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必要としない人にまで届けない工夫を考える。 2022/12/20

さて今日も今日とて書いていこう。今が10:09。最近はほんと遅起きである。家族全体が遅く起きている。僕も娘も8時過ぎに起きた。寒いので仕方がない。娘を送って行って、帰ってきて、コーヒーを淹れたらもうこんな時間である。

指定できない配達

今日も0歳児をおんぶしながら書いている。それで音楽をかけながら書いている。今日は、ほめほめノートの増刷分が届くのだが、なるべく早くきてほしいのに、午後の遅い時間にしか配達できないとのこと。すごく困る。あれを片付けるのはかなり大変なのだ。数時間かけてやるところなのに、そんなに遅くては片付けがお迎えまでに間に合わない。配達業者によってかなり対応にばらつきがあるなと思う。

いわゆるサービスの受け手側にではなく、この場合、配達なのでサービスを受けるのは荷物を受け取る側のことだが、そっちではなく、お金を払った側とサービス業者の関係しか重視がされていないように思う。受け取る側は、いつ届くかもわからないし、時間の指定もできない。
これっておかしくないか?と考える。

その配送は、誰が元手を払っているのか。

何かものを買った時における発送に係る関係者は
宅配業者
注文者=荷物を受け取る側
受注者=荷物を発送する側
となる。

元々は、注文者→受注者にお金が支払れている。
そして受注者はその受け取ったお金を原資として送料を宅配業者に支払っている。受注者→宅配業者。
確かに宅配業者がお金をもらっているのは受注者からであるが、そのお金の元となる支払いては注文者なのである。
注文者は品物が欲しくてお金を払っているのに、なぜ肝心のものを受け取る段階で、いつ来るかわからないとか、時間指定できないなどの問題を被らないければならないのだろうか。

これは受注者が宅配業者の選定を見直すべきであると同時に、宅配業者そのものがサービスの質を改善すべきだろうと思う。宅配業者は、目の前のお金を払ってくれる人の方を向いて仕事をしているのか。荷物の届け先がそもそものお金の出し手だと考えれば、その出し手にとって都合が良いサービス設計をすることが、結局は受注を増やすことにつながるのではないか。

ヤマトのサービス

そこらへん、ヤマトはサービスの改善が早い。細々とアップデートがされ続けている。何かを出す時は、ヤマトを選びたい。やむをえず他の業者を選択する時があるが、受け取り手の利便性を考えた場合、ヤマト一択になってしまう。日時変更が効く、追跡がしやすい、UIも他の業者に比べたら圧倒的に良い。まあ、事業者側としては、発送依頼の管理画面をもう少し改善してほしいところはあるけれど、それでもクリックポストに比べたらめっぽう使いやすい。クリックポストは悲惨だ。それでも、クリックポストの場合は、ポストに投函すればよいというのはだいぶ大きいアドバンテージだ。その点については利便性がずば抜けている。集荷に来てもらわなくても良い、待たなくても良いというのは大きい。常にスケジュールがフレキシブルな人間にとっては助かる。だから使い分けをしている。なるべくヤマトで、都合によりクリックポスト。

クリックポストへの恩義

クリックポストは管理画面が使いにくいけれど、便利なchromeの拡張機能を提供してくれている会社のサービスのおかげで、だいぶ助かってはいる。それにヤマトを利用するまでは、随分助けられた。使いにくいとはいっても、その恩義だけは忘れない。全国一律料金で、北海道か沖縄までほめほめノートを届けてくれたのは日本郵便だ。ありがたい。おかげで今がある。

配達は商品の一部

なんだか勢いで宅配について書きまくったが、今回のことは、自分ごととしてもしっかり覚えておかなくてはならない。あくまで送料を払ってくれるのはお客様であり、お客様は品物が欲しく、それを届けてもらうために送料を支払ってくださっている。だからその受け取りに難儀があってはいけない。それも商品の一部なのである。商品と別物でもなければ、外側にあるものでもない。商品の一部に組み込まれているのである。通販は、箱を開け、商品を手に取ってもらうまでが接客だと思っている。なので、宅配方法も接客なのである。接客という言葉は、なんだか商売商売、というか記号的で好きではないが、便宜上そう書いておく。つまりは、発送したら終わりではないのだと意識しているということ。さらに言えば、通販という括りではそうかもしれないが、商品としては、使ってもらった後までも含めてるべきだ。買ってもらったら終わりではないのだ。使ってもらった後、お客様は何かしらを求めて、期待を込めて商品をお買いあげくださっているので、買うことが目的ではなく、使うこと、またはその後の変化が目的なのである。それに適っているかどうか。それをとてもよく考えている。

