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書いた本を売るための本屋 その1 『おかしな雑誌のつくりかた』を読んで

オンライン書店を始めてから数ヶ月。思っていた以上に本の動きが少ない。それもそのはず、自分が本をアップできていないからだ。オンライン書店を始めるにあたって、「自分が読んだ本しか販売しない」「本にまつわるエピソードを添えてアップする」ことを課した。元々本屋というのは、全ての本を読んだ上で販売している店主などいないだろう。時間的に難しい。読んでいないのに、商品として堂々と販売する。それではそこの責任は意義はどこにあるのか、というところをどう考えているのかが、各書店の問われているところであり、その答え方がそのままその店の魅力となっているのだと思う。本屋は一種の詐欺師みたいなものだと、黒鳥社の本屋探訪(Youtube)で語られていたりもした。
僕は個人的に、本屋は自己表現の場であってはならないと考えている。自己表現に固執すると、本屋の魅力である「開かれている場所」という機能が失われてしまうと思うからだ。本屋は、フラっと入って何も買わずに帰っても許される場所だと思う。なので、そういう開かれた場所でいるためには、読んだことがない本でもおく必要があると思う。限りあるスペースの中で、どの本を置いてどの本を置かないのか。その土地や本屋に通う人たちのことを考え、その判断をしていく。そして少し、問いかけとして自分が読んで欲しいと思う本を混ぜ込んでいく。そういう本屋が開かれた本屋ではないかと思っている。
思っているのだけれど、僕が本屋をオンラインで始めるにあたっては、そこをあえて捨てたのだ。むしろ、自分の一つの作品というか、本の紹介文を「商品」として販売するつもりで始めた。だから、自分が読んだ本であり、いいと思う本だけを扱うことにした。真逆のことをしたのである。本を売るというよりも、テキストを売る。つまり文筆業としての仕事を始めたつもりでいたのだ。

で、だ。

僕は今年に入って、本を書いて販売することを一つの目標としている。Instagramで書いているコラムや「ほめほめノート」という商品のなかで掲載している文章に声を寄せてもらうことがあったので、もう少し文章を書くことを仕事として固めたいと思うようになったからだ。最初はエッセイを書いてみようと思った。最近、日記本が増えてきていて、リソグラフを中心にしたZINEや自主制作本が増えてきている。その流れで自分もハードルを低くして販売してみようと考えたのだ。けれど、実際に出したとして、無名の僕の本を買ってくれる人がどれだけいるだろうか。文学フリマに出店するのでそこで多少買ってもらえたとしても、「思った以上に売れなかった」という結果になりそうだ。(大抵そういうもんだ)。そして、瞬く間に書くことへの意欲が失われていく。まあ、日記をたまに書くのは好きなので、それでも書き続けると思うが、こんなこと考えている時点で、売れるか売れないかがモチベーションの基準になってしまっているということである。それではつまらない。何のために書くのか。自己表現か、承認欲求か。
そうではない理由で書くことが大事だと思う。とすれば、何かテーマを設けて書くのがいいのではないかと考えた。自分が気になっていること、抱えている問題に対して問いを立て、それを考察した過程、取り急ぎ出た結論をパッケージ化したもの。論文とまでは言わないものの、それに近いもの。これは自分のための本となりうる。ノウハウ本や啓発本ではない。そんな感じで考え始めていた。

そんな折に読んだのが、『つくづく』という雑誌の別冊『おかしな雑誌のつくりかた』という本だ。おかしな雑誌、の通り、銭湯の鏡広告を雑誌だと言い張ったり、「付録付きの雑誌」というあり方をスライドさせてタオル付きの雑誌だとか、さらにスライドさせておすすめ本を付録に、紹介文を本紙だと言い張った雑誌を販売したりだとか、束見本を雑誌として販売するだとか、現像していないインスタントカメラを雑誌と見立てて販売したりしている、その過程を綴った本。『つくづく』の編集者は、それらを自由研究という言葉で表している。あ、こういうことじゃないのかと思った。

つまり、自分の中で、「本屋としてのあり方」と「テーマを持って本を書きたい」とが結びつき始めた。「テーマを持って本を書き、その本を売る本屋。」という形が浮かび上がってきた。
雑誌の作るように、問いを立てて素材を集め、考察し、結果をパッケージする。雑誌では人にインタビューするが、それを本を通して行う。(人にインタビューもすれば良いが、本なら一人で完結できそうだ)。本にインタビューするというわけだ。考察した結果を本として発売するのと同時に、読んだ本(インタビューした本)も合わせて販売する。そういう本屋。という考えがまとまった。うまくいくかわからないし、編集し、まとめる技量があるのかわからないが、とにかくやってみよう。

まずこういうとき、僕はお手本を探し始める。参考にすべきもの。目指すべきもの。今回で言えば、自分がイメージする「雑誌」とは何か。それはもう、すぐに浮かんでいた。若林恵が編集していた頃のWIREDであり、黒鳥社から出ている雑誌『NEXT GENERATION』シリーズ。取り急ぎ、手元に『NEXT GENERATION BANK』があったので、それを再読。というか全面しっかり通読していなかったので、改めて通読しているところだ。同時に、『さよなら未来』『NEXT GENERATION GOVERNMENT』を通販で購入。こうして、まずとっかかりを見つけたら、それをひたすら掘っていくのが自分流だ。掘っていくうちに、その本を通じて、次に進むべき本が自ずと見えてくるのが読書なのだ。しかも『NEXT GENERATION BANK』を読んでいるうちに、最初のテーマもこれでいいのではないかと思い浮かんできた。それが「本屋のかたち(仮)」だ。なんだかタイトルが曖昧なのでまだ仮である。でも、今やろうとしている新しい本屋の構想を考察するのが、一番最初のテーマとしてふさわしい気がしてきた。なんか前に進みそうだ。というわけで、この記事もすでに、考察の一つ、つまり新しい雑誌の記事の一つになっているのだ。
幸いnoteには「マガジン」という機能がある。1号ごとにマガジンを新規作成し、そこに考察した数だけ記事を突っ込んでいく。今回の記事で考察にしようしたのは『おかしな雑誌のつくりかた』である。マガジンが完成し、雑誌(紙面)として販売する際には、『おかしな〜』も仕入れてオンラインストアで販売したいと考えている。



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