鎮華春分 桜に囚われた千代の話 ~明治幻想奇譚~ 第九話 春の萌芽
色々とこの村に関する調査を終えて、俺たちは春の間際の真っ昼間に再び折戸源三郎宅を訪れた。警察官で友人でもある倉橋朝綱を伴って。
「それでは千代さんは生きてはいるのですね」
折戸源三郎の顔は苦渋に満ち、親の仇かのように鷹一郎を睨みつけている。
「生きているのであればただの勘違いでしたで済みますよ。死んだと思っていたけれど、息を吹き返してそのあと治療を続けて回復した。それで治療に専念していたから死亡届が間違いだったと申し出るのが遅れた。ただそれだけのことです」
それでも源三郎は沈黙を守った。
けれども鷹一郎は強引だ。一度頼まれた依頼は必ず完遂する。使えるものは何でも使う。俺はそれを黙ってみているしかない。結局俺の仕事は鷹一郎の手伝いだ。口を出す立場でもない。けれども突破口を見つけたい。このこんがらがった状況が一発で解決する方法は。そればかり考えている。
……それにしても鷹一郎は最終的にどう事を収めるつもりなんだ?
確かに桜を祓って千代を助けることができれば、その後に村人が病で死んだとしても、それは鷹一郎の依頼とは別の事情、なの、だろう。そもそも赤矢にとってこの村などどうでもいいはずだ。鷹一郎が依頼を受けたのは赤矢だから。
その理屈はわかる、んだが。けれども本当に、その結末で、本当にいいのか?
そして俺よりさらに絶妙な立場にある倉橋はさっきから自分を無視して進められる話に目が泳いでいる。そりゃぁそうだろう、鷹一郎は警察の目の前で『本当のことを話せば見逃す』なんて言っちまってるもんんだから。さすがに耐えかねたのか苦言を呈する始末だ。
「なぁ鷹一郎よ、俺はどうしたらいいんだよ。結局その千代さんは生きてんの、死んでんの」
「簡単なことですよ。生きてたら問題ありません。ただの相談案件です。死んでたら、捕縛すればよいでしょう?」
捕縛という言葉に源三郎はピクリと震える。
「気楽にいってくれるぜ」
倉橋はそんな小さな心の声が漏らしながら天を仰いだ。
ともあれ鷹一郎は赤矢の証言を勝手に笠に着た。
あなたは何故赤矢に千代という娘はいないと答えたのか、それなのに死亡届を出しているのはどういう了見だ、死んだというなら墓を見せろ、本当は知っているんですよ、生きているんでしょう? 供物にされたということなら私は陰陽師です、お力になれます、と硬軟とりまぜて源三郎から千代が最近村に帰ったことまでは暴き立てた。
こういうのは真実、口八丁な鷹一郎な役目だ。俺にはとうていできそうにはない。源三郎は何が起こっているのかおそらく理解していないぞ。まあ、仕方がないな。
それでも源三郎は、千代が最終的にどうなったかまでは口を割らなかった。ぎりぎりと歯を噛み締め、鷹一郎を睨みつける。
「仕方ないですねぇ。では、これから秘密の話を致しますから倉橋さんは少しばかり出て行って下さいな」
「お前ねぇ、俺も暇じゃないんだよ? 俺を何だと思ってんの?」
「もちろん優秀な警察官です。話し合いがまとまらなかったらお呼びしますので」
「へいへい」
ニコリと笑みを浮かべる鷹一郎の言にガラリと戸口から出ていく倉橋の向こうの風は、桜の色に染まっていた。あの妖に縁のない倉橋には、ただの暖かい風に思えるのだろうけど。
「さて源三郎さん。あなたは千代さんもしくは千代さんの亡骸が見つかったとしても、ご自身がなされたというとにして事を収めようと思われてるのでしょう? でもね。これを見つけてしまいましたよ」
「……それがなんだってんだ」
鷹一郎が懐からつまみ上げたそれを見た源三郎は一瞬固まったが、すぐに気丈を取り戻す。
俺たちは倉橋と待ち合わせた時間より少し前、朝からこの村の周囲をうろうろと探し回った。元逆来寺に千代の墓がないことや、新しく墓跡に刻まれた8人の名前が鷹一郎の確認した死亡届と合致する事、そしてそこに生えていた何本かのご禁制の植物。
採取したばかりの特徴的な膨らんだ蕾。つまり、阿片の原材料たる芥子。
「そうですねぇ。まあここ以外でも普通に生えはしますしね。確かに私は畑は見つけられませんでした。今はね。ですから私は念のため、色々あたりました。これでも顔が広いのです」
俺の頭の中にはその色々当たったときのことが思い出される。
俺たちはまず最初に千代の死亡診断を行った逆城南の中郡医院を訪れた。まだ綺麗な、二階建ての白い医院だ。
