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駒落ちの話⑥「囲うと勝てる?」

 少し前のことになるが、長年の友人である同級生のUがこんなことを言っていた。

「俺らが駒落ちを教わった時って、囲っちゃダメって言われたよね?」
と……。
 Uと私は級位者の頃、ともに駒落ちの下手で学んだ仲。
 遠い昔のことだが、二人とも今でも将棋を趣味にしているので、教わったことはちゃんと覚えている。

「そうね。囲って勝てるほど甘い上手じゃなかったからね(笑)」
「だよねっ! やっぱ、囲っちゃダメだよね」
「うん」
「なんだけど……」
当時、二人が教わっていた方は、元奨励会員。
 そして、後に四間飛車一筋でアマタイトルを複数回取った人でもある。
 仕事の関係で一時将棋から離れていたが、今でもアマ強豪クラスの力量を維持する怪物だ。
 終盤が強く、受けに回って隙の無い棋風は、駒落ちの上手として下手が最も苦労するタイプの人だったりする。


 Uがこんなことを言いだしたのには訳がある。

 Uは、新しく出来た将棋道場に行った際に、子供に六枚落ちを教えたらしい。
 そこの席主はUよりかなり若い人で、とても子供への指導に熱心な人なのだそうだ。

 Uは基本的に良い奴だ。
 一生懸命やっている人を応援したくなるようなところがある。
 だから、席主の方が熱心なことに感化され、自分が教わったことを余すことなく下手の子供に伝えようと、頑張って指導にあたったようだ。

「六枚落ちは、囲ったらダメだよ」
下手の少年が平手の定跡のような駒組みをしてきたので、Uはそう言って注意したと言う。
 そして、六枚落ちの定跡を教えようとしたところ、席主に止められたそうだ。

「でも、僕はこうやって教わりましたし、囲っていると上達しないので……」
「いえ。ここでは下手が囲うことを推奨していますから」
「えっ? 囲ったら下手が勝てないですよ?」
「そんなことはありません。実際にウチではそれで強くなってますから」
多分、こんなやり取りがあったのだろう。
 道場の方針と言われてはUとしてもそれ以上は言えない。

 Uはその時のことを回顧して、私に愚痴を言ったのだった。


「まあ、そういう指導の仕方をしているところも増えているからなあ……」
「でもさあ、それじゃ六枚落ちをやってる意味が無いでしょ?」
「そうだけど、道場の方針と言われてはねえ」
「しっかり定跡を学んだ方が早いし強くなるよね?」
「それは間違いない。俺らもそうやってそこそこになったよね」
「あれじゃあ子供が伸びないのに……」
Uはそう言ってとても残念そうな顔をした。
 まるでわがことのように……。

 うんうん……。
 気持ちは凄く分かる。
 良かれと思って言ったんだよね。
 子供達には無限の可能性があるから、それを少しでも引き出すお手伝いがしたかったんだよね。

 私はそう思いつつも、それ以上は何も言えなかった。
 指導者にはそれぞれ方針があるから。
 その道場の席主も、六枚落ちで学ぶべきことを他の形で指導するのだろうし、何をどうやって教えるのかに正解は無いので。


 私には、Uと真逆の経験がある。

 ある子供将棋教室で八枚落ちを指導していたところ、下手がやはり平手のように囲ってきた。
 たしか、三間飛車にしてから高美濃に組んできたように記憶している。

 しかし、下手が囲っている内に、上手は少ない戦力である二枚の金と玉を駆使し、下手の飛車側を開拓して入玉した。
 まあ、力量差を考えればこういう展開になりがちなのだ。
 下手は玉をしっかり囲っても、攻撃陣を旨く活用することができないから。
 特に振り飛車は、角の頭を攻められた時の対応の機微に棋力差が出やすい。
 八枚落ち下手の力量で巧みに攻撃陣を捌くことを期待する方が無理であろう。

「入玉したけど、下手は投げてくれないだろうなあ……」
そう思いつつ、私は指し続けていた。
 下手は目立った駒損をしていないし、玉もしっかり囲ったままになっているのだから、ここで止めても納得してもらえないだろうから。
 大駒でも詰ましたら投了勧告をして、玉を囲わずに攻めることを教えようと思っていた。

「あ、これは下手に勝ち目がありませんね。この対局はここまでにして新たにもう一局指してください」
突然、背後から声が掛かって、上手が入玉した八枚落ちの対局は中断された。

 声を掛けたのは、北尾まどか女流二段。
 これ以上対局を続けても意味が無いので、止めてくれたのだった。

「これねえ……、上手陣はスカスカでしょう?」
「うん」
「攻め駒もないからすぐに攻めてくることはないよね?」
「うーん? そうかも」
「だったら、先に攻めちゃおうか? その方が向こうが困る気がしない?」
「うんっ!」
下手の少年と北尾先生は、八枚落ちの初形を前に、概ねこんな会話を交わしていた。

 そして、最後に、
「これから当分、駒落ちでは囲うのは禁止ね」
と仰られて、北尾先生はその場を立ち去ったのだった。


 結論から言うと、駒落ちで下手が囲う必要があるのは、二枚落ちからです。
 二枚落ちは上手陣に隙が無く、一応、桂や香と言う攻め駒が初形から配備されているからです。
 つまり、下手が攻められる恐れがあるから囲う必要があるのです。
 旨く囲って陣形勝ちすることが二枚落ちの要旨となります。


「でもさあ、六枚落ちだって囲ってあれば安心じゃない。その方が下手も安心して攻められると思うよ?」
「上手陣はそもそも戦力が少ないのだから、じっくり駒組みをして陣形勝ちし、後から上手陣の欠点を突けば良いのでは?」
と思われる方もおられると思います。
 凄く理論的で、見た目にも勝ちやすそうに思えるでしょう。

 しかし……。
 それは全部幻想です(笑)。
 長手数指せば指すほど上手は自陣の欠点を無くし、下手の陣の薄いところを目掛けて少ない戦力を集結してきますから。
 残念ながら、上手の方が駒組みも遥かに旨いのです。

 それに、戦力差が大きい場合に、ミスをするとすぐに負けにつながるのは受けの方です。
 攻めの失敗は、大きな駒損をしない限りそれを取り戻すチャンスが訪れる可能性が高いですが、受けの失敗は取り返しのつかないことの方が多いのです。
 ですから、囲う=長手数になる、と言うことは、上手に攻めるチャンスを与えていることにもつながり、ミスをした場合に致命傷になりやすい受けの展開を下手が受け入れなくてはならない可能性が増えると言うことなのです。

 そもそも、上手は備えが十分な下手の囲いをすぐに攻めたりはしませんしね。
 弱いところや戦力差の少ない箇所で戦い、徐々に駒を貯めながら一番良いタイミングで下手玉に襲い掛かってきます。
 それを受け切って勝つ下手には、お目にかかったことがありません(笑)。


 正直なところ、平手のように駒組みしてくる下手は、上手にとっては楽な相手です。
 下手がかなりの棋力でも、誤魔化すことができますから。

 二段くらいの人でも、平手同様に組むと私に六枚落ちで負けます。
 必ず負けるとは言いませんが、定跡通りに指されたら上手が手も足も出ない手合いの二段の棋力の人が、かなりの確率で苦戦に陥るのです。


 では、何故、そんなに勝ち難く効率が悪いのに、下手は囲いたがるのか?
 囲いたがる下手を是とする指導者がいるのは何故か?

 その辺の事情については、次話で説明しようと思います。

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