サークルで暴れる人を忖度して放置したらクラッシュした話

先日またしても筆者所属のオンラインイベントサークルが炎上した。
詳細な経緯を書くことを差し控えるが、ざっと流れを説明すると

チャットのコメントに対して不満を持ったユーザーAがユーザーCに不満をぶつける
→それを見た別のユーザーBがAを諌める
→Bのコメントに対しAが逆上。Bに対して謝罪を要求
→事態を重く見たリーダーが仲裁。A、C間を取り持ち、Bに対しては「注意することを慎むように」というコメントを発信。
→Aの言動が更に過激化!遂にBがキレる!
他メンバーを巻き込んで脱退続出。
→無事サークルクラッシュ!

軽く流れを抑えるとこのような感じである。「注意することを慎むように」という一見逆説的な内容に捉えられるこの文章だが、実はこの文は現代社会を生き抜く我々にとっては重大な孕んでいるのである。
どういうことか?
筆者独自の視点で解説していく。

注意することを注意するとは

冒頭に提示した疑問は本稿においてどのような意味を持つのか。
それは注意をする行為そのものを差し控える、という意味である。
例えば、ゴリゴリのイケイケのヤバめなマッチョDQNが電車の中でタバコを吸う、酔って暴れていたとする。
それを見かけた正義感は強いがヒョロヒョロで喧嘩経験ゼロのサラリーマンが上から目線で注意する。
どうなるかは読者の皆様のご想像通りだが逆上したマッチョDQNはヒョロヒョロサラリーマンをボコボコに叩きのめし、自分に注意したことを謝らせた。
本来の社会的マナーを踏まえるとヒョロヒョロサラリーマンの言い分が正しく、DQNは誤りである。なので注意を受けたDQNはすぐに行動を改め謝罪をする側である。
ところが、社会的マナーとは逆の結果が起き、ヒョロヒョロサラリーマンが謝罪するハメになった。
世界は何と不条理なのか。多くの人はこう思うだろう。
しかし、社会的マナー、もっと言えば法律が出来たのは、民主主義であることを前提とすれば多くの人がそう望んで投票した背景がある。そして決まったことを行き渡らせるには従わない者は捕えるという警察権力が必要である。ある意味正義の暴力である。
話を戻すと、この時DQNとリーマンの周りには人がいなかった。ヤバめな雰囲気を察して乗客は別の車両に避難していたのだ。
つまりは一対一の状況であり、法律は力を持った側が行使する。
つまり喧嘩の強いDQNの方がこの2人の空間における社会においては正義となる。

正義論について語るのはここでやめるが、要するに一対一の状況で力のない者が注意したら絶大な報復を受ける、ということは自明の理なので注意をすることを差し控えるというのは実に当たり前の選択肢なのである。

しかしこの選択肢は個々人の安全を保障するという意味においては有用ではあるが、

コミュニティの秩序を守るという点では悪手となる。反社会的行為に対して誰もそれを止めることができないからである。

この2人を超えた大枠の社会からすれば、このような正義と悪の逆転現象のような事が起きては多くの人が困るはず。

サークルクラッシュへの道

今回の事態が起こったのはオンラインイベントサークルである。
名誉棄損、誹謗中傷などの法律に反する行為がない場合、警察は基本的には介入することはない。
つまりオンラインサークル内ではトラブル発生時に危険を除去できる組織が存在しない。

そこであてにできるのはサークルの運営のリーダーである。別記事でも書いたが、オンラインサークルのリーダーはその性質上、コミュニティにおける「神」のような存在にもなりうる。
自身の判断一つでいくつもの法律を制定したり、秩序を乱すものに対しては独断で追放する権限を持つのである。

だがこのリーダーによる秩序安寧にも欠陥がある。それはリーダーが民主主義、自由性を重んじるあまりに制御力を失う、ということである。
件のサークルにおいては所属するメンバーの自主性に重きを置き、自由な立ち回りができるということが強みであった。しかし、メンバーそれぞれが考える自主性、自由の概念は十人十色である。
とある意見を持つメンバーに対し、別の意見を持つメンバーが異議を唱えた場合、適切な議論をする場や能力があるなどの条件を除き、大抵の場合は両者が激突する。
お互いに持論を正義と信じているので絶対に妥協点は見つかることなく平行線を辿る。
そしてどちらかが周りの支援を得る形で勝利し、負けた側はコミュニティからの離脱という形で大抵の場合は決着がつく。
何とも後味の悪い結末だが、この状況を世間ではいわゆる「サークルクラッシュ」と呼ぶ。

それは他人事ではない

今回の件は「サークルクラッシュ」を恐れたとある第三者が介入し、事態の収拾を試みたが却って炎上した。介入した第三者は注意することを慎むようにという指摘のもと自身の仲裁を取り下げる形となった。

このようなサークルクラッシュは件のオンラインサークルだけではなく、人間が存在するコミュニティどこにおいても発生する。
圧倒的な権力を持つ独裁的グループであれば強権を以て瞬間的に解決するが、昨今の民主主義的を重んじる傾向の国内ではそのようなコミュニティはなかなか存在しない。
つまりサードプレイスとしての場に入るのであれば、このようなサークルクラッシュはいつでも起こりうるということが本稿の主題である。
そして一度、このようなことが起これば崩壊、もしくは自治権の放棄という2択しか無くなるのである。
他社への注意を注意しなければならない社会、あなたがその言葉を聞いた時、あなたの所属するコミュニティは崩壊への序曲を迎えたのかもしれない。

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