ラジオの仕事をするまでの話(2)

ラジオの仕事をするまでの話(1)

 ハガキ職人として活躍をしていて今となっては先輩作家となった人から「イベント出演しません?」というお誘いを受けることになった。
ラジオや雑誌に投稿するハガキ職人が一同に会してラジオ番組のネタコーナーを生で回答するという「ハガキ職人ナイト」というイベントだった。
会場は当時渋谷にあったお笑い専用の劇場「シアターD」
土曜の深夜からスタートするオールナイトイベントだった。
 今は断片的になってしまったネットを探してイベントの詳細を探してみたが出演者はすごい当時バリバリに活動をして一世風靡していたハガキ職人の面々。「なぜ自分はここに出演しているんだろうか」
 ゲストには南海キャンディーズの山里さん、ハリセンボンの箕輪さん、オリラジの中田さん、ムーディー勝山さん。プロで活躍されている作家のみなさん。「なぜ自分はここに出演しているのだろうか」

 何度も自分の中で繰り返しながら会場に入りリハーサル、その後ゲストの方々も会場入りをしてきた。キャパ100人の劇場に一線級で活躍している芸人のみなさんがやってくる、どんどんと緊張が高まってくる。
 15年以上前の朧気な記憶ながら、山里さんがわざわざハガキ職人、スタッフのために差し入れを持って会場入りしていただいた。現在も投稿者に愛される山里さんの片鱗をみた記憶が今でも残っている

 本番の時間になり、イベントがスタート。パンパンに詰まった客席に立つ。「誰なんだこいつは?」という空気をひしひしと感じつつ、。ウケもしたしスベリもした自分ができる限りのことをした。
 今になってみれば一緒に仕事をする声優のみなさんはイベント、ラジオ収録の度にこんなヒリヒリした気持ちをしながら舞台に立っているんだよなと改めて感心してしまう。 
 職人たちのネタ、ゲストのみなさんに圧倒されてオールナイトで開催されたイベントはあっという間に終演を迎えた。始発を待つ日曜早朝渋谷の街を歩き夢のような夜は終わった。

 ハガキ職人ナイトに出演した年に、ネットラジオをはじめた。
当時はポッドキャスト文化がネット界隈に普及をしはじめた頃で
ハガキ職人界隈で仲良くなった人たちと一緒に手探りでやってみた。
 想像で書いた台本と簡易的な機材、フリー音源をかき集め、メールを募ってカラオケボックスのフリータイムを利用して1曲も歌うこともせず10人弱の男で集まって銀座にあった歌広場で不定期に日々の出来事を録音をするというものだった。
 まだラジオ業界で働くということを思っていなかった中でしていた遊びではあるけど、この「ラジオごっこ」がいまに繋がっているのかもしれない。
 先日、長年使っていたHDDがクラッシュして当時の音源を聞き返すことはできないがまだ二十歳そこそこの頃にどんな話をしていたのかもはやうっすらとしか記憶に残っていない。

 他のネットラジオと合同で24時間配信をしたり、メンバーを募って1日中大喜利しながら都電に乗ったり、投稿コーナーの忘年会にいったりと好きなこと、やりたいことをしているそんな20代前半だった。
 学生時代は不登校というかめんどくさくてまともに学校にいっていかずに自転車乗って学校の近くの街でぶらぶらしていたので、人と交流をするようなことがなかったので、大人になってから学生時代にはできなかった人との関わりが心地よく10代にはできなかった経験を沢山できたと思う。

 特に将来の予定もなく自分のやりたいことだけをし続けて「まあなんとかなるかな」という考えは変わらず。ふら~っとした生き方をしていた時に自分の将来を決めるお誘いをもらう。
「テムさん作家やりませんか?」
ハガキ職人ナイトの出演も誘ってくれた先輩作家からだった。
 なんの将来の予定も見通しもない自分にとっては思いもかけない誘いでもちろん乗らない手はなかった。
 とはいえ、そのまま「うん」といってすぐになれるものではなく自分にとって人生をかけた勝負が始まった。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?