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【オイサラバエル】 樋口円香における、美しいものとは


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唐突に来ました

このタイミングで実装したシャニマスの奇襲性には脱帽するしかない

そしてこれが恒常であるという衝撃

引かねばならぬ

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引いた

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読んだ

......読了して天を見上げる事しか出来なかったです

”美しさ”や”価値観”、”生き方”に肉薄したコミュに思わずため息が出ました。この文章をタイプしている今でも心の大海原に小さくない波を立てています。

心の整理も兼ねて、このnoteに書き殴らせてください。

※以下、盛大なネタバレ


『序』について


お話は、樋口円香(以下、円香)とプロデューサー(以下、シャニP)の会話から始まります。

2人は廃業した美術館で、『ミロのヴィーナス』の彫刻を見ながらその”美しさ”の正体について語り合っていました。

円香は、その彫刻が美しい理由を”黄金比”で構成されているからだと言います。

”黄金比”とは、「縦と横の長さが美しく見える比率」の事であり、大体 5 : 8ぐらいの比率とされています。(正確には1 : (1 + √5)/2 )

古代ギリシアのヘレニズム期の代表作『ミロのヴィーナス』もまた、へそを基準として体のあらゆる部分にこの黄金比が見受けられる作品です。

しかし、シャニPは”ある人”が『”黄金比”という”目に見える部分”だけが魅力ではない』と言っていたと話しています。

その人曰く、『あるがままではなく、そこに無いものを見てしまう―――欠けた部分まで見ようとしてしまうから、完璧になる』

シャニPが”言葉を借りた人”は誰か?

”その人”が言ったこの『不完全さから感じる不可視のもの』について円香がどう感じたかは、次のコミュから明らかになります。

実は、このコミュを初見で読んでいて一つ腑に落ちない点がありました。

シャニPのセリフです。

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”永遠”を”エターナル”と訳すこと自体は間違いではありません。

しかし、"eternal"とは、ニュアンス的に「(宇宙規模で)永遠」という意味で、仰々しい雰囲気がしたのです。

しかし、この疑問はTRUE ENDまで読み進めた後だと、「エターナルしかない!」と感じる事ができました。

『廃墟、エントロピー』について


シャニPと円香の2人は美術館の奥に進み、先程の『美しいものについての話』を続けています。

2人が雑誌の撮影の為に訪れているこの廃墟の美術館は『サンルームの天井が割れ、雨が入り込み、水たまりができている』ような美術館です。

ここで、先ほどのコミュでシャニPが言葉を借りた人が『雑誌の撮影監督(以下、監督)』であることが分かりました。

その監督は、そんな草が生えて、どろどろで、底が見えない廃墟の美術館とても綺麗だと言いました。

円香は監督がどこを綺麗だと言ったのかあまり分からないようです。

しかし、シャニPがその場を離れ、一人になったところで円香は思案を巡らせます。

彼女は、朽ち果てた廃墟から人々の賑やかな声と希望で溢れた在りし日の美術館を想起し、そんな自分を”疎ましい”と思うのです。

円香は自身が「監督のような感性が(自分には)ある」ことを自覚していますが、同時に「いくら考えたところで、同じ気持ちになれるとは」とも述懐しています。

監督と同じように『(現在の)目の前の廃墟』から『(過去の)在りし日の美術館』を感じ取ることはできましたが、だからといって円香は『(現実の)目の前の廃墟』について美しいと思うことはできませんでした。

円香は『不完全さから感じる不可視のもの』について、魅力的ではないと思っていたことがここで明らかになります。

つまり、『円香』と『監督』という対照的な二つの考えがこの物語には登場するのです。

では、円香が『不完全さから感じる不可視のもの』を”美しい”と感じないならば、彼女は何を美しいと捉えるのでしょうか?


