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るろ剣90年代版と北海道編は続編だけど別ジャンル 前編

斉藤壮馬ボイスの剣心にも慣れてきた昨今です。
ジョジョのドッピオがあのイケボで「とぉるるるるるるるーーもしもし……」コントをやった衝撃が未だ抜け切らない。

で、現在アニメでやっているるろ剣は90年代に連載されていた本編に忠実な令和版アニメ化なのですが、コレと現在連載している北海道編を見比べ読み比べると、その違いを感じたのでこうして記事にしたくなった次第。


【90年代るろ剣は少年漫画】

そりゃ週刊少年ジャンプに連載していたのだから当たり前の話なのですが、連載当時と終了したばかりの00年代前半の頃は「珍しいタイプの少年漫画」としてよく話題になっていたのです。

  • 主人公は28歳と少年漫画主人公としてはかなりの年長

  • 最初っからほぼ最強のかわりにメンタル面が弱点(北斗の拳のケンシロウと同タイプ)

  • 明治時代初期が舞台と、時代劇漫画としても当時としては半端な時代

大体このあたりですね。
少年漫画としては他にも「主人公はかつて犯した殺人の贖罪のために戦うが、贖罪の戦いの中で不殺を貫こうとするのは矛盾と自己満足でしかない愚挙」ということも話題になっていましたね。
絵柄も初期は少女漫画チックなところがあり(どんどん小奇麗な絵柄になっていきましたが、同時に自重しないパクパロやオマージュだらけのデザインのキャラがガンガン出てくるようになってハチャメチャに)、少年漫画雑誌に載っているのが異常というような評価が印象に残っています。

【でもアニメ版を見るとやっぱり90年代少年漫画だった】

るろ剣は擦り切れるまで読んだのですが、それでもやはり強く印象に残った部分ばかりが記憶にあるだけだったわけですね。
強く印象に残っているのはやはり第一話。

このように厳しい現実を認めながら、幻想や戯言の方が好きだとする矛盾。

他にも京都編のオチとして、敵対した志々雄一派残党の明治政府の対応に「どちらが正義だかわかりゃしない」と迷った弥彦が「オレたちは勝ったんだから正しかったんだよな?」と剣心に縋るように問いかけても、
「勝った方が、強い方が正しいというのならそれは志々雄の掲げた弱肉強食となんら変わりがない」
と戒めており、答えの出ない答えと葛藤するシーンばかり強く覚えていたんですね。少なくとも私は。

※※※

でも実際のところ、少年漫画らしく複数人同士で敵と激突しておきながら一対一で決闘したり、戦闘中に手を休めてペチャクチャお喋りしたり(なお剣心や斉藤の会話は精神攻撃の場合が多い)、割と冗長で悪い意味で非現実的。

まだまだデビュー作でワッキーが未熟だったということと、当時のジャンプのバトル漫画は一対一形式が多かった事情もあったり、ヒロインの薫ちゃんが一応は戦闘能力一般人より十分高いのに鎌足戦以外では助けられるヒロインでしかないなど、大変に時代を感じます。

とくに女性キャラの扱いに関しては「戦闘に関与できない無力な存在」であるシーンがほとんどなので(先述した鎌足戦が本当に異例)、後々の武装錬金やエンバーミング、後述する北海道編の女性キャラクターの活躍ぶりを考慮すると、歴然とした差に驚愕していたりします。

※※※

また、現在アニメで放送中の初期の物語「東京編」は敵対する相手の目的が「戦闘そのもの」というタイプが多いのも、90年代ジャンプらしさが出ていましたね。
ざっと並べると

  • 左之助=伝説の維新志士たる剣心と戦うことで、新政府の造る新時代での生き方に答えが欲しい

  • 鶉堂刃衛=人斬りと死合が生き甲斐の修羅。ただし抜刀斎とエンカウントしたことで私闘を選んだことに自嘲するほど、存外に理性的で人斬りとしての矜持が強い

  • 御庭番衆=幕末に戦えず、自分たちの力を量る場を得られず燻った旧時代の残火。幕末の伝説たる剣心に勝つことで自己証明を得るのが目的

  • 石動雷十太=現代剣術を否定することで悦に浸っていただけ。ザコ狩りしてイキることそのものが目的だったと言える

京都編に至ることで「国盗り」が目的の志々雄一派と戦うことになりますが、実際のところ志々雄自身の矜持である「弱肉強食という生き方そのものを貫徹する」方が目的であった側面が強く、国盗りと剣心との戦い両方を楽しんでいただけだったというのは、実に80~90年代の少年漫画ボスらしいと思います。
余談ですがこの弱肉強食を真正面から暴力で否定されたダイ大のバーン様のシチュエーション大好きだったりします。大魔王だから大丈夫だと思ったのか?お前も汚泥を味わえ、と涙を流す純朴な少年に暴力で訴えられる皮肉は凄まじい。

【90年代版るろ剣は剣心の贖罪の物語】

少しでも早く騒乱の世を平定させるため、少しでも多くの人が幸せになるであろう未来を掴むため、人斬り抜刀斎として多くの人を殺めた剣心は、平和な世になってからは殺人を禁忌として、贖罪の旅を10年も続けていました。

この行為は敵対する作中人物たちからは酷評されており「腑抜け」「さんざん人を斬っておいて今更何を言う」「人を斬らねばお前の守りたい者は死ぬぞ」「人斬りの、たくさんの人の幸せを奪ったお前が幸せになる権利はない」etc…
どれもぐうの音も出ない正論であり、それでも逆刃刀とかいう鉄の棒でぶん殴る暴力でしか事を収めることしかできず、少しでも過去の罪を許されたいと願い、でも結局剣心本人が自分を一番許せないという自己矛盾の塊。

これらが延々描かれて、最終的に自己矛盾行為を開き直って覚悟を決めるという、厚顔と言えば厚顔、生き地獄と言えば生き地獄と言える答えを出して90年代版のるろ剣は閉幕しています。

これは同時に幕末の騒乱をまだ引きずっている明治初期の時代から、文明開化が本当の意味で成り得る希望の未来も提示している終わり方でしたね。

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とりあえず90年代版でのお話は一通り終わったので、次記事で北海道編と90年代版の比較のお話を致します。

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