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祖母の話

これは私がかなり昔(1997年ごろ)に見た夢のお話です。 #夢日記 #怪談
#実話怪談

子供の頃から20代前半までは同じ夢を何回もみることがありました。
当時はかなり悩みましたが、いつの間にか悩んでも解決しないことを悟ります。
そして気になる夢は、何らかの形で記録することにしていました。
当時はパソコンもブログも無かったのでノートに手書きで書くことが多かったのです。
この夢はその頃のノートに書いたものを、書き直したものになります。


始まり


S美は高い場所から下を見下ろしていた。
あぁ、またこの夢だ。
数日間同じ夢を見続けている。

周囲はどちらかと言えば暗めで、霧が深い山の中のようだ。
どこかのお寺か神社の裏の林の中のような感じである。

目が覚めるとずっと起きていたような感じで、滅茶苦茶疲れている。
こういう夢を見た時はたいてい疲労感が半端なく強い。
そして毎日続くのでそれなりに消耗もする。

老婆がいた


あぁまたこの見下ろす夢だ。
遠くから誰か来る様子だが、まだそれが誰なのかわからない。
夢の中が少し進展したのでS美はこれで次へ進めると内心喜んだ。
だがやはり同じ夢が数日間続いた。

正面に誰かいる!と感じた。
そっと目を開ける。
目の前には鬼の形相をした小柄な老婆が立っている。

しかし距離感がおかしい。
老婆は木槌を振り上げS美のほうへ寄ってくる。
とっさに避けようとするが、身体は全く動かない。
滅茶苦茶あせるのだが状況の把握が全く理解できていない。

深呼吸をして周囲を見る。
首を動かすことはできないが、目玉だけは動かすことができた。
老婆の顔が良く見えないので、この人が誰なのかがまだわからない。
あぁ、これは夢なのだと理解したとたんに目が覚める。

そして同じ夢が数日間続いた。
同じ夢を繰り返し見ることは以前にもあったが、今回のパターンは初めてだった。
たとえて言うのであれば、10分ほどのドラマの第1話を5回ほど繰り返し見てその次には第2話を5回ほど繰り返す。そういう感じで夢の内容が進行していた。

丑の刻参り


胸にチクリと痛みを感じた。
目を開けると、目の前に老婆がいる。
あぁ、あの夢の続きだ。とS美は理解した。

そしてようやく状況をほぼ理解することが出来た。
高い木の上にS美は、はりつけ状態になっている。
目の前の老婆がまだ誰かはわからない。
しかしその老婆はそこそこ太い釘か何かを、S美の胸に打ち付けようとしている。

老婆は丑の刻参りを行っていて、S美は藁人形になっている。
いやこの言い方は正確ではない。
藁人形の中にS美の意識があると言ったほうが正確かもしれない。

S美が、これは夢なんだ。
と思った瞬間に目が覚める。
そして5日間ほどこの夢が続いた。

老婆の正体


S美は老婆が何をしたいかが理解できた。
それと同時に疑問がわいてきた。
あの老婆は誰なのか?そしてなぜ私を藁人形として釘を打とうとしているのか?
夢の中で確かめる必要がある。

起きている時と同じように夢の中の人物にちゃんと聞くことができるだろうか?
いつも夢は一方的な物で、望むように行動と言うか意志を持って会話ができるのか非常に疑問だった。
しかし相手は丑の刻参りを行い、S美は藁人形として扱われている。
これは誰がなぜ行うのかを、確かめなければいけないとS美は強く思った。

目の前に老婆がいた。
今までは怖さもあり老婆の顔をしっかり見ていなかった。
しっかり老婆の顔を見直した途端に、その老婆が誰かわかった。
母方の祖母、T子さんだ。

老婆の正体がわかったとたんに目が覚めた。
この夢は1回しか見なかった。
S美はひどく困惑していた。
始まりの夢を見た時から約1か月が経過していた。

祖母はなぜ私を呪い〇そうとしているのか?
まったく理解が出来ないでいるS美だ。
とにかく理由を知らなければ、対策もたてられないだろうと考えた。
誰かに相談したくても、このような内容を相談できる人はS美の周りに居なかった。

夢の中で祖母に呪い〇されそうになっている。
などと誰かに話したら、しかもその祖母は10年ほど前に他界している。
そのような話をしたら被害妄想などと言われるのが関の山だ。
とにかく一人で何とかするしかないとS美は腹をくくった。

理由


S美は胸の痛みで目を開けた。
最初の時よりも痛みが強くなっている。
5寸くぎを打ち込まれる痛みというのはこういう物かと呑気に考えているS美だった。

目の前には鬼の形相の祖母がいる。
S美は祖母に尋ねた。

なぜそんな事をしなければいけないの?