『ドライフラワー』について①


このお話では、ドライフラワーについてのインタビューを円香が受けています。

前述の円香が”何を”美しいと感じるかという疑問について、ここで答えが出てくるのです。

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円香が大切にしているものは『咲いている時』であり、しかも『枯れてしまうからこそ、余計に大切に思える』とまで言っています。

実はこのセリフ、一つ前のコミュ『廃墟、エントロピー』にも同じような記述をした部分がありました。

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円香は、「どんなに賑わっている美術館でも、咲いている花でも、いずれは朽ち果て、枯れてしまう」と感じていて、だからこそ「今が美しい」のだと感じる。

『監督』の感じる美しさは「不完全な状態の現在から、完全だった状態の過去に思いを馳せる」ことで感じるのに対して、『円香』の感じる美しさは「完全な現在の状態から、不完全な未来の状態に思いを馳せる」ことで感じるもので、実は全く逆のベクトルを持った二人だという事が明らかになりなったのです。

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だからこそ、このコミュで出てくる保存状態の良いドライフラワーに円香はいたく感銘しました。彼女にとって今まで一瞬一瞬だった美しい完璧な状態を、このドライフラワーは保存できるからです。


そして、ここから物語はさらに面白くなります。


『ドライフラワー』について②


この『ドライフラワー』のコミュで①、②で分けたのは、ここから新たな価値観が加わるからです。

それは、『シャニP』の感じる美しさです。


シャニPはドライフラワーを見てこう言います。

そしてその時の円香の反応は以下の通りです。

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この時の円香の反応を、是非ボイスで皆さんにも体験していただきたいです。

ここの円香は非常に驚愕しています。

この静かに、しかし確実に驚愕していることを感じる、声優さんの演技に舌を巻かずにいられません。


円香はシャニPがドライフラワーを見て「綺麗だ」と感じるとは思わなかったのです。


何故、円香はシャニPが「綺麗だ」と言って驚愕したのでしょう?

円香はシャニPがどんなものを「美しい」と感じると思ったのでしょう?

そして、シャニPの本当に美しいと思うものとは?


いよいよ佳境に入ります。


『ノンフィニート』について


円香はシャニPと車の中にいます。これから地方に撮影に行くのでしょう。

その車内で円香はシャニPの価値観に対しての思案を巡らせます。運転席にいるシャニPに対して、後部座席からずっと心の中で。

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円香は、シャニPの事を”枯れた花を枯れたまま美しいと感じる人”だと考えていたようです。

円香が”完全な状態の現在から、不完全な状態の未来に思いを馳せる人”であり、監督は”不完全な状態の現在から、完全な状態の過去に思いを馳せる人”だったならば、シャニPは”不完全な状態の現在のままを美しいと思える人”なのだと........

思い返せば、ノクチルの初イベントコミュ『天塵』では、生番組を滅茶苦茶にして、不特定多数の人間や芸能界から”吊るされた”ノクチルを、ありのままに受け入れたのはシャニPでした。

円香個人で言えば、

『GRAD』では円香の意見や判断を否定せずに受け止め

『ピトス・エルピス』では円香の”枯れた声”でも歌う歌を”美しい”と称し

『Landing Point』では『円香のための、円香なんだ』と諭し、プロデューサーとしての領分を越えてまで円香を助けました。

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そんなありのままで、自分自身や幼馴染を受け入れた”はず”のシャニPが、”ありのままの美しさ””現在の不完全だからこその美しさ”よりも、”過去や空想の美しさ”、”過去の完全な美しさ”を重視しているのなら、今までの自分や幼馴染への行動は何だったのか?

円香は、シャニPの『ドライフラワーが綺麗だ』という発言を聞いた時から、『彼は自分たちの”ありのままの美しさ”を本当は受け入れていないのでは?』という疑問を持つことになったのです。


【捕足】『ミロのヴィーナス』と『ノンフィニート』とは

ここで今一度、”ミロのヴィーナス”へ立ち返っていきましょう。ミロのヴィーナスには両腕がありません。しかし、何故そんな不完全な彫刻が現代でも”美しい”とされるのか......

あるエッセイストはこの様に述べています。

『ミロのヴィーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、僕はふと不思議な思いにとらわれた事がある。つまり、そこには、美術作品の運命という製作者のあずかり知らぬ何ものかも、微妙な協力をしているように思えてならなかったのである。』 引用:清岡卓行 『手の変幻』

ミロのヴィーナスの”魅力”は”完全無欠さ”ではなく、その”腕がどのようあったかという想像の余地”を考えさせる役割こそが、ミロのヴィーナスが腕を失って得た”芸術的効果”ではないかという考えです。


ここで、4つ目のコミュタイトル『ノンフィニート』の意味についてさらに紐解くと.....