「逆上村から芥子を仕入れていますよね」
「し、知らん」
中郡医師は最初はしらばっくれた。けれどもそれは長くは保たなかった。
「証拠がありますよ」
「この綺麗な医院を作られるのにたくさんのお金を工面されたのでしょうねぇ?」
「捕縛されると困りますよねぇ」
そんなふうに鷹一郎がにこやかに告げるものだから、中郡医師は哀れにもあっという間に陥落し、土下座までしようとする始末。それを鷹一郎は優しげに止めるのだ。
「いえいえほんの少しだけお尋ねしたいことがあるのです。千代さんの死体、先生は確認されてらっしゃいませんよね」
「……はい」
すがるような目線で鷹一郎を見上げた中郡医師は千代の死体を確認せずに死亡届を書いたことを認めた。それに加えてその他の8人の住人は明らかに奇病であったのに、ただの感冒と記載して死亡届を作成したと述べる。そして村長にそうしなければ警察にバラすと言われたそうだ。すっかり観念した中郡医師は、鷹一郎が一々訊ねる前に一連の話をぺらぺら囀った。
その次に向かったのは神津役場の会計室だ。廃藩置県の折に藩の債権も債務も併せて新政府に引き継がれたものだから、藩の財政資料はきっちり残っている。
その帳面には高麗人参や冬虫夏草といった高級生薬が定期的に納入されており、納入元はそれぞれ個人であったがいずれもその住所は逆上村。けれどもそれは御一新前までのこと。おそらく以降は財政緊縮のために取引は打ち切られ、府県統合によって逆上村との取引の伝手は完全に失われてしまったのだろう。そうすると村の収入は途絶える。
だから手を出してしまったのだ。廃藩置県とほぼ同時期に禁止となった阿片売買に。
「坊主の言いつけを守ったんじゃねえのかよ」
「哲佐君は顔に似合わず善良ですよね。そんなことはあの話にすら書いてなかったじゃあないですか。それにね」
ふん。
確かに話には巫女が選ばれた事しか書いていなかったな。
「人間ってものは一度覚えた蜜の味をそう簡単に捨てられるものじゃないでしょう? 特にこの村は何もせずとも、生えてきちゃうんだから」
生えてくる。その結論が、未だに続けられる生贄の風習だ。勝手に生えてくる。草木というのは確かに地面に落ちで場自然と増えるのだ。三十年。それは遠い先なのかすぐそばの未来なのか。眼の前には売れば高い値の付く草花、そして未だ生まれてもいない三十年後の生贄。なんとかするには……一帯を焼き払う必要もあったのかもしれない。
頭の中に桜が浮かんだ。
坊主から生えた桜の巨木。村を守ろうとした坊主の成れの果て。そしてその周囲には生贄となった10本あまりの巫女の木々。
ひょっとしたら。ひょっとして村の人間が生薬栽培から手をひくことができていたなら、あの木々は桜の世話だけをして人のまま一生を終えることができたのだろうか。
あの春の世界の中で怨嗟に身をやつしたかの様な、細い木々の姿が脳裏に浮かんだ。
「源三郎さん、私はるでうす・えいぶさんよりお話を伺いました。なるほど考えましたねぇ。外国人居留地は治外法権です。居留区での売買自体は罪には問われぬでしょう。けれどもそこに至るまで、そうですねぇ、居留地に入る前に捕まれば、無許可の所持は有罪です。あなたも、それからこの村の全員が」
鷹一郎はそれはもう実に人品下劣な感じでにやにやと源三郎を見下ろす。
「し、知らねぇ」
阿片は所持も罪となる。だがこの村は長年高級生薬の販売を主な収入としていることを秘してきた。大葉子や蕺等のありふれた生薬製造が生業であるよう装ってきた。この村で芥子を栽培してるなんざ、村の外では誰も思ってもいやしねぇ。
だから源三郎は隠しおおせる自信があるのだろう。
「3年ほど前に制定された刑法典で少々変わりはしましたが、以前の新律綱領では阿片販売の主犯は斬首、手伝った者は流刑ですよね。この村には年端の行かない子供もいるのでしょう?」
「そんなもの、その、るでうすとかいう奴が嘘をついているんだ。村は無関係だ!」
鷹一郎は表情を変えずに頷く。
「そうかもしれませんね。けれどもこのメモはあなた方のお名前と取引量が明記されています。治外法権で居留区の方には手をつけられなくとも、この村の捜査の端緒には充分です。あなた方が隠している畑もあの御神木を切り倒せばすぐに見つけられますよ」
「なっ。そんなことしてみろ、どんなさわりがあるか……」
「それは私には関係のないことです」
鷹一郎はキッパリと言ってのける。
