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もう一つの靖国問題

もう十数年前の話だが、新聞の夕刊に会津藩の藩主であった松平家の末裔に関するコラムが出ていたことがある。そこに、誰にもふり返られない「もう一つの靖国問題」みたいなことが書いてあった。

靖国問題と言えば、一般には戦犯が合祀されたところに公職に就く人たちが参拝すべきかという問題である。でも、靖国神社はもともと戊辰戦争の戦死者を祀るために新政府によって建てられた、宗教的というよりは政治的な施設である。新政府軍と戦って死んだ者は祀られていない。会津では女子供も含めてたくさんの死者が出たわけだが、当然靖国には祀られていない。今日に至るまで、彼らは国のために戦って死んだ英霊としては認められていない。会津藩の末裔たちには、いまだにこれを恨みに思っている人たちがいるらしい。

教科書に出てくるような国史では、戊辰戦争で敗れた方は、頑迷に時代の流れに抵抗して歴史の彼方に消えていった者たち、としてしか扱われない。吉田松陰とか坂本龍馬とか西郷隆盛のように、最後は非業の死を遂げた者であっても多くのことが語られてる。幕臣でも、後に新政府に下った勝海舟とか榎本武揚などもその役割が評価されている。でも、松平容保や会津の藩士たちは負け組であり、国史ではマージナルな地位しか与えられない。白虎隊とか自害した女子供に同情が集まるとはいえ、悲惨な戦争の被害者としてであって、国のために尽くしたとは捉えられていない。

でも、維新前夜の歴史をちょっとひもとけば、薩長が天皇の争奪合戦に勝利したのは必然ではないことはすぐわかる。結果として勝利したから坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視などは先見の明を持つ卓抜した指導者ということになったわけだが、結果が違えば松平容保や徳川慶喜がそう呼ばれていてもおかしくない。

前にも書いたけど、うちの母の実家も二本松藩藩士だったので、まだ紅顔の少年に近かった家長が十代で戦死し、残った家族は郡山に農民として移住し苦労した。当然、靖国には祀られていない。つまり、母の実家のご先祖は逆賊として死に、公式には今日まで復権していないのだから、自分にも叛徒の血が流れていることになる。どうしたって靖国に参拝なんか行く気がしない。逆に、そういう奴は非国民だなどと平気な顔して言ってる連中に、もうちっと歴史を勉強してこいって言いたくなる。

というのも、最初から薩長が天皇の味方、会津や奥羽越列藩連合が朝敵だったわけではない。松平容保は京都守護職に任命され、孝明天皇からその働きを認められている。会津が賊軍になったのは、天皇の争奪合戦において長州藩の支援を受けた岩倉具視などに出し抜かれたからに過ぎない。

福島県では「アイズッポ」と呼ばれる会津若松の人たちは、今日でもちょっと曲事を嫌う融通の利かない人たちとして知られているらしい。たとえば、漱石の『坊っちゃん』に出て来る「山嵐」がアイズッポである。教頭の赤シャツにおべっかを使う「野だいこ」みたいな奴をいちばん嫌う。頑固でけんかっ早いが、そのかわり人から信頼される。薩長土肥の指導者が口では尊王攘夷を唱えながら天皇を倒幕のための「コマ」と見なしていた節があるのに対し(当時の天皇の地位から見て驚くようなことではないのだが)、会津の藩主松平容保とその武士団は、「忠義」という武士的なエトスを貫き通したと言えるかもしれない。

ちょっと見方を変えると、明治維新というのは辺境の志士たちが天皇を利用して起こしたクーデターなのである。名門である徳川家や松平家に比べて、外様の藩でしかも下級武士が主導権を握っているような薩長や、下級の公家だった岩倉具視らこそが「逆賊」の汚名を着せらかねない立場にあり、それが故に「尊王攘夷」を掲げて天皇を担ぎださないとならなかった。

現在我々が学校で教わる日本の近代史というのは、実はこうした都合の悪い事実を忘却することによって成り立っている。ウヨクとサヨクの歴史論争もこの忘却の上に成り立っている。靖国参拝を云々する人も、戊辰戦争で散った人たちについてとやかく言う人は少ない。でも、この国史から忘却された歴史の「亡霊」は後の日本につきまとうことになる。

維新直後の急進的な西洋化の反動は明治30年以後「日本への回帰」として現れる。時代遅れの道徳や知識として切り捨てられた儒教的倫理や国学思想が再び持ち出され、近代国家日本にまとわりつく。しかも、その中心になったのは井上毅や穂積八束などヨーロッパ帰りの新しい世代である。その一例が「国体思想」という奴で、かつで水戸学や国学から発した思想がどういうわけだか西洋的な近代国家の正統化に使われることになった。結果として、明治の指導者が夢見たような自律的な近代国家は、次第に宗教ナショナリズムに浸食されていく。

直接の関係ないが、このもう一つの靖国問題の忘却は、今日のウヨク/サヨクの歴史論争がいかに狭いスペクトラムで行われているかを示してもいる。イデオロギーの対極にあるように見えるウヨク/サヨクも、実はどちらも維新の子らであって、それ以前の歴史には遡らない。過去に縛られることを拒否するリベラルとしては首尾一貫してるという弁護も可能だが、歴史を重んじる保守としては容認しがたい落ち度である。近代国家とナショナリズムという土俵を無反省に共有しているという意味では、どっちも共犯関係にある。

もうアイズッポも二本松藩士の末裔も「日本人」であることを疑う人はいないし、自分たちの先祖を靖国に祀ってもらいたいと本気で思ってるような人も多くない。自分なんかは、むしろ「逆賊」「叛徒」の血が流れてることを誇りに感じる(本当に彼らが「叛徒」であったからではなく、そのようなレッテルを貼られた経験を有する人とつながれるような気がするから)。勝ち馬に乗ることしか知らん連中にいまさら「非国民」とか「売国奴」などと呼ばれたところで、痛くもかゆくもない。だからと言って、明治維新が起こらなかったらよかったのになどとも思ってない。やっぱり起こらないより起こった方がよかったんじゃないかと思ってる。そうであるから、維新の志士たちの業績も尊敬できる。

すなわち、もう一つの靖国問題は、責任者を探し出して追求するまでもない、問題とは謂えないような話である。ただ、自分たちのものの見方を反省する一材料にはなる。「勝った馬」に乗っかることによって容易に勝ち組に取り込まれてしまう自分たちの、自主独立の危うさについて気づくことができる。自分の頭をなでなでするためではなくて、自分たちをよりよく理解するためにも敗者の歴史は役に立つ。

(2009年09月15日に書いたものに加筆修正した)


コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。