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対峙 百田瑠璃夏

 男はジメジメとした薄暗い森の中を駆け抜けていた。月明かりに照らされるその表情は、恐怖で凍りつき青ざめていて、ぎょろりと目を見開いている。その口からは、荒い息遣いと共に、小さな悲鳴が漏れている。
 やがて、男の前方の森が開け、あと少しで、街灯がひっそり佇む小道に停めてある車に辿り着きそうだ。男の顔には少しの安堵が浮かんだ。
 遂に男は車に辿り着き、勢いよく乗り込む。外を見渡すと、後ろを追って来ていたはずのアレの姿は無い。男は溜息を吐き、胸を撫で下ろした。ふとバックミラーに目をやると、男の顔は一瞬にして凍りついた。ミラーに映し出された後部座席には、先程まで男を追って来ていた白い服の女が、静かに佇んでいる。その女は、湿っぽい髪を腰まで垂らし、その隙間から覗く目は血走り、頬は青白い。確かに女は“人”ではないという事が分かる。
 女は身を乗り出し、男の首にゆったりと腕をまわす。そして耳元で呟く。
「逃がさない。」
 女が不敵な笑みを浮かべたその刹那、男は恐怖で顔を歪めながら悲鳴をあげる。慌てて冷たい腕を振り払い、ドアに手を掛け車から飛び出し、正気を失った男はどこまで続くか分からない道をただひたすらよろめき、叫び、走る。本当に狂っているのはあの女か、はたまたこの男か。奇声を発し、男はやがて闇と霧にその後ろ姿を包まれ消えていった……。


「映画、いまいちだったな。」
 雨が打ちつける窓の外に目をやりながら、ラストシーンをふと思い出した様に、佐藤が言う。
 佐藤健太は、高校に入ってから出来た友人で、幼馴染の森山美幸から彼氏だと紹介されたのがきっかけだった。そして、佐藤は美幸と同じくらい大切な友達になった。三人とも映画が好きで、それが高じ、視聴覚室を拠点に映画研究部を作った。そこで、月に一度映画鑑賞を活動の一環として行っている。だが、ここにはあの頃の様な賑やかさはもうない。それはこの雨のせいか、またはこの場に美幸が居ないからか。盛り上げ役はいつも美幸だったのだ。佐藤の言葉に私はただ、「うん」と相槌を打つ事しか出来ない。
 私は正直、佐藤と会いたくなかった。突然、佐藤から部活動を再開しないかと言われた時、最初は反対した。だが、いつまでも美幸からも、佐藤からも逃げていては駄目だと思い直した。向き合うと決意し、何度か意思が弱くなってしまう事もあったけれど、やっと自分の中で気持ちを固めて、こうして活動しているのである。
 美幸が居なくなったあの日から美幸の事を思い出さない日は一日もない。思い出したくない反面、忘れたくない。そんな矛盾した気持ちが頭の中をぐるぐる掻き混ぜて、それが嫌だから何も考えないようにして、ずっと逃げていた。でも、それも終わりだ。
 沈黙が流れる。ちらりと佐藤の様子を窺う。手元の缶コーヒーを見つめているが、焦点が合っていない。恐らく、佐藤も美幸の事を思い出しているんだろう。
「今でも、美幸が元気にしている気がする事がたまにある。だから、部活を続けるって決めた時、きっと長い旅に出たんだろうって思う事にしたよ。」
 私の言葉で、止まっていた空間が動き出す。「そうか。」
佐藤は静かに言った。
 我ながら馬鹿だと思う。もうこの世には居ないって解ってるのに、今も何処かにいるって信じたいんだ。
 暫くして、部室の花瓶の水を入れ変え、私と佐藤は部室を後にした。校門前での佐藤と別れ、私は一人で歩き始めた。

#小説
#写真
#友情シリーズ
#写真は本編とは無関係です

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