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年の瀬。花束と、街の灯り

毎年こっそりと振り返っているnote。年の瀬、茶会の茶室が寒すぎて風邪にかかり、酸素が回らない頭でぼうっと紅白をみていたら年が明けていた。だから下書き時の22年のまま、23年に投稿しちゃう。

今年(22年)もどうにもならないこともあったし、ああ、きついな。と感じることも多くあった。
昨年までの騒ぎがおさまったと思えば世間でも私の周りでも、余計にパワフルでヘビーなことが降りかかっていた。

それでも。

苦しい時間が多かったからこそ見つけられた大切なものがたくさんあった。悲しみのなかに、確かな光を見つけられた年だった。

それは遠いところから見る夜景のように、かすかに、でもしっかりと私の心を照らしてくれていた。

人の息づくさまを見るのが好きだ。夜景は、それぞれに人が生きているということを感じられる。まぶしいひかりひとつにすがるよりも、沢山の瞬く光に私は助けられるのだと、そう思った。

悲しいことがパワーアップしたのと同じくらい、良いこともパワーアップしているという
確信がある。

今年もさらにさらにたくさんの出会いがあった。これは完全にコロナ禍が落ち着いたことがもたらした幸運。

そして、その出会いこそが今の自分を形作る大切なものであると強く感じることになった。

縁と縁が重なって、大きな広がりへと繋がっていく。過去のいくつものレイヤーが形を見せ、少しずつ重なってきれいな模様になるさまを垣間見れたので、面白かった。長く生きることに、絶望を抱く瞬間もあったけど、長い人生だからこその愉しみを知れば生き甲斐になるというものだ。

また 過去、未来、現在 の関係性については何となく今年の自分のテーマだった。
これまで終わってしまったことについて悲しむことが多かったのだけど、過去という既成事実ほどゆるぎないものはない。その事実が私の今を形作っていてすべてがかけがえのないものということには変わりがない。ということに気づく。

まだうまく言葉に出来ている自信はないけれど、その発見は2022年、自分の中で大きな指針となった。そして、たまたまその話をぽつりとしたら理解を示してくれる人がいて、大切な関係を築いていきたいと強く感じた。

へこんだり、あがったり、ぐるぐるしながらもでも確実に良い方に物事が向かっているという感覚がある。だから大丈夫。

なんだかんだあるけど楽しく笑って生きる。

それに尽きるのです。

そして2023年の目標は、欲張りに生きる。
なんだかんだ、前に出ずに空気を読んで置きに行く癖がついている。でも素敵だなと思う人はいつも、堂々と自分の意見を発して揺るがない。貫くことが必ずしも正しいとは思わないけれど、自分への意思表示はちゃんとしていくべきだ。今年はちゃんと、私自身がやりたいと思うことをきちんと選び取る。大好きな人と会って、美味しいご飯を食べて、自分の機嫌を取り、やりたいと思ったことをする。それだけなのだ。怠慢ではなく強欲に。控えめではなく、前に出て。

さて。

年が明けて、東京でたくさんのことをしたいなぁと思いながら、なにもない実家から帰ってきたけど、案外行くところがない。というかめんどくさい。やれることがあんまり実家と変わらない。近所のサウナに行ってこよ。

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