「国益」という言葉に思うこと

 ここ5年くらいで、「国益」という言葉をニュースなどで見る回数がかなり増えたと感じるのは、気のせいだろうか。国家が利益に拘るのは良いことだ、という主張は正しいのだろう。ただ一方で、「国益」という強い言葉があまりに軽く使われすぎているのではないか、と私は思う。

 「国益」という言葉を政治家が使うとき、それは「誰が見てもわかりやすい短期的な利益」を獲得しよう!と人々にアピールする時ではないだろうか。それらを受けて、人々は国益という言葉を連鎖的に使うようになる。

 問題は、「国益」という言葉が強すぎるあまりに、その利益を求める判断を下した理由を疑問に思う人が少なくなってしまうのではないか、ということだ。「これが利益です!」と断言されて、具体的な部分まで突っ込もうとする人は少ないだろう。そもそも、日本では政治的無関心が広がっているのだが。また実際に疑問に思ったとして、「国家の利益を追い求めることに疑義を呈する人」というレッテルを貼られる可能性を排除できない。そう捉えられた場合ネット上でどう扱われるか、ということは周知のとおりだろう。

 また、国益が「短期的な利益」に留まりやすいのも問題となりうる。「国益」という言葉が人々へのアピールとして使われる以上、伝わりづらい長期的な利益は短期的な利益と同列に扱われない。逆に、人々が国益という言葉を使って政治に訴えかけるとき、無自覚なままに短期的利益のみを求めることとなる。そうなってしまえば非常に危険だ。「国益」という言葉に逆らいにくい空気感のなかで、国家は人々の意見を受け入れるだけで支持を集めてしまう。ポピュリズムと何も変わらないどころか、むしろさらに悪質なものが現れるかもしれない。

 個人的に、日本という国は長期的な視野を持つことが苦手なのではないか、と思っている。江戸時代は若干違うかもしれないが。少なくとも近代に入って、数十年単位で未来を構想した例は少ない。パッと思いつくのは「所得倍増計画」くらいだろうか。一方で、明らかに無理な戦争に突入していった過去があり、現在では不況から20年近く脱せていないと言われる。そういった状況で「国益」という言葉が流行ることは、さらなる危機を招きかねないのではないか?

 当然ながら、憶測の域を出ない内容ではある。データで証明することもできない。なんとなく思ったことを書いていくnoteなので、ご容赦頂きたい。

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