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いいお母さんになりたかったな

「いいお母さんになりたかったな。」

そう思わず、口から溢れた瞬間  
涙がとまらなくなったことがある。
 

ずっと、いいお母さんになりたかった。

私が思う良いお母さんは

子どもに罪悪感を感じさせない
世界中の誰よりも幸せそうなお母さん

そんなお母さんを見て育った子どもは
自己肯定感が高くなるに違いない

って、思っていた。

子どものため、生活のために我慢している
疲れた母の後ろ姿より、幸せそうな笑顔を
私が見たかったから

私は幸せなお母さんでいよう  
子どもや家族を言い訳に
自分を疎かにすることのないよう
自分を大切にしよう


まるで、下半身は泥水に漬かりながらも 
上半身を綺麗なまま保ち、涼し気な笑顔で
両手で支えた橋の上を誘導しながら
子ども達に歩かせ、
下半身が浸かる泥水の冷たさに気づかないフリをし、
時に望まない子ども達の様子を目にして
足元をグラつかせ…


今は思う、
お母さんに良し悪しなんて本当はない 

更に言うであれば、
自己肯定感が高かろうが低かろうが
それすらどっちでも本人の自由だろう

今回の人生でどんな経験をしたいか
各々のもつ青写真の中になにが組込まれているか知る由もなく、介入できることでもない

心理学(愛着だとか)、発達心理学(エリクソンやら)、マヤ暦(絶対反対kinだとか)、占星術(12ハウスに何があって、月ハウスに何があるとか)、遺伝、環境、スピリチュアル的な様々なことが絡みあって存在する

どんな母を見て育っても
子どもは育ちたいように育つ

私がどんな橋をかけようが
その橋の真ん中を歩くのか
手すりの上を歩くのか
或いは、橋の上など歩かず、泳いで行くかもしれない、

大切なのは
育ちたいように育った子どもを
ニュートラルにそのまま
マルっと受け入れられる自分が出来上がっているかどうか

それまで真摯に
子どもとでなく、 
自分と向き合ってきたかどうかが問われ

下半身が浸かっていた様々な感情の泥水に
透明度を取り戻し

どんなあの子も静かに穏やかに見守れる自分に気づいた時に
はじめて良い母に成長したと言えるのではないかと、
色んなことを学び、試行錯誤しながら
一周して最近思う。

そんな私もそれを知る経験したかったのだろう





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