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東大に来たら「人生勝ち組」なのか?

こんなnoteを読んだ。

できれば、上記を読んでほしいが、時間がない人向けに内容を説明する。
ざっくりと言えば、「開成など関東圏の進学校から東大に来てしまった人たちは、負けることを極度に恐れて、安定した、それでいてつまらない人生ルートを歩む傾向が強い」ことを示している。

このnoteを読んで、「やっぱりそうかぁ」と感じた。
もちろん、データはない。
上記のnoteも、筆者のまわりへの聞き取りを行った形跡はあるが、ほとんどは主観によるジャッジである。

私は東大生だが、出身高校は進学校ではない。
共栄学園高校といい、偏差値は46~58くらい。
偏差値77の開成と比べると、雲泥の差だ。

実は以前、母校からしこたま怒られた。
ある雑誌にインタビューされ、紙面では「非進学校から東大に進学した僕の勉強法」として特集が載った。

これを見た、母校の進路指導の先生方が大激怒。
正確には、母校の理事長、校長、進路指導部長などは「うちの宣伝になっていいじゃないか」なんて言っていたのだが、その下の人たちが「うちは非進学校なんかじゃない!」と怒り出したのだ。

ちなみに進学実績は、東大合格者は僕が史上3人目で、それ以降ゼロ。
早慶が多くて毎年2~3人。
マーチに30人~50人。
この実績を、都内私立校として進学校と呼ぶに値するかは、読者の主観に委ねたい。

で、いろいろとあって、進路指導部長と一対一で面談。
俺は別にいいと思うんだけど、いろいろ立場とかあるからさぁ」から始まった相談は、最終的に当時務めていた母校の学習支援チューターの仕事を辞めることで折り合いがついた。
それのせいで、いまだに若干の気まずさがある。

閑話休題。
そんな「非進学校」からの東大進学者である自分は、「受験に勝てれば、勝ち方なんてどうでもいい」と泥水上等のマインドを持っていた。
周りの目なんて気にしていたら負けだし、負けても勝つまで食らいつき続ければ勝てる。
今でもそう思っている。

そんな自分からみても、開成出身者などはかなり品行方正なタイプが多いように感じた。
もちろん、大学デビューしようと頑張っている子もいたのだが、最終的には自分の安定志向を見抜かれて、心の底からはじけることができていなかったように見えた。

エリートはチャレンジ精神に欠ける

東大に来るような人たちは、みな優秀だ。
なにかしら突出した能力を持っているし、周りの人たちは見下さない。
見下しているとしても、相当に信頼できる人の前でなければ、そのような態度をおくびにも出さない。

だが、何かにチャレンジすることが苦手な人も多いように見える。
パッケージ化された挑戦はできるのだが、突拍子もない挑戦には手を出したがらない

例えば、私は大学に入りたてのころ、東京大学運動会応援部、いわゆる応援団に所属していた。
この組織は学生によって自治運営され、優秀な人たちが多かった。

卒業生のほとんどが、有名商社やJRなどのインフラ企業、官僚、外銀外コンへと渡っていく。
就活するなら運動会へ」は間違いでなかった。

その代わり、非常に保守的な組織でもあった。
前例のない試みを異常に嫌い、変革がなかなか起きない。
伝統が彼らを縛り付けていた。

私が所属していたのは、応援団付きの吹奏楽団。
部内でもほぼいなかったマーチングドリル経験者だった。
正直、周りはまったく見るに値しなかったし、どの先輩よりも早く譜面と動きを覚えた。

だから、私の作る動きの指示は、他の先輩方のそれの難易度をはるかに上回っていた。
明らかに嫌そうな顔をされていた。
彼らは、観客を楽しませるためではなく、自分たちが楽しむために活動を行っているのでは?と何度考えたことか。

だが、そうではなかった。
伝統的なスタイルを崩されるのが嫌だったのだろう。
全ては伝統、安定、保守。
挑戦などもってのほかだった。

他の例もある。
東大生の海外大学進学率をご存じだろうか?
どれだけの東大生が海外大学を併願しているのだろうか。

私はこの2月に『東大合格はいくらで買えるか?』を上梓している。
これを作るにあたって、東大生100人にアンケートをとった。
そこでは、東大以外に出願した大学についても聞いている。

