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高校日本史 江戸幕府の将軍

社会人のための高校日本史」は、高校の日本史をベースにして高齢者大学の日本史講座向けに作り直した動画です。このシリーズは江戸時代。江戸幕府の将軍ごとに時系列になっています。

徳川家康は、織田信長の同盟軍から豊臣政権の大老を経て、関ヶ原の戦いの勝利によって天下人になる。武家諸法度・一国一城令で大名の軍事力を制限し、禁中並びに公家諸法度で天子に学問を勧めた。中国・朝鮮との外交関係の回復に注力、ポルトガル船の生糸利権に対抗して朱印船を派遣した。

二代将軍徳川秀忠と三代将軍徳川家光は江戸幕府の体制を確立する。秀忠は武家諸法度・禁中並びに公家諸法度の定着を進めた。徳川和子が天皇の女御、鷹司孝子が将軍の御台所として、将軍家と公家を結合させた。家光は幕府の組織を整備し、将軍独裁から老中の合議制に移行した。

四代将軍徳川家綱の時代、江戸幕府は武断政治から文治政治に転換した。末期養子の緩和や殉死の禁止を行い、主家への忠誠を重視した。経済成長は新しい家族形態が生み、檀家制度によって仏教を統治体制に組み込んだ。江戸幕府の統治システムが完成、その影響は現在の日本まで続いている。

五代将軍徳川綱吉は館林藩主から将軍になり、藩士を幕臣に加えて将軍権力の強化を目指す。その結果、将軍と老中の間に立つ側用人が大きな力を持つようになった。綱吉は文治政治を推進し、生類憐みの令は穏やかな社会を作った。一方、元禄赤穂事件は、武士の論理をめぐる議論を巻き起こした。

徳川吉宗と田沼意次は幕府財政の再建を目的として政治に取り組んだ。財政逼迫の原因の一つは幕臣の増加による人件費の負担にあった。徳川吉宗が米の増産と年貢の増徴という伝統的な手法で収入の増加を図ったのに対し、田沼意次は商品作物と流通過程の把握という新しい手法をめざした。

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