込みました。

見つかった「体験を作る」という武器

建築学校で印象に残っていることはありますか?

私は、建築というと、造形などの形に残るものを指していると思って入学しました。
ですが、建築学校の入学説明会の校長の話をきっかけに建築の見方が変わったんですよね。
「建築は造形も重要だが、その中で過ごす人がどんな体験をするのか、またどんな時間を過ごしたいのかを考えて設計する事が重要」という話が印象に残っています。

その話が印象に残ったのには、理由があったのでしょうか?

昔なので記憶があやふやですが、イタリアのフィレンツェにミケランジェロが設計したラウレンツィアーナ図書館があり、その中に美しい階段があります。
この階段に対する考察が先程の話に通じるんですよ。
「当時の人達がどんな想いで日々を過ごしていたのか?」「どんな気持ちだとこの階段を登りたくなると思うのか?」そんな話を聞きながらミケランジェロが設計した実際の建築の写真を見て、建築の奥深さに感銘を受けた記憶があります。

その後、どんな仕事をしたのですか?

建築学校卒業後は、希望するアトリエ系建築設計事務所の社員になれなかったので、他の設計事務所でアルバイトしながらポートフォリオを製作していました。

しかし年齢が26歳という事で、色々将来について悩んだ末、「造形を作る」は諦め、「体験を作る」に特化する事にしました。理由は、「建築家ではないが建築的な価値を提供できる」と考えたからです。具体的にはお台場や銀座、渋谷のカフェやジャズバー、クラブで、空間にこだわった音楽イベントの仕事を始めたんですよ。
人と話す事が好きな自分に合っていた事もあり、とても楽しく仕事ができました。

まちづくりを通じて「体験を作る」

具体的に、どんな仕事をしたのですか?

神田エリアにあるコワーキングスペースの責任者をやりました。
神田エリアの再開発を行うデベロッパーに出会った事がきっかけで、神田エリアのまちづくりに関わり、その後その会社に出向することになりました。

出向後は、神田エリアの魅力向上のため、デベロッパーと一緒になって、外から遊びに来る方、街に住む方、そして働く方それぞれが魅力的に感じるためには? という視点で、仕事をしていました。
私は、主にイベント、PR、コミュニティー作りを仕事にするエリアマネージメントの仕事に携わりました。

どのようにして魅力向上をしたのですか?

最初は街の潜在的な魅力を可視化するため1年間で約200人ほど取材を行い、街の人を主役にするメディアを作りました。その取材を通して多くの繋がりが生まれ、また街の様々な情報をデベロッパーと共有してイベントやその他の仕掛けづくりに活かすことができました。 

例えば神田エリアは日本でも有数の純喫茶が集まる街ですが、コーヒーに関連するイベントがありませんでした。そんな時に新しくオープンしたコーヒーのお店と一緒にコーヒーフェスティバルを開催したんですよ。結果、多くのメディアに取り上げられたり、海外のコーヒー店もイベントに参加するなど神田エリアの認知向上に貢献、現在もイベントは継続しています。

また音楽祭や子供向けの学びのフェスティバルなど、様々な客層に刺さるイベントを仕掛けながら、神田の街に初めて足を運ぶきっかけを作り、住む街・働く街の認知を行いました。本当に地道な活動なのですが、お洒落なお店も増え、また有名なクリエイティブ企業も神田エリアにオフィスを構えるなど街の雰囲気も徐々に変わりました。

武器の「体験作り」に起きた変化

河原田さんは、コト消費のきっかけを作っていたんですね。

ここまでの人生は「体験を作る」といったコト消費を中心とした仕事をしてきました。
しかしコト消費だけではない自分の新しい武器を作る必要を感じていました。

まちづくりに携わりつつ新しい武器を作りたいと思っていたときに、たまたま宇宙ビジネスカンファレンス「SPACETIDE2018」に参加したんですよ。
宇宙にはロマンがあるという考えから、宇宙はビジネスとして面白い分野だという考えに、宇宙に対する気持ちが変化しました。
そこから積極的に宇宙イベントに参加するようになりました。


天地人事業開発・河原田 保彦

データで裏付けられた武器を作るため、天地人へ

天地人はなぜ入社しようと決めたのですか?

コロナ禍で人と接触できない日々を過ごす中で従来のまちづくりと違う方法が必要と思ったからです。
またコロナ禍が落ち着いたとしても、今後も同じ様な状況が起こる可能性を考えたんですよ。天地人が行っている宇宙からの土地評価ビジネスは、まちづくりの延長として日本や世界の地域活性にデータの観点から貢献できる可能性を感じました。また、S-Boosterのアイデアソンに参加した事もあり天地人で働いてみたいと思いました。

天地人に入ってみて、河原田さんはどう思いましたか?

衛星データを使うといった新しい武器を手に入れる事ができたので、ワクワクしました。
天地人は、特定分野のスペシャリストが本当に多くて入社当初は圧倒されました。

天地人に入って、河原田さん自身に変化はありましたか?

一般の人が日常生活を快適に過ごす裏には様々な社会インフラが正常に稼働している必要があると思います。
天地人のソリューションは様々な社会インフラを支援したり、人の目に見えないものを気づかない間にサポートしたりしています。
こういった点が、天地人の仕事は素晴らしいと感じるところです。
仕事を通して社会課題がより自分ごとになりましたね。

いままで、様々な思い切った選択をしてきたように思えるのですが、振り返ってみていかがですか?

自分が本当にやりたいと思う事にはチャレンジしてきました。
その原点は、年齢を理由に新しい世界を見たり経験する事をあきらめたくないと思っているからだと思います。

天地人では「チームがより活躍するために自分ができる事は何か」「社会を変えていく事業を応援するファンをどう作っていくか」といった場づくりの仕事で培った自分の強みを活かしながらこれからも頑張りたいです。

河原田さんが昔の自分にかける言葉

私は、「これだけは誰にも負けない専門性を身につけろ」といいたいです。
天地人で働くメンバーは圧倒的な専門性を持っており、私自身も毎日刺激になるし、お客様に圧倒的な価値を提供するためには重要な要素だと思います。

最後に一言お願いします!

「人間、好きな道によって世界を切り拓いてゆく」
坂本龍馬が残した言葉が私の座右の銘です。
一度しかない人生なので自分の本心に従って、生きていきたいと思います!

以上、河原田さんのインタビューでした。
これからも天地人のメンバーにインタビューしていくので、お楽しみに!
 

天地人では、衛星や地上の様々なデータとAIを活用して、課題解決に向けて情報分析、ソリューション提供を行っています。ご質問等ございましたら、info@tenchijin.co.jp までお気軽にお問い合わせください。
 
株式会社天地人では一緒に働く仲間を募集しています!