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命が終わるとき

こんにちは。

久しぶりのnoteです(^^)

ステキなnoteに出会って書きたくなりました。

たまごボーロなら食べられるおとしよりに、そっとそっと寄り添う職員のみなさんのまなざしにじーんとしました。

この素晴らしいエピソードに犬の話で恐縮ですが、実家で飼っていた犬の最後を思い出しました。

動物はそのときが近づくのがわかるんでしょうかね。

食べなくなりますね。

9㎏の中型雑種犬でしたが、亡くなる頃には枯れるように小さくなって7㎏を切るぐらいになってました。

ゴーンと鳴ったお寺の鐘がだんだん音が小さくなりいつしかふっと空中に消えていくみたいな終わりかたでした。

仕事柄、人の終わりにも何度も立ち会ってきましたが、こんなふうな穏やかな終わりってなかなか難しかった、あのころは。

望んでいるかどうかなど確かめようもなく突然訪れる終わりも多かったので、なおのこと。

たまごボーロのエピソードにふれて、人間も動物なんだなあってしみじみ。

私も命が終わるときは動物のように終わりたいです。

それを自然で当たり前のなりゆきとして受け入れてくれる人たちに囲まれて終われたらね、いいかもね。

命の終わりに立ち会う現場を見て心から納得したことは命はいつか必ず終わるということ。これはどんな命にも平等に与えられた決定事項。

ただ、それがいつなのかは誰も知らない。

『今日は10ボーロ。昨日は15ボーロ。さて明日は?』

誰もそれ以上は言わないけど、今できることは「今日は10ボーロ食べられたね。」とその瞬間を一緒にいることだとみんな心得ている。昨日いくつ食べたかとか明日食べられるかは関係ない。今日の10ボーロが命の証だということをみんな知っている。もっと食べたら?とか、これならもっと食べられるんじゃない?とかは、その瞬間には不似合いだと知っている。

ミヒャエル・エンデの「モモ」に

時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして、人のいのちは心を住みかとしているのです。

というフレーズが出てきます。一度だけでなく。

また、こんなふうにも。

時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。

また、モモの親友である道路掃除夫のベッポの語りにこんなことが。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

命が終わりにむかうとき、ベッポが言うように、考えることはつぎのひと呼吸だけ…ほんと、そうね。

そして、ベッポはこう続けます。

「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

掃除のことだけを言っているようには思えない。

命が終わるその瞬間を誰かと一緒にいたい人もいるだろうし、ひとりでそっと迎えたい人ももいるかもしれない。どちらにしても、その人が思うような時間を生ききれたらいいんでしょう。

動物はひとりで迎えることも多いだろうけど、個人的には犬は一緒にいて安心できる誰かと一緒に迎えられたらいいんじゃないかなって思います。

犬って人に添うように進化した動物だから。

そして、できることなら、パブロフはそのときを母ちゃんと一緒にいたいと思ってくれてたらいいなあ。

そういう人になれるように日々を暮らしたいねえ。

ちなみに、わたし自身は、そっとひとりで終わりたいタイプです、いまのところは。

できれば、そのときまでにオットを見送っていればなおよし(『はよ先行けよー』ってことじゃないです(*´▽`*))。

息子には、見送ってもらわんでもええんです。

火葬場に持ってって焼いてもらうのはお願いしなくちゃいけないんだけども。できれば、跡形もなくきれいに焼き上げて「なんも残らなんだ」にしてもらえるなら、そのほうが、あとあと面倒なくてなおよし。このへんの焼き加減(≧▽≦)については詳しくないからわかりませんが、どなたかご存知のかたいらしたら教えてくださいませ。

墓なんてもんもいらん。好きなようにしてくれりゃあええよ、と。

形の残るものはいつかきっと邪魔になるから、息子にもほかの人にもそういうものは贈らない主義なんですけどね。

形あるものであっても困らないものは現金だけだろうけど、言うてもそれとてないわけで。むしろこれから大病でも患って、医療費が借金・・・とかないとも言えないしね。

それでも、『母ちゃんを忍ぶためのよすがが何かあったらいいよね』なんてどうしても言うなら、そんときのために、粘土細工のひとつでもひねっておこーかい(笑)?(いや、いらん)

こんな話をするとですね、人生の諸先輩がたから「あんたはまだ若いからそんなこと言えるんじゃ。そのときが近づいてみたら、いろんな煩悩が…。」と言われまする。

そうなのかなあ?まあ、そのときが来てみないとわかりません。

なにしろ、いつもつぎの一歩つぎのひと呼吸つぎのひと掃きのことしか考えていないものだから(=_=)


いつか、「人生会議」ってコトバでなにやら盛り上がった(炎上した)ことがありましたよね?その会議っていうのは、なんかすごいことじゃなくて、こんな話をビールでも飲んで焼肉つっつきながら、寒い駄洒落繰り出し、ガハガハ笑ってしゃべったりすることなんじゃないっすかね?(飛沫飛ばさないよーにね)

それがすべてではないけど、それもその一部ってことじゃ?

特に鋭いオチとか素敵な結論とかなくてこんな感じで。


今日も読んでくださってありがとう。

日本中どこもかしこも猛暑です。

みなさまどうぞ適度に冷やして、夜には湯舟につかって冷えたおなかをあたためましょう。私は冷えるとすぐにおなかが急降下してまいっちゃいます。




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