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あまり跳ねないでほしい 2022/12/13

さて、今日も書いていく。今これを書いているのが15:08。随分と遅くなってしまった。今日はあまり書いている時間がない。もうすぐ娘をお迎えに行く時間だし、オーブンでパンも焼かなくてはいけない。今二次発行しているところ。さて、パンを自分で作るようになり、というか以前からホームベーカリーを使ってならパンを焼いていたのだが、ホームベーカリーなしでパン作りをするようになってから、強力粉の減りがだいぶ早くなってしまい、いつもアマゾン定期便で買っているものを切らしてしまったので、とりあえずで日清のカメリアを買ったのだが、これで作ると明らかにパン生地がベチャベチャになる。全然違う。いつものは、ボウルの中でヘラで混ぜているだけで、まとまってくるものだが、ベチャベチャになる。

パンは長時間かけて発酵する、コネないパンのレシピを図書館で借りてきてそれ通りにカンパーニュを作っている。その通りにやると、うまくできるのだが、仕上がりが小さいので、強力粉のグラム数を倍にして作ろうとしている。他の材料も単純に倍にしてみたところ、なんだか少し勝手が違う気がする。水を少なくしたほうがいいのかもしれない。もしかしたら、先ほど書いたカメリアのせいではなくて、単純に水の量の問題なのかもしれない。

もしいつもの強力粉で同じようにやってみて、それでもベチャベチャになってしまうようであれば、水を減らしてみよう。もしなんともなければ、強力粉のせいだろう。

いつまで経っても、オーブンの余熱が終わらないので様子を見に行ってみると、オーブンが動いていなかった。温度だけ設定して、スタートボタンを押し忘れたらしく、予熱が始まっていなかった。これで2回目。めちゃくちゃタイムロス。娘を迎えに行く時間が遅くなってしまう…。
予定では焼き上げてからオーブンから出して網の上にパンを乗せてから出かけるはずだったのに。うまくできない。

さてここまで800文字である。

今日は歳上のお友達とZOOMでお茶会をしていた。定期的にお話しするのだが、そこで来年の展開というか、構想を聞かれて、本屋さんやお店にほめほめノートを扱ってもらえるようにしたいと答えた。
そうなればいいなと思う。やっぱり一人で活動しているよりは、誰かの手を介しての方が、自分が知り合えない人、届けられない人に届けることができる。誰かを介した方が、より有機的に活動がなっていく気がする。
マーケティングの話をしたいのではない。人と人との繋がりの話なのだろうか。一体僕は何に言及したいのか自分でもわからない、言葉にできないでいるのだけれど、僕がやっていきたい活動は、人を介していくイメージに近くなってきているのだ。

どんな人と付き合っていくのか。それは僕にとってはちょっとナイーブな話かもしれない。あまり人付き合いが得意ではないというか、結構人を選んでしまうところがあるからだ。というか、僕は自分のイメージが結構ある方なので、それに合うかどうかで色々を選別してしまう癖がある。良い面もあるが、それだと、自分の構想以上に広がりを見せていかないのではないかと危惧している。人を介した活動をと言って置きながら、それと相反するような癖がある。それはコンプレックスだし、よくないところだと思っている。

こうして書いておくことで、少しスッキリするところもある。書き始めると、いや、そんなこともないのでは?という考えも浮かんできたりする。人を選んでしまうのは、決して悪いことではないのかもしれないぞ、と。だって、誰でもかんでも、とにかくスケールだけを目標に突き進んでしまったら、結局自分が疲れてしまうかもしれない。届く必要がない人にまで届いてしまうかもしれないから。
もしほめほめノートがメディアというか、著名人に紹介してもらって、バーンと跳ねてしまうと、それはあまり好ましくないなとも思っている。あまり勢いある跳ね方をすると、一過性で終わってしまうかもしれないから。余計なものたちを引きつけてしまうかもしれないから。僕は一人でやっているので、できれば家族を優先したいので、あまりバーンと言ってしまって、余計なことに振り回されてしまうのはごめんである。それよりも、必要としてくれる人に届いてほしい。

あまり何事もお金ファーストで考えない方がいいかもしれない。お金は必要だし、僕は金勘定が好きだが、お金ファーストで考えると、見えなくなるものがあるというか、視野が狭くなってしまうもの。

ああ、もうこんな時間だ。今日は本当にとりとめもない。

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