必要不可欠なはずだった
ここ最近音楽を聴いていなかった。
歩いているときも、眠っているときでさえ聴いていたはずの音楽を、無意識に遠ざけていたのか、ただ無関心になっていたのか定かではないけれど、一度もApple Musicを開かない日が何日もあった。
そんな中、弾き語りをしている友達の配信に入って久々に音楽に触れたとき、喉元がグッと強張って息ができなくなるんじゃないかと思う程、ぼろぼろに泣いてしまった。
同時に、“あぁ、わたしにはこれが必要なんだ”と思った。
音楽が必要不可欠だった日常から音楽が欠けていたことに、音楽に触れて心が揺れて、ようやく気づいた。
ひと月の半分をライブハウスに通っていた頃を思い出して、あの頃は音楽が生きがいであり救いだったことも思い出した。
改めて音楽を聴いてみよう、と思って、次の日電車内でイヤホンを着けた。
最初に流れたのはフジタカコさんの「天使になったら」。もうこの世には居ない友達を思い出しながら聴くことが多かった曲を、自分がこの世から居なくなるときのことを考えて聴いていた。
次に流れたのは、さんかくとバツというバンドの「呼吸」。最近の苦しい感情ばかりの日々を受け止めてくれたような気がして、1人になろうとしてなりきれなかった、周りにたくさん救われた日を思い出しながら聴いていた。
その次に流れたのは、ヨイズというバンドの「LOG」。この曲は片想いしているときに好きな人の特別になりたくて泣きながら聴いていた。
そんな想いで聴いていた、
“貴方のあらすじに僕がいた履歴を残して”
という歌詞を、今は
“わたしがこの世から居なくなったとしても、貴方の人生の物語の中に私を登場させて欲しい、微かな、小さな小さな履歴でいいから。”
という気持ちで聴いていて、電車内なのに涙が止まらなくなってしまった。
聴くときの状況や心境によって、同じ曲でも、同じ歌詞でも、全く違うように感じ取れてしまう音楽は、やっぱりどんなときでも自分を救ってくれるのだと思った。
わたしにとって必要不可欠な存在の音楽が、わたしの人生から欠けないように、忘れないように過ごしていたい。
きっとまた同じように気づかぬうちに手放して遠ざけてしまうことがあるかもしれないけれど、もう一度思い出して繋ぎ直して、救いとして自分の中に大切に仕舞って側に居ることを諦めずにいたい。
そんなことを思った、今日この頃。
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