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眠れなかった夜に考えたムダなこと

 白血病になってから、色々と思い耽る夜は多かったけど、先日の一時退院中に1度だけ、眠れない夜を過ごしていました。そのときに考えてた『ムダなこと』について何だか文章にまとめたくなったので、気持ちの整理も含めて書いていこうと思います。

▶眠れなかった原因

 1つは娘の寝かしつけをしながら一緒にうたた寝をしてしまったことです。普段は娘を寝かしつけて、皿洗いなどの家事を終えた後に私も寝るのですが、その日は多分寝かしつけを終える前に寝てしまったみたいで、23時頃に目が覚めました。「皿洗って洗濯機の予約入れないと…」とリビングへ向かって家事をしたりしたことで目が覚めてしまったようです。

 もう1つは、今後の治療がどうなっていくのか、それを考え始めてしまったことです。

▶次の入院・検査・抗がん剤治療の重要性

 現在、『寛解導入療法』から『地固め療法1クール』までは寛解状態(骨髄中の白血病細胞5%以下の状態)を維持できていますが、この寛解状態は『顕微鏡等による検査』での検査結果であり、更に精度の高い検査を行った場合に、まだまだ白血病細胞が大量に残存している可能性があります。
 次の地固め療法3クール目の前段で骨髄生検を行い、これまで以上の精密な検査を行い、その結果をもとに、今後の私の治療が『移植を要する』ものか、『化学療法で対応できる』ものかの判断を下すようになります。
 つまり、今回の入院は今後の私の治療の進め方を大きく変える可能性があります。

▶今後の治療が怖くなってしまった夜

 そういったことを考え始めると、もう目もぱっちり冴え渡り、睡眠どころではなくなってしまいました。
 リビングに降り、以前に主治医の先生からいただいた資料を読み直したり、良くないと思いつつも『白血病 生存率』などのワードを調べたりと、手が止まらなくなってしまいました。
 急性リンパ性白血病の生存率は小児であれば80%以上と高い治療実績がありますが、成人になると、この実績からはだいぶ低い数値となるようです。
 ネットで調べると15〜35%、60%程度などばらつきがあり、やはりあまり信憑性の高い情報は得られなかったなと思いつつも、『死ぬ可能性が充分にある病気』ということははっきりと分かるものでした。
 常々誰かと話すときや、不安を感じたとき、「自分は必ず克服する」と口に出して覚悟を確かめてはいましたが、こうやって不確かとはいえ色々な邪推を始めてしまうと、もう考えたくはなくとも、自分が死んでしまうことを想像し始め、体の内側から寒いとも熱いとも言えない感覚が全身に広がるのを感じました。多分『死ぬこと』に対して心底ビビっているのが体にも伝わったのだと思います。

 そんな感じでビビりあがってしまったので、「とにかく布団に入って考えないようにして、せめて横になっておこう」と思い寝室に戻りました。

▶寝室で見た光景

 深夜3時過ぎ、寝室に戻ると、妻と娘は変わらず熟睡しており、娘に至っては暑かったのかお腹を出したまま寝ていました。
 服を正して布団をかけながら、「もしも死んでしまったら、こんなこともできないし、これからの娘の成長もなにひとつ見れなくなってしまうんよなぁ」と思うと、涙が出ました。
 「パパが帰ってきてよかったねぇ」と退院中に何度か娘がいいます。
 娘はまだ2歳半、それでも父親である私がどういう状況なのか、娘なりに理解しているようで、我慢を強いてしまっている様子を妻から聞きました。(私が退院すると途端にとても楽しそうになるのと同時に甘えん坊になるようで、さっきまで自分で食べてたごはんを私に食べさせてほしいとねだったりしてきます。可愛い笑)
 こんなに可愛く賢い娘に悲しい思いはさせたくありません。

▶そのままほぼ徹夜

 そのまま色々考えてる内に朝になり、妻が起きだしたので一緒にリビングに降りて眠れなかったこと、その原因を話してみました。
 「病気になる前ならそういったことを話してくれることはなかった。その変化が嬉しい」「私なら毎日のようにそうなってしまうと思う」とゆっくりと話しを聞いてくれました。
 自分自身、妻にこうやって自分の不安を正直に伝えられたのは意外な感じでした。やっぱり心配かけたくなくて何となくセーブしていたのかもしれません。そのまま仕事の話や、職場の人から励ましの言葉をもらったよ、なんて他愛のない話をしている内に娘を起こす時間になり、また我が家の1日が始まりました。

▶自分の心の整理

 この病気で私は死んでしまうかもしれないのは事実です。だけどそれはできるすべての治療を受けて、それでもだめな時に初めて考えるべきことであって、今はまだそんなことを考える必要もなく、ただ、目の前の治療をしっかりと受け、先生達と1チームで病気に克つための努力を積む段階です。

 精密検査だってまだまだ検査を受けてすらないのに今その結果に怯えても仕方ありません。完全に『ムダなこと』に心を乱したってなんの意味もありません。仮に検査結果が芳しくないとしても、それに見合った治療を受けて病気に打ち勝てるよう努力を繰り返すだけです。
 病気になってから、Twitterを始め、同じような病気の人達と繋がりを持つことができました。その中では自分よりも1周り以上若い子が移植に向けて努力を続けている。それもどれだけ辛いとしても『生きる』ための努力です。私よりもよほど強い心と覚悟をもって生きているなと感じます。

 私の心はまだ少し弱っていますが、それもまた自分としっかり認めた上で、できることをやっていこうと思います。まだまだ死ぬわけにはいきません。生き残るためにできることは全部やっていこうと思います。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!