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とにかく書くスタイル 2022/12/17

さて、今日も書いていく。今が15:33。

明日はイベントに出店する日である。本当に出不精なので、前日になると遠出したくなくなってしまう。が、いざ出かけて帰ってくると、行ってよかった、また積極的に外に出ようと思うことがいつものパターンである。なので、以前、勢いで作った予定が明日の予定なのだ。きっと帰ってくる頃には、行ってよかったとなっているだろう、そう願う。

毎日、本当にあっという間に時間が過ぎていく。ぼーっとしているとあっというまに夕方で、あっという間に19時はやってきて、20時の寝る時間がやってくる。冬は寒いので、お風呂に長く浸かったりしていると、ご飯の時間も遅くなるし、寝る時間も遅くなっていってしまう。急がないと夏場より30分くらい後ろ倒しになりつつある。
冬は夏に比べてよりお日様の日光の力を感じることが多い。普通に考えたらあんなに暑いのだから、夏の方がガンガンにお日様の力を体感しているはずなのだが、冬は日陰と日向の温度差が違いすぎて、娘を送っていく自転車の信号待ちの時に、できるだけ少しでも日向のところで停止する。そうするとすごく暖かさを感じる。

こういう日記も、朝に書いた方がなんかだーっとかける気がするな。できれば早起きして、淹れたてのコーヒーなんか飲みながらリラックスして書きたいところだ。理想の朝だ。頭が空っぽの状態でだーっととにかく思いつくままにかく。もし東京に住んでいたら、早起きして、散歩ついでにipadを持ち出して、スタバとかで書くのもいい。大井町のスタバは、駅前のホテルと同じビルの中に入っていて、吹き抜けがあって、気持ちのいい場所だった。下で日経新聞を買って、それを読みながらコーヒーを楽しんでいた頃もあった。懐かしい日々だ。たまに知り合いから頼まれたZINEの原稿を書いたりして。あまり混んでいなくって、スタッフもいい感じで、お気に入りの場所だった。

田園調布のスタバもなかなか好きだったけれど、あそこは狭い割に、いつも混んでいたので、隣の人との距離がすごいキツキツだった気がする。とはいえ、スタバはどこもそんな感じだな。小田原の新幹線口のスタバも結構キツキツで、しかも外国人旅行者とかも多く、めちゃくちゃでかいスーツケースを持ち込んでいたりするので、混雑時にはそれはそれは狭い。でも、別口のドトールとかはもっとキュウキュウで、外からみただけでゲンナリしてしまう混み具合だった気がする。時間によると思うのだが。
今はどちらかというと、郊外に住んでいるので、人がそんなに混み合う場所に普段行かない。コロナも手伝って、さらに混み合うところを避けていたら、それが普通になってしまい、先日久しぶりにスタバに行ったら、ちょっと窮屈に感じてしまった。隣の人との距離が近すぎるように感じる。話し声も丸聞こえだし、何を話しているかはっきり聞き取れる。そういえば、以前、スタバで老父婦の夫の方が、ワイフに向かって、めちゃくちゃ文句を言っていた。その隣でずっとその小言を聞かされていたのだが、一言行ってやろうかと思うくらいだった。なんであんな公共の場で責めまくれるのだろう。多分、我を失ってしまっているんだと思う。でも、僕もそういうところがあったりするので、あまりこの人を責められないなとその時は思って、黙って横で過ごしていた。そうなのである。僕は自分が正義っぽく何かを振りかざしがちだが、自分もそれと似たようなことをしでかしてしまいがちなやつでもあるということを忘れてはならない。

今日はなんだかうまく書けない。ここでやめてしまいたくなっている。でもまだ1500文字程度だ。いつもの半分。もっと書かなければと思う。やめてしまうことはできるのだが、それにただ単に量を書いておけばいいというわけでもないと思うのだが、それでも、この日記の中では、量をとにかく書くということを重きを置いているので、なんでもいいから書きまくれということなのである。もうどうせ今日という日記は駄文なのだから、クオリティなんてお構いなしで書きまくれば良いのだ。というか、クオリティを関係なくとにかく書きまくるための練習としてこの日記を書いているのだから、こここそ正念場というか、意味があるところなのだろう。今書かずしていつ書くというのだろうか。こういう時、なんでもいいから書きまくるためにこの日記習慣を始めているのである。とはいえ、あまり追い込まないようにもしたい。ついつい、自分を追い込み、自分で始めたことで自分を追い込み自爆して、ストレスを溜めまくってしまう超生真面目タイプなので気をつけなくてはいけない。ほどほどにということがわからないのである。いくか行かないか、それしかできないので、それを適度にやる練習も必要なのだ。そうやって足りないことばかりに目を向けて行っても仕方ない。こんなふうにネガティブ方向に思考がグッと伸びていくのも、夕方に書いているからなんだと思う。もう15時をすぎてくると思考が守りに入ってくる。1日の終わりなんかを意識し始めて、明日のことを考えているからだろう。だから何でも朝がいいのだ。朝やるとその日のことに集中できる。そもそもこんな日記は今この時に集中して書くものなのだから、明日の不安を抱えながら書くものではない。明日の不安というか、こんなもの書いてていいのかなとか、こんなことしてて意味あるのかなとか、そういうことだ。すぐに価値とか意味とかを考えてしまう。資本主義に侵されすぎなのだろう。

おお、なんとか書きまくっていたら2300文字くらいまできている。いいぞ、その調子だ。とにかく思ったことを書けばいいのだ、今みたいに思っていることをとにかく書いていこう。誰に読んでもらいたいとかそういうことは関係ない。読みにくくていい。ただ書きたいから書く。今日も書いたということを残したいがために書く。それでいい。なんでもいいから今日も書いた。でもどんなことを書いたかは速攻で忘れてしまっている。それでいい。今日だって、昨日どんなことを書いたのかなんて忘れてしまっている。思い出せない。でも昨日書いたってことは僕の中に確かに残っているし、内容だって見返せばちゃんとそこに書いてあるのだ。書いたことに意味があったのか、意味のあることを書いたのか、なんて何も気にしていない。ただ書いた。それだけが意味があることなのだ。それでいいのだ。書くだけでいい。中身なんてどうだっていいのだ。ただ書けばいいのだ。ほらこうしているうちにも2660文字まできている。

昨日ホームセンターで畑に植える苗を買ってきた。ミントと、カモミールと、しそだ。こんな寒いのにちゃんと育ってくれるかはわからない。タネを蒔く時期としては全く適していないことが本を見ても、種の袋を見てもわかるのだが、そんなこと気にしないで蒔いてしまおうと思う。なんでもやってみればいいのだ。やってみて生えなかったらそれでいい。せっかく土地があるのだからそれでいいや。すでに土は耕してあって、肥料も蒔いてある。結局堆肥はすき込まなかったのだが、それでも、先に植えた種たちは芽を出し始めている。このままちゃんと生育してくれるかはわからないし、育ちも遅そうだけれど、それでも生えてきているので、水をやりながら見守ろうと思う。水やりだってこまめにできていないが、所々で雨が降ってくれているので、ちゃんと生えてきている。畑の本からするとダメダメな育て方だが、それくらい適当にやっても育ってくれるのかもしれない。子育てもそうなのかもしれないななんて思っている。


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