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2024.06.01それぞれの立場

「また6月集まろう、もし私が日本にいたら!」
去年の12月に集まった時にした約束。幸か不幸か、6月に日本にいなかった。
だから、学部時代の5人の友人は集まり、私はオンラインで参加した。

7時からチェックアウトギリギリの10時まで、しっかり話した。今時のスマホは優秀で、複数人が同時に話してもちゃんと対応してくれる。さらに、通信状況も完璧。何不自由なく話せた。
大学時代は、みんな横並びで同じ立場に置かれていた。そこから社会に出ると、それぞれの道に枝分かれする。結婚する者。仕事に生きる者。私以外は皆、既婚者である。周りが結婚する焦りなど、もうない。だが今日話をしていて、友人の変化による寂しさを感じた。
「次の旅行は、ハワイかな。」
「え、私もいくから、今度情報教えて!」
メキシコ留学やエジプト旅行に行くような、“攻めた“人たちだったはずなのに。いまだに大学生みたいな勢いのある旅行をしているのは、私だけのようだった。

加えて、私に仕事の話が振られたときだ。どうしてもウクライナ支援の話になるため、場が重くなる。本心としては、みんなに現状の厳しさに目を向け、他人事で終わらせないでほしい。しかし、友人に強く訴えかけるほど、空気が読めない人間でもない。だから、上辺の軽いことしか言えなかった。
本来、私がウクライナ避難民の方から聞く話は、適度に他の信頼できる人に発散していかないと、私の精神がやられる。だから、私の精神衛生上のためにも、重い話とかも聞いてもらいたいが、なかなか難しい。

単純に、それぞれのライフステージや環境の差によるものである。生じるのは当たり前。これを理由に関係性を変えるつもりもない。だが、改めて自分が「一般的な20代」の生活や考え方と乖離し始めていることを、突きつけられた。

11時から、昨日のヘルプセンターのイベントが開始した。
今日は、ウクライナの子どもの日。
母国にいた時より、子どもたちは様々な機会が失われている。そのため「子どもたちは私たちの花」というメッセージを込めたイベントを、リダとエレナを始めとする女性たちが考えた。

子どもたちは、5つのアクティビティ(フェイスペイント・自然工作・身体を動かすゲーム・クイズ・ダンス・フォトゾーンでの撮影)を行い、それぞれの場所で“花びら”を獲得する。それを集め、受付でもらった雌しべに貼れば、景品と交換になる。
リダたち自身、避難生活で大変なのに、他のウクライナ避難民のニーズを汲み取り企画・準備・運営をしている。さらに、そのクオリティの高さに感心した。本当に、避難民の方が安らげる居場所作りが必要だと感じさせられた。だから、経済的負担は極力減らせるよう支えたいと心底思った。

会が終わり、小雨が降り出した頃、一人の30代後半ぐらいの男性が近づいてきた。
英語が苦手なようで、言葉を探しながら語ってくれた。
「僕はハルキウ出身でね、たまたま戦争が始まった時スコットランドにいたから、今ここにいる。ウクライナとかロシアとか、そういう分断じゃなくて、地球っていう一つの星に生きるものとして、協力しあえばいいのに。ただ、こうなった以上、僕は今を生きるしかないんだ。」

ウクライナ避難民の集まりに行っても、女性・子ども・高齢者しかいない。男性は国外に出られないからである。彼はたまたま、国外にいる。だが、その友人たちはきっと前線で戦い、時に亡くなっているだろう。それを安全地帯から伝え聞いた時、一体どんな感情なのだろう...。また、いつか戦争が終わり母国に戻っても、その友人との溝はもう埋められないのだろうと想像すると、残酷さを感じた。

「ありがとう、ありがとう。子どもたちが喜んでいて、僕も嬉しかった」
別れ際に彼が言った。
違う女性は、ウクライナ語で何度も感謝の言葉を伝えた。私に大きな抱擁をし、目にはうっすら涙を溜めていた。彼女を見て、私も感情が湧きだった。しかし、同時に違和感もあった。

私は何もしていない。
昨日のこのことやってきて、様子を見ているだけ。もっと言うと、準備で忙しいリダたちに、“お偉いさん”の受け入れ仕事もさせて迷惑をかけたぐらいだ。
本当に頑張っていたのは、リダやエレナ、ボランティアで働いてくれた女性たち。また、ウクライナのことを思い、寄付した日本の支援者たちである。私が感謝されるのはおかしい。

様々な感情を動かされる一日となった。
帰りの電車は、1時間遅延し帰ったのは22時前。くたくたになりながら、ベッドに倒れ込んだ。

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