毎朝お寺に行く

朝、近くのお寺に行って瞑想するのは、私にとってハードルの低い行動である。6時に目覚めさえすれば、ほぼ確実に実行できる。そして、6時に目覚めることは、前日に目覚ましをかけさえすれば、よほどのことがない限り実行できる。

(いま、自分で文章を書いていて、目覚ましが自動的に毎朝6時にセットされれば、自分は毎朝きちんと寺で瞑想でき、生活満足度も向上するだろうと気づいた。なのでその設定をやってみた。)

早く起きてすぐに外に出ると、早朝の良い匂いがする(都内でも早朝は平等に良い匂いがする)。長い坂を登る脚の動き、力が入ったり緩んだりする感じが、マッサージのようで心地よい。そういう複数の心地よい感覚を味わっているうちに、お寺に到着するのである。歩く時間は20分。私は寝不足でも寝覚めは良い方だし、歩くのも好きだから、朝起きてから寺に到着するまで、不快なことが何もない。快適なことしかない。

お寺で瞑想をしても、全然深く入れないことがある。仕事の考え事をして終わることも多い。私の場合は、「あのときこういえばよかった」というところから始まって、自分がその場面で理想的にふるまったらどういう風に物事が展開していくか、ということを白昼夢のように考えることが多い。意図的にやっているのではなくて、脳が勝手に、いつのまにか初めて、意識の主体である私が気づくまで延々と続けてしまう感じだ。

もちろんそれでは瞑想にならないので、気づいたら瞑想に戻ろうとするのだが、すぐまた白昼夢の世界が始まる。かなり長くその世界に没入したあと、また気づいて戻る。極端な時には最初から最後まで白昼夢だけで終わっている時もある。それでも30分ぐらい座っていたらいい気分になるから、それで満足して毎日やっている。習慣にしようなどと力むこともなく、ただ気分がいいことだからやっている感じである。

朝瞑想したからと言って、日中何もかもうまく行くわけではない。うまくいかないことももちろんある。放置して先送りにした問題はそのまま残っているし、苦手なタイプの仕事は苦手なままである。でも朝一番に気持ち良い時間が過ごせれば、少なくとも快適な気分で一日の最初の数時間を過ごせる。それで充分な気がしている。

朝6時に起きて、最低限の身支度をして20分歩き、寺で瞑想、などと言うと、異様にストイックに聞こえるかもしれないが、ただ気分が良くてやっているだけなのだ。でも、一緒にやろうと言っていた友人は、1回、2回やっただけで「これはキツすぎる」とやめてしまった。それなら私の方がその友人よりストイックで自制心があるかと言われたらそんなことは全くない。彼は朝ジムでランニングすることを習慣にしているが、私には無理だろうと思う。単純に、私には朝お寺に行く習慣が向いていて、彼には向いていなかったというだけなのだ。(でもこの寺を見つけて私を誘ってくれたのは彼で、私は当初あまり乗り気ではなかった。そういうことも人生によくある。)

自制心とかストイックとか関係なく、普通に自分にできる良い習慣を見つければ、人生の快適度が結構高まる。

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