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ゴメス・ザ・ヒットマン ライブ・レビュー 2023.12.8 吉祥寺 スター・パインズ・カフェ

僕が初めて聴いたゴメス・ザ・ヒットマンのアルバムは「omni」である。当時の僕は発売間もなかったこのアルバムが彼らのキャリアのなかでどういう位置にある作品なのかもよく知らなかったが、このアルバムのポップな意匠とその背後にある生真面目さやシリアスさとの奇妙なバランス感、さらにはそこから先へ行こうとする意志が印象的で、そこからゴメスや山田稔明とのつきあいが始まったのだった。

ゴメス・ザ・ヒットマンのデビュー以来の足跡を4回にわけてたどるライブ企画の第3回。この日のライブでは2002年の「mono」から2003年の「omni」を経て2005年の「ripple」までの三枚のアルバムを中心に演奏した。プレクトラムの藤田顕がギターでサポート、上野洋がフルートで数曲に参加した他、アンコールではプレクトラムのタカタタイスケがギターを演奏した。

この時期、ゴメス・ザ・ヒットマンはメジャー・レーベルとの契約を失い、インディペンデントでのアルバム・リリースを経ながら新たなメジャー契約を獲得するなどバンドの存在自体が問われる困難な状況にあった。山田はちょうど30歳になるかならないかの年齢で、コンビニでアルバイトをしながら音楽活動を続けていたという。この日のMCでもこのころのことについて「あまり覚えていない」「思い出したくない」とコメントしていたのは率直な心情だったのだろうと思う。

確かにこの日のテーマとなった三枚のアルバムには拭いがたい「暗さ」がある。『僕はネオアコで人生を語る』と言い放った初期の突き抜けるようなオプティミズムが挫折を経験し、作品からうかがえる山田の視線は未来よりは現在に、遠くよりは足許に、世界よりは自分の内側にフォーカスされていているように思える。そこにあるのは答えの出せない問いかけであり、終わりの見えない巡礼である。そしてゴメス・ザ・ヒットマンとしての活動はアルバム「ripple」を最後にしばらく途絶することになる。

しかし、その「内省の時代」は山田に表現上の大きな深まりをもたらしたと思う。それはこの日演奏されたこの時期の曲がどれも、今もなお僕たちの心のなかの深い場所を直接ノックするような強いモメントを具えていたことからもわかる。僕たちは聴き慣れたゴメスの曲をガイドに自分の内側に潜り、旅した。「僕はなんにも恐くないよ 手に負えないものじゃなきゃ」と歌う山田の声に沿っておそるおそるそこにあるものを手に取り確かめた。

それはその後山田のソロ活動を経てゴメス・ザ・ヒットマンが復活を遂げ、今に至る彼の音楽の底流にあり続けているものだ。ままならぬものを不可避的に抱えこみながらも、毎日をドライブしどうにかこうにか生活を、生の営為をやり繰りして行くこと。そこに生まれる日々の泡のような心のゆらぎやきしみをこそ、メロディに乗せ歌うこと、それがこの時期の山田が身を削りながら手にした表現上の成長であったのだと僕は思う。

それはブルースだ。初期のゴメス・ザ・ヒットマンがポップスだったとすれば、彼らの音楽はこの時期に、ブルースへ、さらに言うなら「サバーバン・ブルース」とでもいうべきものへと本質的な変化を遂げた。

それを跡づけるこの日のライブを通して、僕はゴメス・ザ・ヒットマンや山田稔明の音楽とともに過ごした20年をあらためて生き直すような気がしていた。僕自身が抱えこんだままならぬものをやり繰りするなかで、彼らの音楽は欠くことのできないものとしてそこにあった。もちろんあのとき「omni」に出会っていなければ、その場所は他のだれかの音楽によって占められていたのかもしれない。それが他のだれかではなく、ゴメスであり山田であってよかった。それがなにより嬉しかった。

この日、財布を職場に置き忘れてきてしまい、入口でドリンク代が払えずに困っていたところ、後ろに並んでいた女性が700円を代わりに支払ってくださいました。その場ではお礼を言うことしかできず、好意に甘える形になってしまいましたがほんとうに助かりました。どうもありがとうございました。

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