鷹一郎にはおそらく交渉という概念があまりない。求める結論に至るように話の筋を組み立てるのだ。その舌の動きに気づくころには蟻地獄や底なし沼のよろしく抜け出すことは不可能となっている。
外国商人が密輸した阿片は開港地で数々の中毒死を引き起こしている。だから政府はその管理についても生鴉片取扱規則において記録の保管や届出に厳しい義務が課されている。無届けの生産などもってのほかだ。
言い切る鷹一郎の声はかわらず柔らかかった。なのに土間の空気はすでに、その呼気で冷え切っていた。鷹一郎は猫なで声で続ける。
「源三郎さん。私はあなた方のお考えはとても理解できるのです。突然の御一新でご商売の先を無くされた。本当にどうしようもないご事情です。この村の皆さんが原因じゃぁない。けれどもこの村に他に産業はない。それでも生活していかなきゃぁいけません。だから、ご禁制に手を出したのもやむを得ないご事情もあるでしょう」
「そ、その」
「でも、ご禁制なのですよ。あなた方もこの商売を長く続けられるとは思ってはおられないのでしょう? 御一新前はそれでも適法なご商売をなされていたのでしょうが、今では明らかに違法だ。ですからこの村の人口は御一新後、私も役所で調べましたが、だいたい半分ほどには減っておられますね」
「ち、ちが」
「もちろんそのご事情もわかっております。若い方は外に出て新たな仕事を求めることも出来たでしょう。だからあなたも千代さんを逆城南に逃した。けれども逃げられない方もいた。ご高齢の方々は他に移るすべはない」
源三郎は下を向き、唇を噛みしめる。
「でもね、もうやめにしましょうよ。いずれ捕まればすぐに終わりになります。あなた方もいつまでも続けられると思ってはいないのでしょう?」
ぐぅ、という音が源一郎から漏れた。
先程見回った時、この村の家の半分弱は、雨戸が固く閉ざされ使われている形跡がなかった。すでにこの村自体が斜陽なのだろう。春の影に隠れてはいたが、崩壊の兆しは静かに忍び寄っていた。
鷹一郎はそこに少しだけ隙間を開けるのだ。逃げる鼠を追い込むように。
「ねぇ、源三郎さん、いえ、村長。そろそろ潮時だとは感じておられるのでしょう?」
「……そんな簡単なことじゃねぇんだ。俺たちにも生活が」
「ところで話は変わりますが、生薬自体の扱いは当然ながら精通されておられますよね。こちらの村の生薬はとても品がよいと聞いております。よい薬というものは求める者にとっては喉から手が出るほど欲しい物のようで」
「は? え?」
「販売先がみつからないことが一番の問題なのでしたら、私がご紹介差し上げられます。幸いにも旧藩立病院にも神津の私立医院にも伝手がございますので。特定の生薬の委託栽培という形になるかもしれませんが、ノウハウはお持ちでしょうし細々とやる分には暮らしては行けるのではないでしょうか」
「……あ、あの、ご紹介くださるので?」
源三郎の目が初めてまっすぐに捉えた鷹一郎は大きく頷いた。
こいつは一見柔和な優男だが、中身は目的のためには手段を選ばない悪魔も同様である。突然の話題の転換に源三郎の頭がついていかないところに畳み掛けるのだ。
「えぇ。あなたがたがあの桜を祓うのをご同意いただけるのであれば」
「いや、それではそもそも栽培が」
「この地にはもともと草木の神のご加護があるのでしょう? 桜が宿る以前はそのように暮らされていたのでは? それとも加護があっても育てられないほどあなた方は無能なのでしょうか? それなら滅んでも仕方ないですね。まぁご同意頂けないなら先程の警察官にこれらの証拠をまとめてお渡しするだけです。いずれ近々桜は切られ、今なら助かるかもしれない千代さんも一緒に伐採されてしまうでしょう」
「やる!」
その言葉の効果は絶大だった。
鷹一郎はきっぱりと逃げ道を防ぎ、自分のレールに引き寄せた。恐ろしい。
どうしようもないと思っていたところに風穴が開く。源三郎や村人も違法な行為をやりたくてやってるわけじゃない。他に方法がないからこそ、そうするしかなかったのだ。
抜け出ることが不可能と思われた袋小路に、雁字搦めの春の香りに、新たな出口が突然開く。
「けれどもす、少し、ほんの少しだけ時間をくれ。皆と話し合ってくる。ここで待っていてくれ」
「わかりました。お邪魔いたしますね」
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