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認知症の義父は笑う

暫く義父の事を書いていなかった。
いま義父は小規模多機能型施設の
グループホームにお世話になっている。
肉体的には元気なのだけど、義父の患う
レビー小体型認知症とは認知症と聞いて
一般的に思い浮かべるアルツハイマーと
違いとても進行が早い。

もう殆ど自発的に喋らないし私達の事も
誰かはわからない、うんとかすんとか
生返事は返してくれるけどどこまで
わかっているのやら、表情も乏しく
話していても暖簾に腕押しで寂しい

私は認知症とは心の防衛機能ではないかと
最近考える、それは自分の置かれた状況や
認識を曖昧にし、死への恐怖や身体の苦痛
そういったものを和らげる。
もちろん科学的に見れば病理的な要因で
脳に何かしらがおこっているのだろうけど
精神の不調が発端か脳の不調が発端か
卵が先か鶏が先か科学的であり哲学的な話

認知症の当事者と向き合うのは難しい
介護者が良かれと思って何かをしても
意思表示や反応が返ってくる事もなく
これは単なる自己満足ではないか
なんなら壁打ちに近い虚しさを感じる
それでも安寧な日々をすごしてもらって
数分後には忘れる今日の事でも安心感とか
穏やかさとかに繋がっていけば良いかなと
考えている。

子育てと高齢者介護は似て非なる
子育ては子供が未来を創造する為に
高齢者介護は黄泉路への準備
どちらもそこには愛情や思いやりがある
子育ては未来志向で高齢者介護は
終焉に向けたサポート、親は子に無償の愛を
そして大人になった子は老親を労る。
循環であり順番なのか、私は介護を通して
命の連続性を感じているのかもしれない。

去年の今日にスイカを切りお茶を淹れて
私達をもてなしてくれた義父はもう帰らない
また来るから、身体を大事にね!というと
義父は無言で少し困ったように笑った
その笑顔があまりにもいじらしくて
今日私達が来なければこんな顔をさせずに
すんだのかもしれない。


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