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「子供たちにAIやロボット技術を教える意義について」〜メタバース寺子屋

現在、東京深川の地で「メタバース寺子屋」を開校し、「生成AIを使って絵本を作ろう」や「災害対策ロボットを3Dプリンターで作ってみよう」など「学校では教えきれないことを教える」をコンセプトとした習い事を小学生向けに展開している。そこで子供たちにAIやロボット技術を教える意義について話していきたいと思う。

さて、まずはじめに日本列島に関して少し触れてみたい。日本は太古から様々な地殻変動に見舞われ絶妙なバランスで複数の地殻プレートの上に出来上がっている国である。古代の知恵と文化が凝縮された十干十二支では、今年は甲辰の年、硬い殻を突き破って新しい芽がぐんぐん震えながら伸びていく様から地震が多く発生する年とも言われている。古来このような地理的条件の中に住み続けている日本人は、地震や火山噴火など災害が発生するたびに復興や警笛伝承のために尽力してきた。しかしながら、今現在、こんなに科学技術が進歩発展している現代社会においてでも人間は自然の威力の前では何一つ太刀打ち出来ず立ちすくんでいる。

13年前、東北大震災が起きた。福島第一原子力発電所も被災し放射能汚染という未だ解決まで計り知れない時間を要する惨事が続いている。当時、私は神奈川の小田原に住んでいて将来への不安や恐怖が募るばかりだった。千葉で離れて暮らしていた子供達には、もしものことがあった際に身を守る手段を伝えていたことを思い出す。そんな状況の中であらためてこう思った。「この美しい日本の自然を汚してしまって申し訳ない。」と…他人事ではなく、誰がいけないのかと責める気持ちもなく、素直に自分ごととして美しい自然に申し訳ないと思った。そして自分ができることに専念しようと考えた。

自宅の前には箱根から流れる早川を挟んで前方に山並みが見える。あの豊臣秀吉が小田原攻めの際に築いた一夜城があった山だ。もし目の前の山並みが放射能に汚染されたらどうしたらいいのか。自分に何ができるのか。自問自答した末、山林の間伐に使われていた林業機械を人に代わって操縦できるロボットを開発しようと思った。放射能に汚染され人が近づけない山の木々を遠隔操縦ロボットで伐採し除染して廃棄すればいいのではないかと考えた。

なぜ、その考えに至ったのか。それは二十数年前まで遡る。私は長年エンジニアとして重工メーカーからロボットスタートアップまで、一貫して「ゼロからイチを作り出す」開発に携わってきた。またその経験を活かし起業し「ゼロからビジネスモデルを作り出す」ことにも挑戦してきた。ターニングポイントになったのは、三十年ほど前に噴火した長崎雲仙・普賢岳の災害復旧工事用に開発した遠隔操縦ロボットだった。当時、在籍していた重工メーカーの重厚長大思想に将来を憂いていた。ある時、東京晴海の展示会場で重厚長大とは真反対の軽薄短小思想に適した技術を目の当たりにした。空気の流れを微妙にコントロールしながら身軽にモノを動かせる空圧制御技術だった。これは将来、絶対に役に立つと直感しその技術を身に付けるため独自に情報収集と研鑽に努めた。まさにその技術が土木工事における振動衝撃にも耐え得る建設機械に搭乗させても壊れないロボットになった。

しかし、1997年から始まったそのロボット開発はそう簡単ではなく、ゼロからの開発では当たり前の「失敗から学ぶ」経験を何度も何度も味わった。当然、人が立ち入れない危険な場所で動くロボットなので動作試験や耐久テストを繰り返していたが、ロボットが壊れては直し壊れては直しという作業が続いた。肉体的にも精神的にも追い込まれる状況が続き、これではロボットの耐久テストではなく「人間の耐久テスト」をされているような感じだった。そんな時、まだ開発途中のロボットを実際の土砂災害の現場、別府の山間にある温泉地で使うことになった。

時間的な猶予はなかった。台風シーズンの中あと少しでも雨が多く降ると土石流が発生して目の前の温泉旅館が流されてしまう状況だった。なんとかしなければという使命感と、ちゃんと動くのかという不安感が絡み合った複雑な心境だった。少人数の開発チームだったが災害復旧作業に向けて全力を尽くそうと決意した。100%とは言わずも必ず復旧させる意気込みでロボットを稼働させた。しかしながらまたもや作業中にロボットの一部が壊れてしまった。取り急ぎ応急処置をしてなんとか安定してロボットが動くようにまで修復した。人間に例えて言えば、満身創痍でもなんとか歩き続けて目的地に辿り着こうとする感じだ。

そしてようやく、ロボットが安定して動くようになり、私ひとりが現場に残りゼネコンメンバーをサポートしながら復旧作業を進めていくタイミングで事件が起きた。チームミーティングで私はメンバーの1人に罵声を浴びせられた。「なんでちゃんと設計しなかったんだ。そうしてればこんな大変な思いをしなくて済んだんだ。」と…。苦楽を共にし長年一緒に開発してきたメンバーからそう言われたことはショックだった。ただお互い相当にストレスが溜まっていたことも事実だった。至らなかったことは多々ある。しかし今は、全てを堪え復旧作業を完遂させるために最善を尽くさなければならないと思い孤軍奮闘した。

それから一週間かけて、現場に残ったゼネコンメンバーと一緒に無事に遠隔操縦ロボットを搭載したショベルカーで崩落土砂を除去することができた。これで大雨が降っても温泉旅館が流されることも無くなった。安堵の気持ちと言うかは「なんとかできた。お前よく頑張った。まあこれで良し。」といった自分を褒めるというか慰めるというか不思議な感情が胸の中を占めていた。

そして最後の後片付けも済み現場の写真を撮っていた時、またもや思いもかけないことが起きた。後ろから「ありがとうございます。助かりました。」と声をかけられたのだ。振り返るとお歳を召したお二人が立っていた。その温泉旅館の持ち主の老夫婦だった。老夫婦は復旧工事当初から現場の状況が気になってその様子を見ていたらしい。一挙一動をすべて見られていた訳ではないと思うが、日に日に安全安心が確保されていったことで、心から感謝された末の一言だったと思う。その時私はあらためて思った。「困難に直面してもチャレンジして何か新しい役に立つものを作る」とは、こういう喜びを感じることだと。

林業機械を人の代わりに操縦できるロボットは3年の歳月を経て2017年に完成した。2024年現在では福島第一原子力発電所の廃炉支援用のロボットしても活躍している。いろいろな方々の協力があり完成したこのロボットは今だに様々なシーンでの活用が検討されている。割愛するが、このロボットもゼロからの開発では当たり前の「失敗から学ぶ」経験を何度も何度も味わっている。

これから自ら将来を築いていく子供たちには「失敗から学ぶ」経験をぜひしてほしい。そして「困難に直面してもチャレンジする」という気持ちになってもらいたい。今後、時代が進むテンポはさらに速くなり、いろいろなテクノロジーが出現してくると思う。テクノロジーだけではない、社会的にも様々な考えや思想が出現してくると思う。そこで子供たちの未来をより良くするためにも今の大人たちが経験した喜びを子供たちに伝えられる場を作っていきたいと思う。そういう空間を子供たちと共有するために大人の代表のひとりとして深川の地にメタバース寺子屋を開校した。ポジティブに楽しく前を向いて歩いていくことで人は救われると思う。子供たちにAIやロボット技術を教える意義はそこにあると思う。

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