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【闘病804日目】2023年9月4日の生存報告【白血病】

 化学療法の開始から4日目。まだ体調に大きな変化はないものの、副作用の兆しのようなものを感じる瞬間は出てきた。これから体調が崩れるかもしれないが、あまり気負わず、できること、やりたいことをやっていこう。

▶体調の変遷

▷血球推移

 血球の値は若干下がったが、それでもしっかり維持できているレベル。ドナー由来の血球が頑張ってくれている証拠、ありがとうございます。
 肝臓の値も正常値に入り始めたのでやはり副鼻腔炎の抗生剤との相性で間違いなさそう。今後同じ症状が出た時も同じように注意が必要なのだろうか。

▷体調の変化

 現在、抗がん剤は飲み薬と点滴の2種類を服用している。飲み薬は個予備の爪ほどの大きさで結構大きく飲みづらい。それを4錠毎朝飲んでいる。点滴は10分程度で終了するが、点滴のあと、少し体調の悪化と吐き気を感じる気がする。まだ何となくの状態だけど、今日は少し昼食が食べにくかったので、これが続くようであれば吐き気止めを追加してもらうように依頼しようと思う。頼れるものにはしっかり頼って少しでもQOLを高めておきたい。

▶雑記

▷人生会議

 現在大分県では『人生会議』と言われる取り組みの認知度の向上、啓発活動を積極的に行っているようだ。今回入院した時に看護師さんからさらっと資料を渡された後、特に読み込んではいなかったが、今日担当の看護師さんに少し話をしてもらって、興味を持ったので改めて資料に目を通してみた。

 すごく端的な説明をすると、自分に何かあった時の自分のことや終末期医療を受けなければならなくなった時、特に身体的、精神的に正常な判断ができなくなった時、頼れる人はいるのか、どういう治療を受けたいのか、どのようなことを大切にして最期を迎えたいのか。というような判断について事前にある程度の意向を示すようなものである。

 自分が死ぬ可能性について話をすると、「死んでしまうことなんか考えていてはいけない!」と叱咤激励をくださる方もいらっしゃる。その方たちは100%善意で、自分の病気が治ることを心から信じて、このように励まして下さるのだとは十二分にわかっている。本当に自分はいい人たちに恵まれていると思う。

 ただ、「生きること」を考えることと同様に、「死ぬこと」を考えることは、矛盾していたり忌避的なことではない。自分たちのような大きな病気やケガ、治るかわからない治療を続けられている方々は、常に死が手招きしているような状態で日々を暮らしている。恐らく健康な方よりもずっと身近に『死』が感じられると思う。

 特に、自分のようながん患者は、その進行速度がはやく、体調が崩れてから数日、数週間で亡くなることも少なくはない。自分の父がそうだった。継続した治療で相当に体力が落ちてはいたが、比較的しっかりと受け答えができていたある日から、体の痛み、呼吸困難、急激な意識の混濁状態というように加速度的に体調が悪化していき、最期は息を引き取った。それだけ病気、ことさらがんによる死というものは急速にやってくるのだと、自分もいずれはこういう時がくるのかもしれないと、父の亡骸を前にして自分の最期の可能性に恐怖したことを覚えている。

 父は体調が崩れる前から「こうなったときはあぁしてほしい」ということを母に伝えていたようだ。本人の意識が混濁し、痛みにもがいている状態で今後どのように最期を看取るのか、母と自分と担当の先生と話をした際に母から父の意志を聞いた。自分はその意志を尊重すべきだと考えたので先生にお願いをし、父が望んだ最期の形を迎えられるよう処置を行っていただけるようになった。

 意識がほぼなくなっているような状態の父が、その処置に対してどのような認識をしていたのかは、もはや誰にもわからない。それでも父にとって最も頼れる存在であるはずは母に伝えたことだったので、きっと後悔はしていないのだろうと信じている。

 『自分軸で生きる』といことをブログに書いた。これの行きつく終着点が、自分の死の際でどのように最期を迎えたいのか、ということになるのだと思う。多くの場合、死ぬには時間がかかる。部屋の電気を消すように、パチッと生と死が切り替わるものではない。緩急の差はあれど、階段を下るように徐々に死に近づいていく。その最期の階段をどのように降りていくのか、そこを考えること自体は決して間違ったことではない。

 自分がいま頼れると思っている人は少なくない。きっと力になってくれる人はいる。その中で最も頼れるのはやはり妻だ。人生のパートナーとしてと共に生きていけることは自分の人生でも最良の選択だと思っている。その妻にできるだけの迷惑と負担をかけず、自分の死に変な後悔や心残りを指せないためにも、自分の死に際を考えておこうかなと思った。

 ものすごく失礼な話だが、自分の人生は死ねばそこで終わり。霊的なものを信じているわけではないし、死後の世界というのもありはしないだろうと思っている。それでも妻や娘、周囲の家族や友人は、自分が死んだ後も生き続けていく。自分が死んだという事実を背負ったうえで人生を歩いていく。
 その中で、自分のことでその人たちの足を引っ張りたくはない。


 こんなにも自分が死ぬことについて長々と書いたが、もちろん無碍に死ぬつもりはない。病気は治すつもりでいるし、最期の最期までしっかりと治療を続けるつもりでいる。人生100年時代、やっと後半戦への折り返しが見えてくるのがこれからだと思っている。病気を治し、娘が大人になり、手がかからなくなって「あとは死ぬだけかぁ」と冗談で言えるようになるまではしっかり生き抜くつもりでいる。
 それでも、自分の最期は自分の選んだ形で迎えたいし、その思いはしっかりと周りの人にも伝えたいと思っている。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!