見出し画像

量子論の視点からみた世界の進行

前項では、「今」は連続であり、分岐はし得ないと述べた。

しかしここで、量子力学・量子論を避けずには通れない。
物質を細かく見ると、分子・原子で構成されている。
原子は原子核と、その周りを回っている電子からなり、
さらに原子核は陽子と中性子からなる。
陽子・中性子はクウォークと呼ばれる
さらに小さな粒子からなり、これらは素粒子とも呼ばれる。

電子や素粒子は、粒子のようにも波のようにも振る舞うことが
1900年代初頭に発見され、これまでに多くの研究者が
この不思議な現象を理解しようとしてきた。

量子論を語る上では二重スリット実験という、
粒子と波の二重性を典型的に示す実験が有名だ。
二重スリット実験 - Wikipedia

多数の粒子を2つのスリット(縦長の隙間)が開いた板に向けて発射し、
スリット板の先にスクリーンを設置しておくと、
古典物理学の世界ではスリットを通った粒子の痕跡が
スクリーンに2本のラインとして現れる。
一方、光や液体などの波としての性質を持つもので同じ実験を行うと、
スクリーンには縦の縞模様が現れる。
これはスクリーンを通過した波の回折と干渉によって
粒子の場合とは異なる結果として現れる。
このスリット板とスクリーンに向けて、電子ビームを照射した結果、
スクリーンには縞模様が現れたのだ。
これは粒子と考えられていた電子が波として振る舞った結果であった。

さらに同じ実験を、スクリーンを観測しながら行ったところ、
今度は縞模様ではなく2本のラインが現れ、さらに驚きをもたらした。

つまり、電子は粒子としても波としても振る舞い、
それがどちらを取るかは観測するまで分からないということが、
この実験以降の様々な研究によって明らかになってきた。

電子の実験で見られたように、
量子は粒子と波の性質を併せ持ち、
さらにこの量子は一つの状態だけではなく、複数の状態を取る。

これは「量子の重ね合わせ」と呼ばれる。
「シュレディンガーの猫」と言われる思考実験でも有名だ。
シュレーディンガーの猫 - Wikipedia

しかも、これは観測されるまでどちらかは分からないという代物だ。
さらにこの量子には、量子同士が相互作用をすると
非常に強い相関を示すという特異な性質もある。

対になった2つの粒子(量子)が、空間的にどれだけ離れていても、
片方の状態が決まればもう片方は自動的に、
その瞬間に相互的な状態が確定してしまう。
この時、伝達の時間は必要なく、瞬時、いや同時に決まるというのだ。

「量子のもつれ」と呼ばれるこの現象は、
テレポーテーションのような情報の転送・再構成や、
パラレルワールドの存在を実現させ得るかもしれないと考えられている。

量子力学の世界はまだ未知な領域が多いが、この量子力学の解明によって、意識や思考、ひいては魂の存在を説明できる
という科学者もいるのだそうだ。

筆者自身は量子論・量子力学については極めて浅学であり、
前段の記述にも大いに誤りがあるかもしれないが、
しかし、量子の動きは私たちの通常の思考を超えた
振る舞いを行っていそうであることは理解する。

電子や素粒子などのミクロなものが、
粒子や波の状態を併せ持つと前述したが、
つまり、これらは全ての物質の素であり、
言い換えれば全ての物質は量子的な性質を持っているとも言える。

ということは、複数の状態を同時に持ちうる「重ね合わせ」や、
伝達を介しない「もつれ」による相互的な相関を取りうるのが、
私たち人間も含めたこの世界の全ての物質なのかもしれない。

それでは、私たちの世界は前項で述べたように
 偶然の結果によって生じる必然的な「今」が、
 継ぎ目なく連続で行われていく
のではなく、
 無限の可能性を秘めた状態から
 私たち自身が選択している
のだろうか。


ここで、再び二重スリット実験について着目する。
この実験では、スリットを通る粒子を観測してしまうと、
「観測する」こと自体が、その粒子に影響を与えてしまい
粒子としての振る舞いをするということだそうだ。

すなわち、観測(=観察)が
「不確定」な状態を
「確定」させる

私たちが思考し、または行動することは、
この「観測」することに当たらないだろうか。

つまり、一寸先の未来は全くの不確定状態だが、
その時点に至ると、
すなわち、私たちが認識し、観測すると、世界は確定される。
これが、連続が行われていく。

全ての物質は量子的な性質を持つため、
その「確定」が全宇宙のどこかの量子とのもつれによって
同時に「確定」され、
しかし、私たちの世界は観測されて進んでいく。

ある瞬間にどこかでAの状態が決まると、
離れた地点のBの状態が「確定」される
これが、1対1ではなく、
世界=宇宙の全てで、相互に関係しあっているだろう。

ここにはやはり、分岐が入り込む余地はなさそうに筆者は感じる。

とはいえ、量子論的なこの観測はどこまでの領域を指し、
また、どこまでが未観測で「不確定」なのかを
私は断じることができない。

量子の動きに関わる観測の意思・意識の働きは、
この世界の観測されていない96%のダークマター、ダークエネルギーと関わりがあるのかもしれない。

ここに、私たちの理解と認識を超越するシステムがあっても
何ら不思議ではなく、筆者が本書で述べていることがひっくり返る余地は十二分にあるということについて言及しておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?