第四回.美山みどり氏のブログをほぼすべて読んだ。

第三回まではこちら





■美山氏、ブログを非公開に

美山みどり氏がブログ『梢おばさまのトランス日記』を非公開にした。
美山氏の報告noteがこちら。

タイミングからして私がこのたび公開したまとめnoteが
関係しているのではないかとは思うが、
特に何も触れられていない。

最高裁に「違憲としないで」という1点で共闘する女性らから、これまで意識していなかった女性の感覚を更に教えられることが、幾つかありました。また、私が性別適合手術の前に女子トイレを使っていたことも批判され、またブログの中の過去の記載につき女性を傷つけるものが複数あると指摘もされました

https://note.com/gid_tokurei/n/n47cccfcbc92c

という「1点で共闘する女性」に私は含まれていないのでここに強調しておきたい。
またブログの記載が「女性を傷つけるから」批判したわけでもないので、これもやはり私の指摘とは関係ないようだ。

■「女性専用」は一度でも曖昧であったか

女子トイレは、2021年末頃、あいまいなところもあった日本にあって、商業施設の女子トイレへのトランス女性の突撃騒ぎがあり

https://note.com/gid_tokurei/n/n47cccfcbc92c

とあるが、女子トイレの性別運用が曖昧だと思っていたのは
「トージシャは性別移行度で女子トイレ利用を慎重に判断しています!」
などと言って勝手に自己判断で入ってくる男性だけであり、
女性女児にすればそんなこと全く想定外で、「女子」「女性専用」なのだから曖昧さは今までもこれからもゼロだ。

突撃騒ぎというのも、
騒がれなかっただけで自身も数えきれない回数・長い間「突撃」してきたのに何を言うのだろうか。
女性が勇気を出して声をあげ続けたからようやく「書類送検という騒ぎ」に持っていけたのだというのに
それをもってしてもまだ自省すらなく、
自分を「これからも使える側」に置くところで線引すべきだと言えるのは自己中心的であると思う。

そして、自己中心的にそれらの事実を無視するのみならず、
「女は曖昧運用も、男が入っていること自体も、安心して信頼して受け入れている」ことに歴史修正・すり替えられているので
私は膨大な時間と労力を使い、性被害トラウマと闘いながらも
こうして指摘・批判しているのである。


■男女別運用の線引「身体的特徴」とは?


女子トイレを利用できる線引きも、もはや「性自認」とか「パス度」ではなく、女湯同様に「身体的特徴」によって区分されるべき

https://note.com/gid_tokurei/n/n47cccfcbc92c

とあるが、この「身体的特徴」とはなんだろうか。
その表現だけ聞いたら「生物学的男女」のことだと思う人も多い。
しかしこれまでXで私やみなさんが散々指摘してきたとおり、
戸籍の性別記載変更ができる「特例法」を支持する人たちの間では
性器整形と豊胸した男性なら身体的特徴が女」という意味で使われているのだ。

●手術済とは、つまり「男性器あるまま」である

性器整形に関しては
男性器がなくなるわけではなく、
男性器の組織や皮膚や神経を使って女性器のように整形しているだけで
美山氏の言葉を借りると

元あったものを再利用して作っていますね。ただ取っただけじゃないです。
象さん、いなくなったわけじゃなくて、変形

http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52292234.html

そう、男性器はあるままであり、たんに形を手術で変形させただけである。

それにもし仮に事故などで本当に男性器も生殖機能もすべて喪ったところで、
「男性器がないから身体的特徴が女」とするなどたいへんな侮辱・差別のはずだ。
同様に、生殖能力の喪失要件についても、「下半身を喪ったり完全に無精子な男は女同等だ」などは侮辱・差別であることがわかるはずだ。
「男性とは男性器だけの存在」かのように扱うことに私はずっと反対している。

●性器整形至上主義

生物学的に身体のすべてにわたる外見的特徴で言うのであれば、
検査できない場面ではつまり「パス度(どこを見ても女に見えるか)」になるのだが、
美山氏は
>「パス度」ではなく
と書いている。