祖母は言う。
全てお前が悪いんだ!
お前のせいでY子が苦しんでいるんだ。
お前がM夫さんと結婚したから悪いんだ!

ここで目が覚めた。

Y子とはS美の母である。
S美が結婚した時は既に祖母は他界して数年が経過していた。
Y子はM夫との結婚を反対していた。
しかし反対理由については、M夫の収入の低さしか指摘が出来なかった。

これを書いている2024年であれば、M夫との結婚を反対された理由が理解できるがこの夢を見ていた1997年の時点では全くわからなかった。
M夫と結婚した結果、S美の父親が住む場所で生活する事になった。
S美の父親とは5歳の時に母親が離婚した為にその時から別れていた。
父親の住む土地にS美が住むことがY子には我慢できなかったようである。
また結婚したN家がどういう家だったのか、それを知れば知るほどとんでもない家だったと知るが、そのお話は後日することにしよう。

S美には子供が1人できたが、まだ保育園の年中さんである。
田舎なので幼稚園は無く、3年保育が一般的な地域だ。
そして先日Y子が末期がんと知り、命の終わりが近い事を実感する。

祖母の性格


祖母は明治の女である。
頑固で1本芯が通っていて、封建的な考えの持ち主だ。
生まれた時代背景を考えたら納得するしかない。

祖母が何歳で他界したのかは詳しく知らないS美だった。
ただY子が10歳の時に、T子は夫であるY子の父をがんで亡くしている。
それから生きていくために金物屋を開き、使用人も雇い店をきりもりしてきた。
先祖代々の田畑もあり、小作の子供たちを店から学校にも行かせていた。

Y子の生まれが昭和10年(1935年)なので、祖母が夫を亡くしたのは終戦の年(1945年)になる。
そして1970年ごろに祖母は店をたたんだ。
自分が起こした店だから、後継ぎがいないのなら自分でたたむと言ったそうだ。

Y子は7人兄弟の末っ子、4女である。
伯母は何かあるとすぐにY子ばっかり。と言っていた。
つまりT子はY子の事を特別甘やかして育てたようだ。

なぜ丑の刻参りを行っているのか、その理由はわかったがどう交渉するかが最大の問題である。
こちらの言い分を言っても聞くような祖母ではない。
とにかく祖母には逆らうな!というのが孫であるS美の置かれた状況だ。
ここでいろいろ意見はあるかもしれないが、これが封建制と言うものである。

そしてAが駄目だったらB、というような具合に交渉するわけにはいかない。
もしそのような事を行ったら一発でアウトになる。
祖母にこれを言えば、確実にやめてくれるだろうという内容で交渉する必要がある。とにかくチャンスは1回きりなのだ。
そしてもし上手くいくのであれば、祖母を応援者にすることが出来れば最高に良い。
そういう材料は何か無いだろうか?
S美は必死で考えた。

交渉


胸の痛みは日に日に強くなる。
最初は夢の中だけだったのだが、起きているときも痛みが出るようになった。
祖母の言い分を聞いた日から3日ほどが経過していた。
あと1発祖母が釘を打ち込んだら、心臓に到達するかも?とS美は感じた。

お婆ちゃん。
S美は祖母に声をかけた。

お婆ちゃんの○○を作る技術は、4人娘の中で受け継いだのは2人だけだよね。
K伯母さんに子供は居ないから、受け継げるのは私だけだよね。
私が○○を作る技術を、お母さんからちゃんと受け継ぐからそれまで待ってくれない?

祖母の5寸くぎを打つ手が止まった。
わかった。
でも出来なかったら、わかっているね。

そう言うと祖母は姿を消し、目が覚めた。


さて母にはどのように切り出そうか?
S美は悩んだ。
思春期特有の、だったのかもしれないが母との会話も肝心な話は避けることが多かった。

最初に切り出した時の会話は次のようなものだった。
一番簡単な本を貸して。
あんた、本を見ただけでできると思っているの?
思っているの!

そう言って母から本を借りてきた。
その時の母の返答は
次に会うときにお裁縫箱を持って来なさい。だった。

その後母は何回か聞いてきた。
あんた、誰かに何か言われたの?
べつに、そんな事は無いよ。
S美は適当に答えた。

まさか祖母に呪い〇されそうになったから、などとは言えるはずがない。
しかし、もしかしたら母も祖母の夢を見ていたのかもしれない。
いや、祖母の事だ。
絶対に母の夢の中で何か言っていたに違いない。

この時からS美の胸には薄青い点のような跡がついている。

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注意:この話はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。


最後まで読んで頂きありがとうございます。


読んでいただきありがとうございます。 アトリエを無事引っ越すことが出来ましたが、什器等まだまだ必要です。 その為の諸費用にあてさせていただきます。