こんな夢をみた

第一万四百十五夜

大学時代のバイト仲間一人と焼肉屋で食事をしている。
食べ終わって会計を済ませて帰ろうとすると、なぜか彼女は店の制服に着替え店員として働き始める。

「帰らないの?」と聞くと、「もう帰れないんです」と言う。

私は少し悩み、「一緒に帰ろうよ」と言うとその人は心底嬉しそうな顔をして「はい」と答える。

二人で夜道を出るとそこは広島だった。
川沿いの道を、もう深い夜だというのに学生服の少年たちが歩いている。

しかし、よく見ると風景や地名は京都そっくりである。
ただ、街の真ん中に原爆ドームがあったのだ。

景色を眺めているうちに彼女を見失いかけるも必死に追いつく。
彼女はずいぶんと速足で歩くが聞いてみるとまだ家まで30kmはあるという。

自転車はなくしてしまい、バイクはあったがヘルメットがなかった。

「もう終電はないとは思うが駅まで行ってみよう」

駅は東京の路線や大阪の路線が何本も通っていたが広島や京都の電車はもうなかった。
とりあえずこれに乗ってみようと乗った電車は吉祥寺行きで、私は「しまった、逆向きだった」と思い、次の駅で降りた。

一人で降りてしまった私は、向かいのホームに着いた電車に乗り込む。
乗り換えに使ったその駅は、海辺にあるようだった。

電車に乗ると私は野球をしていた。

味方のエラーが相次ぎ、一回表から無死一三塁の大ピンチ。
しかし、次の打者を4-6-3のダブルプレー、その次の打者をショートフライで打ち取り何とか1失点で切り抜ける。
ショートのおじいさんの好守が光ったが、よく見ていればおじいさんがゲッツーのときにセカンドベースを踏んでいなかったこと、フライも本当は地面に落としていたことに気づける。審判の目は誤魔化せてもチームメイトの目は誤魔化せないのだ。

ベンチに帰ってチームみんなでおじいさんのプレーを笑い合い、おじいさんは「てきとーでいいんだよてきとーで」と語った。
しかし、審判も敵も味方も、私も全く気づけなかったことがある。

おじいさんはかつてイチローと呼ばれる名選手だったのだ。

ウグイス嬢「一番、ショート、おじいさん」

さあ、僕らの反撃が始まる。
バッターボックスに立ったおじいさんの姿は全盛期のイチローまさにそのものだった。

初級、おじいさん、フルスイング。
ショートへの小フライ。
アウト。
落胆。

しかし、その次のバッター、誰だかよく分からない中学野球部の仲間が打った当たりを相手チームがエラーしたかと思うと、次の打者もその次の打者も相手のエラーで出塁していく。

私は、自分の打順を確認する。
9番、一番最後だ。
自分の仕事は何とかしてイチローに繋ぐこと、そう思って打順を待つ。

相手チームのエラー続きで、初回から打順が回ってくる。
私が打席に立った時、味方のエラーにイラつく相手投手はもうマウンドから下りて私の目と鼻の先に立っている。

そんな場所から思い切り振りかぶって投げるもんだからボールは全く見れない。
私は勘でフルスイングすると、ぼてぼてのゴロが内野に転がる。

ダメだ…そう思った矢先、ゴロをとった内野手の一塁への送球が大暴投。
ボールが外野に転々とする。

しめた!私は必死で走る。
脚は思うように回らないが、相手チームの守備ももたもたしており、一塁二塁三塁と駆け回っていく。

三塁ランナーコーチはストップの指示。
私はスピードを緩めて、状況を確認するとボールはもうそこまで来ている…しかし、中継プレーにミスがあり、ボールが地面に落ちる。

今だ、行くしかない。

私はホームベース目掛けて走り出す。

ホームベース、それがずっと私が手にしたかったものだったのだ。
私の今までの全てはただそこにたどり着くためにあったのだ。

まさに目の前に私が恋焦がれたホームベースが見えたとき、相手捕手が行く手を阻む。
捕手にボールが届く。

私は一か八か、ホームベースに向かってヘッドスライディング。

ベースに触れる

キャッチャーミットが触れる

セーフ。

私は生還した。
しかし、喜びはなかった。
歓声も起きなかった。

何かを忘れている気がする。
そんな気分だった。

私は無言でベンチに戻り、朝を迎えた。

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