そして「性自認」でもない、
と。
であれば
男に見えて、性自認男でも、性器整形していれば女湯も女子トイレもOKにしろ、という話だろうと思うがいかがだろうか。


社会状況に応じて私の考え方も変化しています。

https://note.com/gid_tokurei/n/n47cccfcbc92c

とあるが、考えは変化しようとも性別は変化しない。
考えや言動や容姿ではなく性別の話なのだから
性別の一点だけが重要だとこちらは指摘している。
それを勝手に「女子トイレは曖昧だった」とか
「男性器なくなってなくて変形しただけで侵入OKにすべきだ」
などと運用や定義を「変化」させる権利は誰にもない。
女性当事者の女性たちにすら、そんな権利はない。

●「意識は完全に女性」?考えが変わろうと、性別は変わらない

下記は少し長い引用になる。
2022年6月のブログである。

どうやら TERF さんたちは「完パス・埋没」の私たちは許しがたいようなのです。パスしない人たちの方が許せるようなんですよ。不思議。
つまり、「戸籍変更後でさえも、女性スペースに立ち入ることは許されない!」とする、過激な立場の場合には、「完パス」の人々は、見た目全く区別できませんからね。それがどうも脅威のようなんです。もちろん、「完パス・埋没」でそれこそ埋没歴20年、なんて人はもう意識は完璧に女性以外の何物でもないわけで、
じゃあ、戸籍が女なのに、なぜ女性スペースの利用を拒むの?
と当然のように抗議することでしょう。
TERF過激派は、そもそも「戸籍変更」の法律的な意味よりも、自分たちの狭隘で観念的なイデオロギーを優先したがる人々なのでしょうね

http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52344595.html

男は全員が男だ、女として扱えという強制(特例法)は女性にとって侵害となる、
と訴える女性たちに「私を男と見破れなくて怖いのねw」とすりかえて
隙あらばの容姿マウントに利用し、
「狭隘で観念的なイデオロギー」とまで言っている。
「女らしさ」という狭隘で観念的な偏見にもとづき、なんの客観的根拠もない患者物語診断で陰茎変形手術をし、それによってこれまたなんの根拠もなく戸籍記載変更までする「特例法」ではなく、
生物学という実存する事実の指摘が、狭隘で観念的イデオロギーだとは恐れ入る。

TRA も TERF も、すでに戸籍を変えた私たちには、指一本触れることはできないわけです。
私たちはすでに「自分が欲しいもの」は手に入れています

http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52344595.html

と書いているが、
別の回では

紙切れは奇蹟を起こしません。それどころか紙切れを振りかざした瞬間に「負け」が確定したようなものです。

http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52329034.html?ref=foot_btn_next&id=409981

とも書いている。
他にも何度も「万一咎められたときも戸籍変更していれば安心」の旨が出てきた。
都合よく主張を左右し、自身がまさに「紙切れを振りかざしている」のである。

そしてこのブログ内容は、

こちら動画の内容とずいぶん違うので驚くばかりだ。
ではブログから1年で「女性に決定権がありそれに従う、に変わった」のかと言うと、
つい先月2023年8月に女性を「部外者」と呼び
「女という部外者に、バレずに女性専用の場や枠や統計すべてに侵入し続けたい私たちの理想を否定されるのは許せない」旨をぶつけている。

今回のnoteでもまだ
「身体的特徴(男性器活かしオペ)でトイレも風呂も区分すべき」
などと言っているので、
動画の発言は建前であり
女性たちが同情してしまいがちな「私たち、苦しくっても、手術しても、本物の女性じゃないと誰より自分がわかってます……わきまえてるんです……」アピールであろうと思われる。

最新の態度がこちら↑であることからしても。

■性別の決定権など誰にもない

そして本当に「女性に主権、決定権がある」という主張であれば、ご自身が率先していったんは出ていくべきでは?
特例法はその存在すら全くもって周知不足であり、女性が「決定する」以前の状態だからだ。
主張どおりでいくなら、 周知・議論⇨決定 がなされるまでいったん出ていかないとスジが通らないと思う。