『ノン・フィニート〈non finito[イタリア]〉:芸術作品に関して,意識的な〈未完〉の状態のままに置くことによって,独自の芸術的効果をあげる技法について用いられる。起源はミケランジェロにあり,彼の1520年代以降の作品(サン・ロレンツォのメディチ家廟の〈昼〉,ユリウス2世廟のための〈囚人たち〉など)において,完璧な仕上げにまで至ることなく,粗彫りのままに置かれる作品のもつ精神的効果に対して,同時代人がミケランジェロの〈ノン・フィニート〉と呼んだ。ロダンはミケランジェロ以後もっともよくこの技法を用いた芸術家である。』 引用:『世界大百科事典 第2版』

ミケランジェロの作品もまた、『未完成であることで想像の余地を生んだ』芸術家です。

そして、このノン・フィニートには哲学的な起源があり、それこそが古代ギリシアのプラトンのイデア論を飛躍させた、”新プラトン主義”なのです。

プラトン哲学においては、我々の存在する”現実世界”とは異なる”イデア界”に、我々が想像する万物が格納されているという考えがあります。

例えば、皆さんが円を手で画用紙に描いたとしましょう。

その円は手で描いたためにガタガタで歪ですが、これを他の人に見せても、恐らく円と答えるでしょう。これは、人間が”イデア界”に格納されている”本物の円(イデア)”と照らし合わせて認識しているから、現実世界で多少齟齬があっても認識できるという考えです。

そして、新プラトン主義とはその考えを発展させ、”万物の根源”を上流として”知性”→”魂”→”肉体”という風に『世界は根源からの流出によって成り立っている』という考えであり、肉体が寿命を迎えたら、今度は逆に”肉体”→”魂”→”知性”→”根源”という風に戻っていくことで、根源に辿り着くとしています。

つまり、肉体のさらに奥に魂があり、その魂ですら元をたどるといずれ根源に飛んでいくのです。


【TRUE END】『美しいもの』について


さて、最後の疑問である『シャニPが美しいと感じるものとは?』という部分についてやっと答えを出す事ができます。

シャニPは、ドライフラワーについて、このように語りました

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彼は、この『ドライフラワーの”魂”が円香によく似ている』と言いました。

完璧であることを求める樋口円香完全な状態で保存されたドライフラワー

『人間』と『花』という”肉体”の違いこそあれど、そこを辿って、その在り方である”魂”は非常に繋がっているから美しいとシャニPは感じたのです。

彼は、『完全』や『不完全』、『現在』や『過去』といったものではなく、樋口円香やドライフラワーのその”魂の在り方”あるいは”生き様”そのものを”美しい”と受け入れました。

そう考えながらこのカードのイラストムービーを見ると、円香の衣装がドライフラワーと非常にマッチしている上、彼女がドライフラワーを掲げるとき、無意識に顔にかざしているのが彼女とドライフラワーの同一性を暗に示しているのかもしれません。

目を閉じて、花を見る。その”魂”を......

そして、そんなシャニPの発言にやっと得心が言ったのか、円香はさらに心の中で

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と続けます。

ドライフラワーの目に見える部分だけではなく、『透明な』不可視なものの”美しさ”を彼女もまた認める事ができるようになりました。


そして、ふと

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本当の『”透き通る”美しさ』を認める事ができたので、改めてそれが円香自身の心の中で何なのかについて、何度も何度も唱えることで再確認したのです。

総括


........いや長すぎでは?

ここまで読んでくださってありがとうございます。

考察が荒い部分も多々あることは承知の上で、シャニPの”魂”という一言のその意味に迫りたくて、このように書き殴った次第です。

最初のコミュ『序』でのシャニPの”エターナル”という仰々しいセリフを何故、入れる必要があったのかという部分や、コミュのタイトル、”ミロのヴィーナス”という風に数珠つなぎで求めて行きました。

シャニPが”エターナル”と言ったのは、新プラトン主義において、肉体は物質的であり自然の摂理に基づきいずれ消滅するが、魂は時間的な制約を受けずに、永遠に存在する事ができるという事を感覚的に理解していたからなのでしょう。


このコミュで円香は”自分が本当に美しい”と感じていたものをシャニPの言葉で再認識したはずです。

だとすると、これからのコミュにもますます期待が持てますね!

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