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己自身を知らぬということ

自分は今まであまり医者にかかったことがない人間だが、なかでも歯医者さんにはお世話になったことがほとんどない。唯一の例外は、乳歯の下から永久歯が生えてきてしまって抜きに行ったときである。よほど現役に固執する乳歯たちがそろっていたらしく、一度や二度じゃすまなかった。

そうして歯医者に行くたびに「立派な歯ですねえ」と感心される。そんなもんかなと思っていたのであるが、並びも悪いし、ヤニで汚れた歯である。本人には別に愛着もなかった。ただ、丈夫な歯をもって生まれたことは欠点ではないと思いこんで、素直に親に感謝していた。

ところが、結婚してからかみさんに言われて驚いた。自分がものを食うときに、この丈夫な歯がガツン、ガツンとぶつかる音がするそうだ。骨でも何でもかみ砕いてしまう頑丈な歯に頑丈なあごなんで、言われてみるとさもあらんなのだが、自分には青天の霹靂であった。今まで自分だけはそんなことに気づかずに、エライ人や麗しい人たちの前で飯を食ってきたようなのである。恥ずかしいったらありゃしない。己を知らんとはまさにこのことだ。どうやら丈夫な歯もいいことばかりじゃない。

親や友人たちや親しくつき合った女たちも、きっと気づいてはいたのだが、それを知らせたところでどうしようもない。気の毒で口にできなかったのかもしれない。それからしばらくは音がしないようにやさしく噛むよう努力したんだが、どうしたって無理である。自分では音がしておるかどうかさえわからない。これが自分の宿命だと諦めて、今では盛大にガツン、ガツンといわせておる(宿命を受け入れることについては、以下リンク参照)。

自分の体に関するもう一つの告白は、どういうわけか珍しくウケた。

これはあまりファンシーな話じゃないので、二匹目のどじょうにはならんだろうな。

コーヒー一杯ごちそうしてくれれば、生きていく糧になりそうな話をしてくれる。そういう人間にわたしはなりたい。とくにコーヒー飲みたくなったときには。