野木亜紀子『フェンス』2話まで感想。※ネタバレ注意

野木亜紀子脚本のドラマ『フェンス』が
WOWOWで始まりました。

米兵にレイプされたと訴える女性と、ライターの主人公が事件の真相を追う話です。

現在2話まで見ることができます。

あまり直接的ではないとはいえ
性暴力シーンが出てくるので、意識をどこか別のところに飛ばさないと私は見ることがきつい。
トラウマのある女性は無理に観ないでほしいです。

でも男性と、そして
「性別は自認でき、それを女は受け入れるべき」という
自認思想推進者の女性はかならず見てほしい、
見る責任がある内容だと思いました。

以下は、胸をえぐったセリフを
引用しています。

作品を観てない方は注意です。





10歳まで沖縄で育った主人公は小学生のとき、
女手ひとつで育ててくれた母親が
町内会長の男に
レイプされているところを目撃してしまう。
その記憶を声を震わせて語りながら、こう言う

「私は
沖縄でうまれたウチナンチュで、
ナイチャーで…
アメリカとアジアのどっかの血が入ってて。


自分が誰だってどうだっていいんだけどさ…

女なんだよ、、

女ってことだけは変えらんないんだよなぁ…」

この吐露に至るまでの1~2話の内容が、すべてこの台詞に詰まっています。

キャバクラで女に接待させて、女は楽して稼げていいねえと説教する男。
満員電車で痴漢する男。
冤罪だなんだと言う男。
好きだの甘い言葉をぬかしながら、避妊しない男。
アメリカ人男性を好きな女を馬鹿にする男。
彼らに「本来、自分の所有できるはずの物だ」と思われている女。
彼らに、どんなに全力でぶつかっても殴っても、絶対に勝てない女。
彼らが、やりたいと思えば、いつでも尊厳も命も簡単にふみにじれてしまう女。

なにかの面では恵まれた属性を持っていたとしても、
性別という一点において、
どの集団にも「女」は居て。

女が、「男」に相対したときどういう関係性におかれるのか、
どう扱われるのか、

そのくやしさ、
屈辱、
恐怖、
諦念、

自分だけじゃなく、
友達、おかあさん、未成年も、
ニュースで聞く知らない人も、
よその国でも、
ずっと昔も今も、
属性まるごとが同じ扱いを受け続けてきたこと
「女」であることは変えられない、
逃げられないとわかりながら生きている
心情がそこには詰まっていました。

泣き崩れるおかあさんに寄り添いたくても、
なにもできなかった主人公の噛み締めた無力さを思います。
性暴力を筆頭に、女性たちが女性だからというだけで、
手からこぼれおちる小さなお守りのように、簡単に
無意味なものに貶められてしまう瞬間を、
私は知っています。

いま、そんな「女」を、男性本人が望めば名乗れるようにするのが、人権で世界基準なんだ、と言う人たちが居ます。
受け入れない女は差別者だ、と言って責めます。

私は、そう責める人たちにこのドラマを観てほしい。
女は男が名乗れるんだと言われるたび、
そして実際に、心配していたとおりの、高石市のような性暴行事件が起きたときに、
被害者女性はもちろん、
「差別者」と呼ばれながらも声を上げるのをやめない批判者女性たちも、
屈辱と無力感を味わっていることを考えてほしい。

条例も法律も、止められなくて、本当に、いったいどうしたらいいかわからない。

現実の性暴力は、ドラマで写せるシーンどころじゃなくもっともっとえげつないよ。

これ観ても、まったく心動かないのか、
自分の主張に本当に穴はないと言い切れるのか、
たしかめてほしいです。

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