なんと、海外大学を併願したのは、100人中たったの1人だった。
もしこのアンケートが東大の内部を正確に表していれば、東大生の1%しか海外に目を向けていないことになる。

能力が足りないのだろうか?
いや、そうではない。
東大生の現役・浪人比率は7:3である。

毎年70%の学生が現役で東大受験に合格する。
進学校の生徒たちは、東大に合格した先輩の姿を見て「あの先輩がいけるなら自分も」と受験を決めるのだそうだ。
「それだけの能力を持っている」と確信できるから、そんなことができるのではないか?

これらを合わせて考えると、以下のような結論になる。
東大生は、満足な能力を持っていながら、ビビッて海外に行こうとしない腰抜けの集まりだ」と。

確かにいくつか反論が考えられる。
例えば、経済的な問題がある。
だが東大生の出身家庭の世帯年収は大半が1,000万円以上だ。
私のような、貧困家庭出身者は珍しい。
奨学金などを駆使すれば、十分海外進学も可能だろう。

例えば、「東大でやりたいことがある」なども考えられる。
だが、海外大学を併願すらしないのはどういうことだろうか?
早稲田大学や慶應義塾大学を併願するのはよくて、海外大学を併願しない理由はなんだろうか?

そもそも、物理や化学、言語学など多くの分野は海外大学のほうが研究が進んでいる。
よほどのことがない限りは、研究を第一にするなら海外大学に目を向ける発想がなされるのが自然である。
それらの証拠は、彼らが日本から出ていこうとしないことを示唆している。

「窮屈」な東大人生

彼らの人生はこうだ。
小さいころから受験戦争に勝ち抜いて、中高もしっかり学校の勉強や塾の勉強を頑張って、ようやく受験の終わりである大学にたどり着く。

そこからは、「年収」「社会的ステータス」を頼りにしながら、また新たな競争に身を投じる。
そこに自分の意思はない。
あるのはただ「周りに笑われたくない」「恥ずかしい思いをしたくない」という、主体性のかけらもない逃げの意識のみ……。

そんな人生を生きていて、果たして楽しいのだろうか?
私は人生を窮屈にするのは自分自身であると思っている。
私が高校生の進路指導相談に乗るときは、必ず「俺はこうしたほうがいいかなって道を考えるけど、実際にそうするかは君次第だよ。なぜならば、それは君の人生であって、君が決めることだからだよ」と伝えている。

自分の人生なのだから、全ての決定権は自分にある。
これを見失って、まるで他人に操られているかのように人生を誤解すると、それは窮屈だろう。

誰かに決めてもらおうとする態度は、人生を歩むうえで、最も恥ずべき態度の一つだ。
自分の人生なのだから、もっと自我を表出させていいのではないか。

ところで実は今日、こんなお知らせを聞いて、取材に行ってきた。

あの駿台予備学校と、カルペ・ディエムが何か始めるという。
カルペは私が日常的に出入りしている会社だが、あまり詳細について聞かないままに記者発表会に臨んだ。

発表された内容はつまり「カルペ・ディエムが浪人生向けに学習以外の総合的なサポートを行う」といったものだった。
学習一辺倒になって、人生の目的を見失いがちな浪人生たちの、自分の人生を見つける手伝いをするというのだ。

これは、画期的な試みであるように思う。
私も浪人経験があるので、よくわかるのだが、やはり浪人中は心の余裕がなくなって、「東大に合格しないと人生が終わってしまう」ように考えるときも少なくなかった。

だが、実際はそうではない。
東大なんて受からなくても人生は続くし、全ては決まらない。
もっと気楽に、自分で自分の人生を楽しくしようと考えながら生きていけば、きっと幸せな人生が歩めるはずだ。

そんな当たり前のことに気付けなくなりがちな、エリート候補生たちにこそ、このような試みは必要だろう。

カルペ・ディエムとは「その日を摘め」という意味。
一日一日を大事に、輝きをもって生きることを指す。

この試みが、現代エリートに不足している、「心の栄養」を補ってくれることを願う。

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