必要でない人にまで届けない

とはいえ、全ての方にとっていいものであることも現実的には難しい。合わないという方もいらっしゃるだろう。その場合は、申し訳ないのであるが、つぎにこちらが改善すべきことがあるとすれば、その方に取って合わない方にとって良いものに作り替えることではなく、合わない方にお届けしないようにすることである。必要でない人にまで欲しいと思ってもらわないようにすることである。お互いのためでもある。必要な人に届るための工夫はどんどんやるべきだけれど、必要でない人にまで届る工夫は必要ないのである。むしろ積極的に避けていくべきである。
あ、そうだわ。これを書いていて、自らフィードバックが起きたけれど、これからやっていくべきことは、必要としない人に届ない工夫をしていくことだな。どうしたら、必要でない人には届かないようにするか。つまり、必要でない人とは、どんな人なのかを知ることからだ。欲しいと思って買ったけれど、合わなかったという人も含まれる。

少し整理してみよう。

必要としない人にはどんな人がいるだろうか。
なんらかの形でリーチしたという前提で考えてみよう。

(A)パッと見て「必要ない」と自ら判断してくれる人
→イベント販売で目にしても、スルーしていく人。広告で流れてきてもスルーする人。

(B)商品を見てから「必要ない」と自ら判断してくれる人
→イベント販売で目にして、中身を見た上で、いらないと思ってくれる人。広告をクリックして商品ページに飛んでくれるが、いらないと思ってくれる人。

C)商品に興味を持ってくれたが、保留にした結果「必要ない」と判断してくれた人。
→イベント販売で目にして、中身も確認して、一旦保留にして他のブースを回っているうちに、やっぱりいいやと買わなかった人。広告をクリックして商品ページもみて、カゴにもいれたりしたけれど、保留にしたまましばらく経って、そのまま買わなかった人。
これらは「単純に忘れていた」「手持ち資金が限られる中で、他の商品を買うことに優先した」なども含まれる。単純にその人に合うか合わないかはわからないところはあるが、その時点では必要を感じなかったという点では明らかだろう。

(D)実際に買ってみたけれど、使わなかった。合わないと感じた人。
→これが一番さけなければならない人たちかもしれない。イベントやセールなど、気分が高揚している時に人は必要としないものまで買いがちである。そこにいかに含まれないようにするか。その点では、うちはセールには参加しない。そもそも、セールなどで安売りするのは、買うタイミングによって損をするという方が発生するということだ。その人がほしいというタイミングで買っていただくのが一番買い時のはずなのに、その前後で買った方が安く買える=損をしたという構図をわざわざ売り手側が作りに行くのは、あまりにも失礼な気がする。いい買い物をしたと思ってくださる方の気持ちに水を差したくない。
というわけでセールをやっていないのであるが、それは必要としない人にまで買ってもらうことを同時に避けられてもいるのであった。
あとは、イベントでは、店頭に立つこちらも、魅力をできればわかってほしいという欲も働くし、それがポップアップだったりすると、売り場を提供してくれている小売店様に対しても良い思いをしてもらいたいと欲が働くので、熱が入ってしまいがちだ。けれど、それはお金ベースで考えていることだからだ。欲しくもないものを売りつけられてはいけない。必要な人に届るための場所として売り場が健全に機能してほしい。なのであれば、伝えるべきは、誰にとって必要でないかであるかもしれない。「誰にでもメリットがあります」なんて最悪だ。どなたでもとかは、最悪なのだろう。今一度自分の訴求方法に問題がないか見直しておこう。

今日はなんだか研究日誌になった。備忘録としてはとても良い仕上がりだ。あくまでも個人的なものだが。

書いてよかった。

ちなみにおんぶしていた娘はこの曲で寝ました。


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