それとも周囲の女友達や、ずっと一緒に活動しているという「女性スペースを守る会」の女性たちに決定権があるというのだろうか?
しかし彼女らは全女性と同じ意見というわけではないため、美山氏と貸切風呂や自宅トイレ・風呂でご一緒する決定権しか持ち得ない。

そして私はこの男女区分の運用決定権は女性にすらなく、(トイレで母親の世話が必要な赤ん坊は除くとして)生物学的事実にのみあると指摘する。
誰も性別を選んで生まれられないのと同じなのだ。

特例法だけではなく、性同一性障害のガイドラインや、実際にどういう人たちであるのかも周知が全く不足しており、むしろ
「なんだか知らないけど可哀想で害のない人たち。本当に心が女性という状態はある。手術すれば身体も性転換できる」
といったイメージ、それも誤った内容が大半を占めた状態で独り歩きしてしまっている。
それを周知する意味でも、美山氏のブログは貴重な証言だ。
ぜひとも修正せず堂々公開を続けるべきである。

●美山氏の言動や容姿は、性別判断の問題ではない

しかし今回も改めて強調するが、美山氏がどういう言動や容姿をしているか、本心がどうなのかなどは実は「女扱いすべきか否か」の判断にとって、まるで問題ではない。
なんて気持ち悪い、こんな人が居るなら問題だ!と考えることは
幻想を捨て去り、事実に対峙するために有効だが、
そこで止まると「でもきっとどこかには私・オレの理想通りの本物が居るはず……」と本物探しの旅を続けてしまうだけになるので、
ぜひここで本質へ踏み込んでほしい。

美山氏が、自身の批判している経産省女子トイレ裁判の原告よりも
えぐい言動をしていたとて、それは問題の本質ではないのである。

https://twitter.com/KyxuwXveLHWh2F5/status/1698144936087138775?s=20


私のnoteは
「男性器を切るまでしたのだから」「女より可哀想でわきまえた弱者なのだから」と
建前やファンタジーによって同情で目が曇らされてしまい、
事実をねじまげてでも
女性女児の尊厳生命生活人生あらゆるものを搾取して捧げようとしてしまう男女が居るから
それを自覚していただきたくて書いた。

「そんな小異より手術要件の維持だ」と言う人たちに、
そんな小異、ではなくそここそが本丸で、この本丸を崩さない限りずっと女性は侵害され続ける上に「手術要件(外性器の見た目や生殖能力喪失)の維持」もじわじわ無効化されるし、すでにされていっている、と言いたくて書いた。

勝手に、賛同者にわかりづらい形で、
メディアや政党提出など公的な提示として
「女はみな性器整形した男なら、安心と信頼で受け入れてきた。一部の過激な差別女から彼らを守る盾として女から見ても特例法は必要です。ほら、この”当事者”の信頼の置ける態度を見てください」とする
有害さ、傲慢さ、そして不誠実について
考えていただきたくて書いた。


あなたたちが捧げるのは現在日本で生活している女性女児だけではなくて、
過去から現在そして未来にわたっての全ての女性女児についてであることにも気づいてほしい。

それを「小異」と切り捨てるべきだろうか。
その根底からNOを言い、マイナスをゼロに戻すため、
踏むな、奪うな、侵略するなと防衛する
私は、「欲張りゆえに全てを失うサル」だろうか。


生物学的事実をゆがめる権利は、誰にもない。

しかし不動の事実を曲げて強制する力・自由は、強者・権力者なら持ててしまうのだ。
よって、その力・自由はかならず、弱者を搾取し支配することになる。
美山氏が「男なら勝ち目ないけど、女なら勝てる」とトランスしたように。

女性にトランスした方のが「おトク」である
男なら勝ち目がないけど、女なら「勝てる」と思いますもの。

http://blog.livedoor.jp/kozuesug/archives/52351355.html


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